人文科学科: 宮坂夏美【CGS News Letter001掲載】
テレビドラマを見ると、それぞれの社会の成熟度が見える。例えば英米のテレビドラマからは、ジェンダー・ステレオタイプはほとんど姿を消したが、日本では依然偏った男女観が横行している。最近のドラマでも、人気俳優のセリフには時代劇かと思うようなジェンダー差別が埋め込まれており、視聴者の多くを占める若者への影響について危機感を感じた。日本のメディアは社会の中で最も女性の進出が遅れている世界だという。圧倒的男性社会で、ナルシスト的な男性論理によって、番組が量産されているのが日本の現状である。だがこれはテレビ業界が特殊なのではなく、日本社会に存在するジェンダー観の発露に過ぎない。だから私は、社会の成熟度の差を突きつけられた気がして、暗澹とした気分になるのである。
フィクションにおけるジェンダー表現を研究対象とする職業柄か、テレビドラマはかなり気になる。海外物も含め、話題となるものはとりあえず鑑賞してみることにしている。(というものの、単なるミーハーの言い訳である)。観ていて気が付くのは、日本のテレビ番組と欧米のそれとの違いの大きさである。特に英米のテレビドラマには、社会の成熟を反映してか、かつてのようなジェンダー・ステレオタイプはあまり見られなくなっている。たとえば、職業での男女区別はないに等しい。弁護士として男女ともに対等に闘うし、医師と看護士、どちらが男性、女性ということもない。女性の方が家の外で働き、男性が家事をするカップルも描かれる。これが現実の社会をそのまま反映しているか否かは別問題として、女性にとっては少なくとも、否定的なイメージをテレビという極めて影響力の大きな公共機関を通じて垂れ流され、あたかもこれが常識と押し付けられる危険は減ったように思える。
ところが目を転じて日本では、おぞましい状況が日々テレビ画面上に繰り広げられているではないか!医学界を扱った最近話題のドラマ。医師・教授陣はなんと全員男性である。彼らを取り巻く製薬会社の社員らももちろん男性。弁護士も男性である。女性はというと、看護士、妻、愛人、娘、秘書・・・。いくら一昔前のドラマのリメイクとはいえ、これは一体いつの時代のドラマだ?と目を疑いたくなる。しかも、その中で展開されるストーリーによると、女性はあくまで男性の癒しとして存在し、控えめで優しく、すべてを受け入れるのがよいらしい。このドラマを見て、「この愛人、いい女だよなあ」などという会話が巷の男性陣の間で交わされているかと想像すると、気が滅入ってくるのである。
このドラマだけではない。人気タレントを起用した若者向けドラマでは、スポーツ選手と応援する女性、というこれまた古典的なステレオタイプが展開する。これなど時代劇の設定と対して変わりはしない。戦いに疲れ傷ついた男性を、女性はひたすら健気に忍耐強く守るのである。これぞ、癒し系・・・。「癒し系」などと新しげなネーミングをされているが、昔からある男尊女卑の価値観を、ちょこっとおしゃれにアレンジしてみせただけである。プロデューサーがインタビューに応えて曰く、このドラマのキーワードは「古き良き時代の男女」だそうである。それは一体どういう時代のことなのかと思えば、どうやら亭主関白の男と黙ってそれについてくる女性、という構図が幅を利かせていた時代のことのようである。その時代は「古き時代」ではあっても、「良き時代」なのか?「良き時代」だったと懐古趣味に浸るのは、一部の男性のみなのではあるまいか? 一体誰にとって「良き時代」だったのかと考え込んでしまう。
こういうドラマが垂れ流すメッセージを、所詮娯楽作品だからといって看過していいものだろうか。人気ドラマともなれば視聴率は3割を超えることもある。しかも、人気俳優たちを多く配したトレンディードラマの主な視聴者は、若者世代、日本の未来を担う世代なのである。そんな世代の3割に向けて、非常に偏ったステレオタイプの女性像や男女のあり方が、「理想」として流されることには重大な意味があるのではないだろうか。低年齢層の視聴者の多くは、その「理想」を大した疑問も無く受け入れてしまうのではないだろうか。好きなタレントが演じる男性像に憧れ、彼が恋する女性のようになりたいと、少なくともバーチャルな夢を抱かない方が不思議である。
たかがテレビ、されどテレビ。テレビの影響力は大きい。だからこそ、作り手側には相応の覚悟と人権感覚、ジェンダー意識を要求したいのだが、残念ながら、日本のメディアは日本社会の中でも最も女性の社会進出が遅れていると言われる。いまだにメディアの中心を牛耳るのは頭の古い男性陣。プロデューサーや監督という人種のほとんどは男性である。このような異様なバランスの男性社会の中では、男性側が使う行為、見る行為の主体であり、女性側は使われ、見られる客体としてしか存在しえない。そしてその中で、極めてナルシスト的な男性の論理でもってテレビ番組が量産されているのが、日本の現状なのである。
情報発信という極めて重要なポストを占めているのがそのような団体でいいのだろうか? 「20年前くらいの、亭主関白がまかり通っていた時代は良かったですね」とは、さすがのプロデューサーも言えまい。しかし、それをドラマとしてキムタクに言わせれば、なぜか社会に受け入れられてしまうこの不思議! テレビは本当に危険である。
もちろんテレビ業界に住む男性陣が特殊でないことはわかっている。日本社会にいまだに存在するこのような偏向したジェンダー観の発露に過ぎない。だから私は、英米のテレビ番組と日本のものを比べると、社会の成熟度の差を突きつけられた気がして、暗澹とした気分になるのである。