ICU在学生:川坂和義
【CGS News Letter002掲載】
「沖縄」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?どこまでも透きとおる青い海かもしれないし、首里城や沖縄独特の市場、もしかしたらどこか懐かしい、消えつつある昔ながらの暖かい家族の様子かもしれない。それとも米軍基地やその周りにあるクラブだろうか。
5月19日に、那覇市議会議員であり、同時に「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表を務める高里鈴代氏の講演会がICUで行われた。彼女は「強姦救援センター・沖縄レイコ(REICO)」を通じて、米軍基地によって苦痛を強いられる女性たちのために長年活動を続けており、一貫して被害者の立場からの運動を展開している。高里氏は、講演で沖縄の歴史で取り上げられてこなかったレイプや殺人などの事件や被害者たちの実情を具体的に挙げていきながら、マスコミや教科書で表されるような「沖縄」と違ったもうひとつの沖縄を浮かび上がらせていった。沖縄は戦後60年間常に歴史の間で揺り動かされていたのであり、米軍基地を通して沖縄は朝鮮戦争もベトナム戦争も経験しているのだ。例えば、沖縄の事件は最近全国規模で有名になったものばかりがイメージとして先行するが、しかし、朝鮮戦争時には9ヶ月の赤ん坊から46歳の女性までレイプされており、当時の被害者たちは外にいようが自宅にいようが関係なく被害にあっている。そのような状況のなかで暮らす人々の不安は、現代の私たちの生活からは想像しがたいだろう。また、このような経験の背後には、米軍を支えることでしか生活が維持できない市民がおり、彼らは日常生活の中で拒否できない苦痛を強いられてきた。高里氏は、兵士による住民への暴力や売春、基地が原因の環境汚染、基地への経済的依存など過去から現在までの沖縄と米軍基地が抱える様々な問題を平易な言葉で語り、皮膚感覚での問題意識が伝わる講演会だった。
高里氏が講演会で露わにしたのは、本土の人々と沖縄の人々との見えない精神的断絶であり、私たちの沖縄への無関心であるように思える。マスコミにしろ普段の授業や会話にしろ、米軍基地の是非について述べられる際、多くは国際関係と安全保障の関連で語られる。しかし、基地は人々の日常の中にあるのだ。高里氏の活動や言葉の底に流れている疑問はこのようなものではないかと感じた。「安全保障」という名の実体は、誰の何のための安全か。なぜ沖縄にこれほどの負担が強いられ、この決定はどのように決められたのか。そして、なぜ力なき市民、女性や子供たちが苦しめられ、その声が封殺されるのか。私は特に最後のものが重要だと考える。なぜならこれは、日本政府やアメリカ政府のみに向けられているのではなく、私たち自身に向けられていると感じられるからだ。この疑問が問うているのは、私たちの沈黙そのものではないだろうか。人々の苦しみの声を押し殺すのは私たちの彼らへの無関心であり、それは相手に語ろうとする意思を挫くのに最も効率の良いやり方ではないだろうか。どのような沈黙も意味のないものはない。私たちが沖縄の状況や基地の周辺で苦しんでいる人々へ向ける無関心と沈黙は、現状維持への賛成と関係を持たないことの心地よさを表明する以外に何を表すものだろうか。
たしかに、「沖縄」といわゆる「本土」の人々の間には、戦後約60年間の全く違った歴史が横たわっており、それは私たちが互いに共通の意識を持つことを難しくしている。講演会の質問の中でも、歴史の暗部を押しつけ続けてきたことの後ろめたさや罪悪感から「申し訳ない」という意見や感想が多く出され、私の友人でもこのような感想を持った人は多かったようだ。私自身、実際に苦しんでいる人々が現在でも多くいるという事実と沖縄について今まで無知であったことに恥ずかしさを感じ、「申し訳ない」と思った。本土の人々が沖縄に対して抱くこのような感情は、自然なものだと思うし珍しいことでもないだろう。
