「ゲイであること」フィリピンからのメール

シリマン大学 : ポール・リッチ・J・ロマノ
【CGS News Letter002掲載】

 ゲイであることは、単に性同一性障害(GID)であることではありません。そうであると自分は信じています。ゲイであることは、自然、超自然の仮説の限度を超えています。ゲイであることは、選択されません。あなたがゲイであるような気がするときに、あなたはゲイであるということを知るのです。

  成長過程である子供のときに、自分は違うと感じました。「正常な」少年が遊ぶように、騒々しいスポーツをしたり、走り回ったり、誰かの足や腕をねじったり、そういったことを自分はしませんでした。そう、自分は違うということに気づいていました。けれども、それが自分を悩ますことがないことも知っていました。自分は「bayot」(英語ではゲイという意味)と嘲笑されました。帰宅するときの大抵は、遊び友達による有害なイジメから自分を守った1、2時間後であり、涙を浮かべておりました。彼らは自分のアイデンティティーをいじくりまわしました。他のものに「病気」をうつす前に、自分は普通ではない、そして自分は死に値するという内容であるむごい言葉が自分をひどく打ちつけました。

 特別である—異常であることに近い特別—とレッテルを自分自身に貼ったとき、人生の厳格さと冷淡さを経験し始めました。自分のアイデンティティーを探し、自分自身を更によく知って、自分は何を欲し、誰の友達となり、本当に自分は誰なのかを認識する、そういうぼんやりとした場所に自分はいました。近い将来に直面する結果にだまされやすい、非常に若い年頃にとって、それは実に苦難でありました。

 初めは受け入れるどころか、過剰にゲイであるという事実を否定しました。自分は他のゲイの人たちが歳を取ることがつらくなっていくのを、また彼らが一般大衆の奇妙な物体であることを知ることができます。「あんな風には絶対ならない。」というのは、通常の衝動でありました。この場所は厳しい。自分はこう自分に告げました、受け入れることのできる何か、あるいは主流である何かに自分を再び包み込まなくてはならないと。自分は隔たりを潜んでいる本物の人生を見ました。そして痛みを伴うトラウマは今なお目に見えないと感じられます。

 安っぽいセクシーな女性のように装うゲイとのおかしい遭遇について友達は話すと、みんな一斉にこちらに振り返って、面白がってクスクスと自分のことを柔らかく笑い飛ばしました。自分が同性愛者であることに関しての批評は迷惑で破壊的でありました、そしてそれを無視するという技を自分は覚えたのでした。自分は常に、友達と毎回会うたびにやつれと衰弱を終わらせます。遭遇した全ての悪ふざけや偽りに対して、自分は驚くほどに免疫がありました。「自分の一部は薄れてきている一方、強く戦ってもいる」というのが、自分が過去に持っていたベストな表現であります。

 子供として、自分は親戚との集まりに嫌悪感を抱いていました(いまでもそうです)。彼らが自分の美しい日をだめにします。いとこたちと比べてみると、まったく「柔らか」で非常に「男らしくない」自分の行動、身振り、態度に親戚は気づいたのでした。彼らは自分を静かで従順な喜びに満ちた子供であると見ていて、彼らのどの言葉も自分を傷つけない、すべての親戚との集まりにおいて、自分は常に奇妙な物体であり、自分はそれをひどく憎んだのでした。同性愛者とあなたがからかわられること、笑い飛ばされることは、全く冗談ではないのです。驚くほど、自分は泣くことによってそれと戦いました。泣くことは、ずっと無感覚な人々に対する自分の秘密の武器でありました。前記の親戚との集まりの後で、母は何かを自分に与えるでしょう、自分の聞こえない叫びをなだめるために。母は自分が心の奥で傷ついていることを知っており、母は自分の忍耐強い共鳴板でありました。

