人文科学科 : 生駒夏美
【CGS News Letter002掲載】
2004年6月12日と13日の両日、鳥取県倉吉市で日本女性学会の大会が開催された。場所はデザイナーの手による施設、倉吉未来中心。太陽が燦燦と降り注ぐロビーを持ち、開放的な明るい雰囲気だ。会の雰囲気も非常に暖かかった。初参加の筆者だが、わけへだてなく歓迎され、すぐに仲間として交わることができた。この友好的な雰囲気は個人発表でもシンポジウムでも維持された。発表者には温かい支援の言葉や、適切な助言が与えられ、皆で助け合って進んでいこうという前向きな空気が全体に流れていた。
この大会の目玉は、はやり田中美津さんの基調講演「自縛のフェミニズムを抜け出して」であったと思う。1970年代のウーマンリブ運動の先頭に立っていたのに、75年、突然日本から姿を消し、4年間のメキシコ放浪生活の末、現在は鍼灸士となっている彼女。その彼女が再び女性学会で口を開くというので、参加者たちの話題も彼女に集中していた。なぜ彼女があの時リブ運動の第一線から姿を消してしまったのかという疑問は、おそらく同時代で女性学やリブ運動に関わっていた人すべての胸に去来する物だったに違いない。講演の前の空気には、久しぶりに田中美津さんの言葉を聞けるという期待や感謝の気持ちが多くあったように感じた。また彼女のことを同時代的には知らない世代も、伝説的な人に逢えるのだという高揚感に包まれていた。
講演は、イラクで人質となった人々の家族や北朝鮮の拉致被害者家族が、政府の政策に不満を言ったことがきっかけとなって日本中からバッシングされたことへの言及から始まった。「被害者家族は、自分にとって大切なものを、国より何より優先して大切だと言った。本音と建前を分けて持つこと、ダブルスタンダードに立つことを当然としてきた日本国民にとって、彼らの発言は衝撃であり恐怖だったのではないか。しかしバッシングされたけれども、家族のメッセージに共感する人は徐々に増えていった。それはダブルスタンダードに立たない真摯なメッセージだったからではないか」と言う彼女は、自分のテーマもダブルスタンダードに立たないことだと続けた。年齢のサバを読みたい自分がいて、結婚なんて何よと思う自分もいる。どちらも素直な自分で両方あってこその自分だ。しかしリブ運動の先頭に立っていると、「強い女」を演じてしまい自分でなくなってしまう。当時リブを担っていたのは、自分の家庭では昔ながらの妻・母の役割をして、外ではリブ運動をする、そんな女性たちだった。だが、そのように自分を分裂させるダブルスタンダードに立ちたくないと感じたことが、リブ運動の一線から退いた理由だったという。問題は内に秘め、見栄えのいいところだけを外に見せる。家では貞淑な妻、外には性欲を満たす愛人・・・。日本社会はダブルスタンダードが当たり前で、その中で特に女性たちは引き裂かれている。当初は女性の素直な感覚を声に出していたリブ運動だったはずなのに、次第に男性中心のアカデミズムの中で、男性的な論理を操らないと認められないジレンマを経験し、言葉が難解化し、女性たちから離れていき、力を失ってしまった。フェミニズムもその構造をただ強めてしまっているだけではないのか。素直な感覚を縛っているのではないか。美津さんはそのような疑問を感じているという。人の素直な感覚への思いは、やがて体、命への興味へとつながっていき、彼女はいまも鍼灸士として活躍する。リブの運動をしていない訳ではない、と美津さんは言う。先頭に立って道を指し示す人ではなく、横に立って支える存在になりたかったという彼女の「運動」は、もっと濃密でパーソナルなものへと進化したのかもしれない。
彼女の講演を聞いて、リブ世代の人からは「生きた言葉の持ち主。どこにいても日本のリブを代表する人だ」という感動の声があった。一方、美津さんの言動一致に憧れを感じながらも、既にアカデミズム化したフェミニズムの中に生きる身としては、それでも地道にしたたかにやっていくしかないと言う若手の声もあった。自分の今の気持ちを、自分の言葉で語ることが大切で、「世界はあなたのためにあるのだから、自分がやりやすいようにしたらいい」と美津さんはある質問に答えた。それぞれの時代のフェミニストたちに、それぞれ届いたメッセージだったと感じた。
研究発表もワークショップも、多岐にわたるものだった。政界での女性参画について考えるもの、アカデミック・ハラスメントの問題、フェミニスト文化論、スポーツとジェンダーなどなど。参加者の背景や興味分野も違うが、それぞれの分野で少しずつ研究を進め、それをシェアすることで女性学全体を盛り上げようという雰囲気があった。大学生や院生らも、そして特に男性たちも、今後どんどん参加してほしいと思った。ジェンダー研究の発表の場として、非常に大事だという実利的な意味合いのほかに、このように同士、それも別分野でありながら究極には同じ方向を見ている仲間たちとめぐり合い支えあえるというのは、得がたい経験だ。参加すれば地平が開かれることは間違いない。