インドの女性とダウリー制

ICUアジア文化研究所 : カマヤニ・シン【CGS News Letter002掲載】

 今日、あらゆる方面において近代化が進み、女性の果たす役割が高まっているにも関わらず、花嫁が花婿へ持参金や家財道具を贈るダウリーと呼ばれる慣習は、インド全域で一般化しており、その重要度がますます高まると共に費やされる金額の値も上昇している。花嫁の家族が所来の花婿の家族の両旧に見合う充分なダウリーを支度できない場合には、花嫁は花婿の家族から冷酷な扱いを受け、死に追いやられる事も多い。特に、インドのいくつかの地域、及び共同体においては、女児の誕生は招かれざるものであり、呪いとすらみなされる事もある。このような状況を引き起こした要因の一つしてダウリーはあげられる。ダウリー制度が女性の地位を下げる原因となっていることから、女性は全力をもってこの制度に抵抗すべきである。たとえ両親がより高い社会的地位をもつ男性を花婿にと追い求めていても、女性自身が身らからの地位を向上させなければならない。そうすれば、男性は「結婚してくれ」と懇願しながら、こちらへ駆け寄ってくるようになるだろう。

「ダウリー」は、インド社会のなかで、抑制されることも反感を抱かれる事も一切無く慣習化され、非常に一般的な言葉となっている。「ダウリー」とは結婚時に、花嫁の家族から花婿及び花婿の家族に対してされる支払いのことである。結婚に際して娘たちは、衣類や宝飾品、そして現金といった娘たち自身の個人的な持ち物に加えて、調度品、陶磁器類、電気製品(近年においては冷蔵庫やテレビなど)、といったあらゆる種類の家財道具が与えられる。両親によっては車もダウリーの一部となる。ダウリーは花婿の結婚時の職業によってその額が決定されるが、大学卒業資格をもつ男性(医学、工学部卒を除く)の初任給が6250円であるインドで、それは25万円から500万円ないしそれ以上の額にのぼる。以上にあげたような贈り物の申し出をすることなしに良い縁組みが整うことはない、というのが現実である。ダウリーの慣習は、法律に反するにも関わらず、ビハール、ウッター・パラデッシュ、ラジャスターン、そしてハリアナ州といった北方のヒンズー語地域に特に色濃く残る。1984年と1985年に改正された1961年ダウリー廃止法は、ダウリーを裁判所で扱われるべき、保釈の認められない犯罪とみなし、ダウリーを差し出すことも受け取ることも禁止し、女性を自殺に追い込む他者の冷酷な行為を罰するものである。結婚後7年以内の全ての女性の自殺や死亡時の状況に疑わしい点があった場合、それに他殺の可能性がないか調査が行われる。インターネットやインドの女性問題に関する本などから、この社会的悪習について多くの情報を得ることができる。実際、ICU図書館でもそれに関する沢山の資料を見つける事ができる。ここでは、私の姉が結婚する際に、ダウリーに関して私の家族がどのような経験をしたかを紹介したいと思う。

 私は、ラージプート(軍人階級)という高い階級のカーストに位置するヒンズー家族の出身である。ダウリー制度が、今も昔も北インドに住むラージプートの人々の中で最も広く行き渡っているというのは歴史的事実である。それゆえに、ラージプートの人々にとって娘の誕生は必ずしも喜ばしいものではなく、女児の誕生を呪いであるとみなす家族すらいる。事実、ダウリーをめぐる将来の問題を起因として、この階級では1960年代後期にいたるまで、女児出産時の赤子殺しが一般的であり、慣習的に行われていた。今日では、女児が生まれたその瞬間から、生まれたばかりの娘のために支払わなければならないダウリーへの不安が両親につきまとい始める。彼等は、娘の結婚の準備金を貯蓄するためにあらゆる犠牲を払う。中流階級の家庭の場合、娘が結婚後も幸せに生きてゆけるようにする代償として、両親は、自分達のより快適な暮らしを諦めて、可能な限りの貯金を行う。

 ウッター・パラデッシュ東部(私の出身地である)のラージープートの家族では、娘をもつ父親と親類の男性は、彼等が良いと見込んだ花婿候補の家族に訪れるやいなや、真っ先に花婿の職業的地位をもとにして作られたダウリーの品物のリストが渡され、そのリストを満せるか否かを尋ねられる。彼等が可能であることを伝え、その時になって初めて彼等は着席を促される。花嫁の父親が花婿の家族に電話する際には、尋ねられるよりも先にまず自分が相手に何を与えることができるかを述べることから会話が始まるのだ!このような社会的雰囲気の中で、娘を「上手く」結婚させる事は何よりも難しい課題である。それゆえに、両親は娘が結婚してもらいたい年齢になる2−3年前から花婿を探しはじめ、ダウリーの額について交渉に交渉を重ねる。

