ICU学部 : 川坂和義
【CGS News Letter003掲載】
2004年10月21日、ICUにおいてアン・ウォルソー先生と殿村ひとみ先生による共同シンポジウムが行われた。今回のシンポジウムは、発表者と参加者が活発に意見を交換できるような和やかな雰囲気で行われた。二人の議論は、今まで私が知っていた日本史とは全く違った歴史像を展開していった。
ウォルソー先生は、「大奥と民衆文化」というテーマで、経済活動、双六などの江戸時代の遊び道具、浮世絵などを通して大奥が民衆文化の中でどのように受容され、影響していたかを論じた。大奥は江戸時代において消費の場として大きな影響力があり、女性の憧れの場でもあったこと、そして女性しか入れないという特殊な場であったため民衆の想像がかき立てられる場所であった。最近、日本でドラマ化され流行した大奥像が「女だけの世界や女同士の確執」といった現代からの視点で描写されているのに対し、ウォルソー氏は江戸時代の中の他階級との相互関係を分析していることが特徴だった。
一方、殿村先生は、「体と傷で作る『男らしさ』:『太平記』に描かれた戦場のドラマの中で」というテーマで、『太平記』の中でマスキュリニティがいかに構築されているかを論じた。殿村先生は、まず日本の歴史研究でジェンダーの視点からのアプローチがまだ十分に行われていないことを指摘して、『太平記』から侍社会のマスキュリニティを「戦争の可能性のある男性性」の例として分析していった。
まず最初に、戦場における男女の関係性という視点から、『太平記』において戦う主体と戦うとみなされていない主体がどのように表象されているのかという視点から論じられた。殿村先生は、『太平記』では戦場に女性を連れた男性は必ず不名誉な死を遂げていることを指摘して、『太平記』のこのような記述は戦場に女性を連れ込むことを諫める機能をしていることを挙げた。戦場は、男性のみの特権的な場所であり、汚した者は不遇な死を遂げていることから、神聖な場でもあったとしてもよいだろう。
次に、傷つく体の意味性では、実際の鎌倉時代の証文を取り上げて、体についた傷を戦場への貢献とみなされ、証拠として大きな意味が付与されていたと語った。また、『太平記』は、『平家物語』と比べて登場人物たちが受けた傷やどのように死んだかが密に記されており、傷に付与される意味は『平家物語』時代よりも大きかったらしい。傷は戦場で作られるマスキュリニティのシンボルなのだ。
最後に戦争にかき立てる大義では、戦場で敵と戦うときは自らの名前を語ることや切腹するときに先祖や後世の人間のためと自らに意味づけをしていたとして、侍たちが戦場へ赴く大義が作られていたと分析した。
私が殿村先生のレクチャーを聞いて興味を持ったのは、殿村先生が挙げた三つの視点、男女の関係性、意味を作り出す身体の傷、戦争へ赴く大義といったものは、中世日本の武士社会でマスキュリニティを構築する装置として機能していたと考えられるからだ。そして、これらのマスキュリニティの装置は、現代でも通じるのではないだろうか。このような装置が露骨に現れるのは、現代でも同様に戦争のときだろう。例えば、イラク戦争開戦時では、最も注目された対立は、戦争そのものが手段として有効か否か、経済活動にどのような影響を与えるか、新たな安全保障などではなく、アメリカ―フランス間での<大義>の駆け引きだった。また、『太平記』では、戦場は女性が入ってくるべきものではなく、命や身体を傷つける可能性はあるが、報償を得たり先祖や子孫たちに永遠の名誉を残す可能性のあるような神聖な場所であったが、同様に現代でも国家に忠誠を尽くす場所として神聖視される。特に戦場にいる兵士たちは決して貶めてはならない存在である。このことは、アブグレイブ刑務所での虐待事件が起こっても兵士に対する批判が中心にならなかったことや、CNNのニュース編成責任者がイラク米軍を批判したと取れる発言によって辞職せざるをえなくなった最近の事件がよく表しているのではないだろうか。
だが、中世日本におけるマスキュリニティ構築の装置としての大義と現代のものとは、作られ方が違うのではないかとも感じた。殿村先生の議論を聞いた印象では、中世日本では、大義は自分によって自分自身に与えていたように思える。たとえば、戦場に就くときの自分自身による宣言や、切腹時の理由付け、時世の句などである。現代では、もちろん自分自身による意味づけも行われるが、中心となるものは、情報戦や政治の舞台の中で作られ、そして兵士に与えられるものであるように思える。この例は、上記で挙げたイラク戦争開戦時のアメリカ―フランス間の<大義>の駆け引きのみならず、戦争の賛成派・反対派間でも同様に戦争に大義を与えるか、もしくはそれを奪うかといったように行われている。大義が個々人の下にないのが現代の特徴ではないだろうか。
殿村先生とウォルソー先生のシンポジウムに参加して思ったことは、歴史から現実を問い続けることの重要性である。歴史に真摯に向き合うこと、歴史そのものを考察すること、歴史の中から現代を見つめることは、現代を多少なりとも相対化し、変化の機会を与える力となる。歴史を単に教養や教訓や知識を引き出すためのものとするのは、大きな損失となるだろう。