韓国の女子大で僕は男らしさについ考えた

ICU在学生 : 中島聡
【CGS News Letter002掲載】

「軍隊に行って国に貢献しなければ男じゃない」昨年、韓国ソウルにある梨花女子大学に留学中、韓国人の友人の母親に言われた言葉だ。梨大(イデ)は、その名のとおり、女子大であるが、大学の交換留学プログラムを利用すれば男性も通うことができる。留学してから数ヶ月が経ち、韓国と日本では似た面が多くあると感じていときのことだった。たとえば、言語に関しても、語順は同じだし、「は」「が」「を」「も」などの助詞の使い方も同じである。しかし、男らしさの概念に関しては日本と韓国では大きく違うようだ。では、この男らしさの違いは、何からくるのか?

 その理由の1つに、兵役があるのではないかと分析する人もいる。韓国には、民族分断と、朝鮮戦争の歴史があり、現在も徴兵制が続いている。男性が19歳になると、身体検査を受けて兵役の可能な人は30歳までに26ヶ月にわたる兵役の義務がある。今も北朝鮮と接する軍事境界線上などに軍隊を配備していて、いつ戦争が起こっても対応しないといけないような緊張感の中にある。軍事境界線上にたてられている「私たちは今ここで敵と戦い勝つことができる」という看板がこのことをよくあらわしている。また、日常生活においても、ソウル市内の大きい道路には非常時に戦車が通れるように中央分離帯が存在しないなど、戦争と隣り合わせの緊張感がある。それに対して、日本には自衛隊はあるものの、正式な意味での軍隊はない。当然徴兵の義務はなく、女性であっても志願すれば自衛隊で活動することができる。しかし、日本では自衛隊に入って国の防衛に貢献することが韓国と比べて多くの人から高く評価されていないように思える。戦前の国家主義的な発想が敗戦の影響によって否定的に捉えられているからかもしれない。実際に韓国で生活してみて、韓国には、日本と比べて国を守り、女性や子どもを守る強い「男らしさ」のイメージがあると感じた。

 また、韓国と日本の男らしさの違いは儒教の影響が関連している、という意見もある。韓国は、今でこそキリスト教の勢力が強まってきているが、今も儒教の伝統や風習が色濃く残っている。儒教では、性別による役割分担がはっきりしていて、男尊女卑的な発想が強い。たとえば、韓国では結婚しても夫婦は別姓のままだが、子どもの姓は制度上父親の姓に決まる。日常生活の場面でも、韓国ではたとえ男性が年下であってもデートにかかるお金は、男性が全額支払うのが一般的である。また、韓国の女性は、恋人が年下であっても、敬語で話すということを聞いた。男性は、女性に比べて、社会的地位の高さに伴う重い責任を担わなければいけない、という発想があるのではないか。その一方で、日本でも、儒教の影響により、役割分業と男性の重い責任という意識は強い。男性はいい学校を卒業して、いい企業に就職して仕事に励んでお金を稼ぎ、家庭を守るべきとされている。この点に関しては、韓国と日本の男性を取り巻く状況は似ている。しかし、日本の「男らしさ」には、軍隊に入って自分たちで国を守らないといけないという発想はないように思える。

 韓国の若い人たちはこの「男らしさ」についてどう感じているのだろうか。私の友人である男性には、軍隊に入って人間的に成長し、1人前になることができたと語っていた。その一方で、軍隊でのいじめから逃れたいと感じる人もいれば、徴兵逃れのために肩を脱臼させ、健康診断にわざと合格できないように仕組む人もいる。女性の中にも、男性が国や女性を守るべきと考える人もいれば、他方で、軍隊から帰ってきた人を、頭が固いと評する人もいた。

 私は、約10ヶ月間韓国の女子大で勉強しながら、韓国の女性から「軍隊に行って国に貢献しなければ男じゃない」と言われた経験と、「男らしさ」について何度か考えていた。自分には「男らしさ」がたりないのか。それとも、軍隊に行きたくないという韓国男性のことや、女性が語る軍隊から戻った男性の頭の固さを考えると、「男らしさ」は身に付けるべきでないのだろうか。そもそも、国を守るのに、男も女性も関係ないのではないだろうか。そうだとすると、女性でも軍隊に入って国に貢献しないと今度は国民ではなくなってしまうのか。そして、男としての自分を否定されると違和感を覚えるのはなぜか。日本の「男らしさ」について振り返って考えることができたのは貴重な体験だったと思う。

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