 このような状況の中、3年にもわたる苦労の末に、私の父はインドでトップクラスのIT企業につとめるコンピューター技師を花婿として探し当てた。インド史について文学修士を取得し、高校で教師の仕事をしていた私の姉には、彼は完璧な結婚相手に思われた(実際には、私は彼女の結婚に関する決断には一切関わらなかった)。 とにかく、私の両親と親類は、先に述べたような大変な思いをしたものの、家柄も良く、尊敬に値する職業につく花婿をやっと見つけて大喜びだった。彼の職業的地位に基づいて、彼の家族は、結婚の時と同様に、結婚前の一連の儀式においてもいくらかのダウリーの贈り物を要求してきた。彼等の要求はさらに続き、結婚の時が近付くにつれて要求はどんどん大きくなっていった。彼等は、贈り物のリストの項目を増やし、私の親類を常に悩ませ続けた。

 私は、ダウリーを受け取る人を問題視するだけでなく、ダウリーという制度を支持する人々も問題であると考える。例えば、姉の結婚当日、私の父が友人に、娘の結婚のために莫大なお金を使うということが非常に辛いことであると言ったところ、彼は、自分よりも社会的地位の高い家族へ娘を嫁がせるためであるならば、一体どれだけの資金を費やしたかなど全く問題にならない、彼の労苦を実らせるのは結局娘自身なのだから、と応えたことを私は覚えている。ところで、私の両親は、個人的にはダウリーという社会悪について断固反対であった。さらに追い打ちをかけるように、デリーへ帰る道すがら、車の中で親類みんなが口を揃えて「花婿の職業地位を考えてみれば、この結婚はなんて安くすんだのだろう。彼を義理の息子として持つことは、父親にとって非常に幸運なことだ。」と繰り返し言っていた。娘の結婚が、自らの富を他に見せつける数少ない機会であるため、誰が一番多くのお金を娘の結婚の為に投資できるかという競争が親類同士の間にある。結婚の時に気前よくお金を使うということが、彼等のプライドと地位に関わる問題であると考えているのである。さらに、たとえ義理の息子がダウリーを与えるに値しない場合でも、やはり花嫁の両親は、彼等にもお金と社会的地位があるということを親類に示すために、花婿の家族にダウリーを贈る。

 インド政府が公式に禁止令を出しているにも関わらず、このような社会風土のなかで、ダウリーは今日のインド女性に対する暴力のもっとも重大な原因となっている。過去10年間で、より多くのダウリーの要求に苦しめられた女性の数は2.25倍になっており、1年あたりにほぼ4万5千件ずつ増加していることになる。多くの場合、ダウリーの追加要求は結婚後も長い間続く。毎年、6千人から7千人の女性が、要求を満たされなかった夫や義理の両親によって殺されている。多くの被害者は、「台所での事故」として偽装するために火にかけられる。その他は、毒殺されたり、バルコニーから突き落とされたり、走行中の乗り物から押し出されたりなどして殺害されている。インドの連続テレビドラマや映画では、ダウリーが要求される過程、花嫁の家族が経験する悪夢、そして花嫁が生きたまま燃やされるという異常な慣習の恐怖が描かれている。これらは大衆にダウリー制度の恐ろしさを教え、彼等の息子や娘の結婚の際にダウリーを贈ることも受け取る事もしないようにと強く促す。実際のところ、ダウリーが社会悪であるという事実を大半の人々が認識しているのだが、それでもやはり、ダウリー制度はもてはやされている。なぜ、ITという分野で最先端をゆく国の一つとして数えられるような国が、このような時代遅れの因襲的な考え方に悩まされているのか、全く理解のできないことである!

 このような違法行為に抗議するために、若い男女はダウリーの受け渡しがあるようならば結婚を拒否すべきである。特に、ダウリー制度が女性の地位を下げる原因となっていることから、女性は全力をもってこの制度に抵抗すべきである。執拗に苦しめられ、折檻にあい、もし両親が花婿とその家族からの要求に応えなければ殺されてしまうのは、結局のところ男性ではなく女性である。彼女たちは、これ以上このような不当な扱いを受けないために、反撃をはじめるべきである。彼女たちは、拒否する術を学ばなければならない。長い目でみて、女性が要求を受けいれることを拒否することが、ダウリー制度が完全に廃れるための唯一の方法である。女性は、結婚を唯一の救いとみなすよりも、学業や仕事に専念すべきである。より高い社会的地位をもつ男性を追い求める両親がいても、女性自身で自らの地位を向上させなければならない。そうすれば、男性は「結婚してくれ」と懇願しながら、こちらへ駆け寄ってくるようになるだろう。

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