 忘れることのできない、思わぬ遭遇は、プロテスタント系の教会での日曜礼拝の間に起きたのです。自分は聖句を暗唱し、聖書の箇所を説明することができ、聖書に出てくる重要な人の特徴などを捉えているほどの熱心な教徒であった。一人の子供が手を上げて自分を指で指し、司会者にこう質問をしました。行動が極めて女っぽい自分は教会の中に入って、いてもよいのか。神様はそんな行動をするのを見て嬉しいのか。先生は、彼を外に連れ出して叱りつけました。もう二度とこのような質問をしてはいけないと注意したのでした。自分は中央の辺りに座っていたので、日曜学校の生徒たちの中で口を尖らせている自分を捕らえました。日曜学校の生徒たち、みんなが笑い飛ばし、女々しい奴は中にいるにはふさわしくないから出て行けと言いました。司会者は急いで来て、みんなにもうこのようなことを一切自分に対してしないようにと言い、また自分は神の子であり、公平に扱われるべきであることを説きました。牧師先生の説教の最中に教会の中へと乱入をし、母のおなかの中で嘆き悲しんで沈みました。そういう日をたくさん経験しました。

 「なんで、世間は自分に対してこんなにも残酷なのだろう。」自分は気がふさいで落ちてしまうことをよく知っていました。一日中、自分の部屋に留まって、泣いて、苦い思いをし、自虐的であるというこれらの行為はちょうど即時的な自分の出力でありました。世間はむごいのでした、残酷すぎました。

 自分は自分自身を変えようとしました。自分の本当のアイデンティティーを隠しとおそうとするために、また「受け入れることのできる」あるいは「ごく普通であることの範囲内である」というレッテルを貼って調和するために、自分は自分自身を覆い隠しました。自分は最大限やりましたが、自分自身を強制すればするほど、ますます無意識的に明確になって行ったのでした。自分は大げさなゲームをしてみようとしました。例えば、自分とは逆な性に心をときめかそうと思い込んでみること、常に男らしくしてみること、遊び仲間が男っぽいと自分を見なすので周囲をいじめ始めることなどでした。うまくなじめたことが自分はうれしかったのでしたが、先ほど書いたように、自分は自分自身を強制すればするほど、ますます無意識的に明確になって行ったのでした。親戚は自分の変化を喜びました、もちろん友達も。だけれども、自分自身はそうではなかったです。他人のためとなりましたが、突然自分自身のためになっていないことに気づいたときには、自分の下手な見せかけは崩壊していきました。それらは、屈辱を味わった子供の頃のことでした。

 自分が目覚めるために子供の頃に経験したことによって、自分に多くのものをもたらしたけれども、それは一度も自分自身を知ることを止めはしなかったのでした。今、自分は自分自身を更によく、自分は何者かを知っていると公平に言うことができます。ときどき、自分は角で立ち止まり、熟考し、自分の子供の頃の思い出に対して単純に笑顔を向けます。

 現在、自分はよく近隣で「ゲイではないかと疑わられている」子供たちを見かけます。あなたは、心配から阻止することは決してできません。それらは次世代のゲイの個人であろう。同様の公共の圧迫は確かに暗闇をそれらにもたらします。自分は子供たちがいかに感じるかを知っています。自分が一度行った身振り。自分が一度専念している同じ女性のゲーム。それらのマスクは前の自分のものと全く類似しています。社会的に受け入れられるように、また「事実上」主流と見るために自分が一度使った同じマスク。

 個人的な同性愛者であるということへの改善は一晩では終わりません。懲戒は功を奏さないのです。前記の問題に関する反対の意見と無知なやり方は、ゲイの不安定さと不確実さを増すことでしょう。日々、社会ののけ者とされている人々を軽くさせるための唯一の鍵が受け入れです。あらゆる軽犯罪及び彼ら自身の行いを説明すべき

 全てはコミュニティの基本単位でスタートします。家族。親は不公平な支配を何らかで強制してはいけません。コインの裏と表の両方を見せてください。論理的に物事を十分に理解することができる正しい年齢のときに、社会的また道徳的にバイアスがかけられてねじまげられている環境の中で彼らが将来のハードルを知らされるのはふさわしいことであります。ちょうどその若い頃に、他のみんなと同じ様に責任を知ります。誰であるのかを知ることを彼らから、そして、とにかく彼らは愛されていることを見せることによって、我々は奪ってはいけないのです。我々がまさに自身を支配することを強制しないで、とにかく深刻な間違えを大目に見ないことによって、彼ら自身をもっとよく知るための正しい場所と時間を我々が彼らに与えるということを心に留めておいてください。

月別 アーカイブ