しかし、この「後ろめたさ」も沖縄を遠ざけるトリックではないだろうか。「本土」と「沖縄」の間にある歴史や力関係は決して小さなものではないし、簡単に乗り越えられるものではない。だからといって「申し訳ない」という感情の中に入り込んでしまうのは、一種の思考停止であり、問題を問題のまま固定することになる。むしろ問うべきなのは、違った歴史の中で生きてきた私たちは、どのように理解しあい、共通の問題意識を持つことができるかではないだろうか(沖縄と本土の歴史と関係はコインの表と裏のようで全く違ったものであるとは思えないが)。
私は、今、矛盾したことを述べたかもしれない。私たちが抱える「後ろめたさ」は、沖縄の人々への「関心」から生まれたものだし、実際にはこの10年の間で沖縄への「関心」は増大したのではないだろうか?たしかに、この10年で沖縄への観光客は約1.5倍に増えたし、沖縄出身の芸能人や沖縄を描いたドラマや映画は注目され、2000年には沖縄でサミットが行われた。今回の講演会もこのような「関心」の延長線上にあるだろう。だが、私たちの抱える「後ろめたさ」とは、過去への後悔であると同時にこれからの未来に対する贖罪の意味合いも強い。「後ろめたさ」が意味しているのは、沖縄の歴史や状況ではなく、私たちの良心であり、苦しむ隣人を見守り続けるあの不快さだ。また沖縄への関心やメディアによる露出が増えれば増えるほど、基地や住民の苦痛は沖縄の一部となり、取り去りがたい沖縄の暗い一面となる。最近、急速に膨れ上がった沖縄への「関心」が創り出したのは、美しい自然などの沖縄の観光地としてのイメージと同時に『もはや変わることのない基地問題』に対する「沈黙」ではないだろうか。この「沈黙」こそ「後ろめたさ」を支え、「後ろめたさ」が沖縄への関心をかきたてる。最近の急速に広がりつつある沖縄への関心と態度は、現在の沖縄が抱える問題への「無関心」と歴史に対する「後ろめたさ」が裏返って表れてきているにすぎない。
私には、沖縄への「沈黙」と「後ろめたさ」が沖縄を他者として突き放し、沖縄を私たちの問題として捉えることを難しくしている原因であると思える。そして本土と沖縄の間に精神的断絶を作り出し、沖縄が苦しみ続けることを強いられている理由は、このような他者性のせいではないか。沖縄は、アメリカにとっても本土の人々にとっても距離のある二重の他者なのだ。最近の私たちが沖縄に向ける「関心」は、他者ゆえの関心なのだ。沖縄への「関心」が創り出したイメージには、冒頭で挙げたように、私たちの生活と異質のものが溢れている。休暇を過ごす観光地であってもノスタルジーを醸す場所としての沖縄であっても、私たちの生活の延長線上にはない空間なのだ。
高里氏の講演を聞いて、もう一つ私が考えさせられたことは、「学ぶということはどういうことか」ということである。「知る」ということは、一種の驕りを生み出す。私は学生として生活をし、大学の中で学んでいるが、知識を得れば得るほど、知っていることの自負心と距離感、新たな偏見が澱のように溜まっていく。知ることは問題に向き合うことでしかないはずだが、知ると無意識のうちに問題が解決されたと錯覚を起こしていくのだ。私は、高里氏の徹底した皮膚感覚での問題の捉え方、怒り、行動への情熱に強い感銘を受けた。日常性から出発している。彼女が見ているのは、日常の中の沖縄であり、日常の中の人々であり、日常の中の米軍基地なのだ。そこには教室で対峙することのない葛藤があるだろう。
私は、今回、幸運にも高里氏と夕食をご一緒させていただく機会があった。その際、「どうして女性や平和のために活動をしようと思ったか」という私の不躾な質問に、高里氏はにっこりと笑って、「特別な理由はない。気がついていたらやっていた」と答えた。そのときの笑顔は、今でも強く印象に残っている。