科学と女性:ロンダ・シービンガー講演会

大阪大学大学院 : 久保田裕之
【CGS News Letter003掲載】

0504011a.jpg

 医学や生物学のような客観的な自然科学の領域にまでジェンダーの視点を持ち込むことは、科学とは何かを解さない社会科学者の越権行為なのだろうか?科学とは何か、客観性とは何かを考える上では、認識論や科学哲学といった視座が不可欠となってくる。

 2004年12月20日、ICUで科学哲学を受け持つ村上陽一郎先生の司会のもと、『ジェンダーは科学を変えるか?』『科学史から消された女性たち』などの著作で女性にとって科学とは何であったかを世に問う著名なフェミニスト科学哲学者、ロンダ・シービンガーさんの講演会が催された。タイトルは「エキゾチックな中絶薬:18世紀大西洋世界の植物をめぐるジェンダー・ポリティクス」。一般に科学とは呼ばれない個々の文化に特有な知識体系を「エスノサイエンス」と言うならば、避妊や中絶といった生殖に関する「エスノサイエンス」が、西洋医学によって(すなわち科学の名の下に男性の医者たちによって)排除され女性の手から取り上げられる以前に、いかにして実践されていたか。当時実際に中絶薬として用いられてきた植物の種の一粒から解きほぐしていった。講演の最中にフロアに回ってきたその種を実際に手に取ると、ぞくぞくと不思議な気持ちが込み上げてきた。講演に続く質疑応答では活発な意見が交わされ、現代における媚薬やピル、バイアグラのような性と生殖に関する医学・生物学の知と、生の政治についての議論が行われた。

 中世の封建的で家父長的な時代から近代化によって女性が高等教育や学問の世界に進出できるようになった、という見方は現実を半分しか捉えていない。意外にも近代以前には女性に対しても開かれていた学究の道は、近代の入り口で冷たく堅い扉を閉ざした歴史を持っている。職業としての学問もまた、公私二元論と性別役割分業とは無縁ではなかったのだ。シービンガーさんはまた著書の中で、西洋科学もまた抽象性と形式性というヨーロッパ的な価値に基づき、文化的中立性を極度に重んずる「エスノサイエンス」の一つに過ぎないという科学哲学者サンドラ・ハーディング議論を紹介している。科学の有用性を低く見積もるつもりはないが、西洋科学もまた近代と西洋という二つの文化的歴史的な基盤の上に成り立っていることを忘れてはいけない。長らく、ジェンダーは「生物学的性別に対する社会文化的性差」と定義されてきた。しかし、生物学もまた私たちの社会と文化の産物なのである。

 講演の最後に、彼女は自分の著書のタイトルについて本来なら「フェミニズムは科学を変えるか?」と訳すべきところを「ジェンダーは科学を変えるか?」と改めて出版した経緯を話してくれた。「フェミニズム」では偏った意見のようで本が売れないと、日本の出版社に言われたのだそうだ。私たちの住む時代の、中立性・客観性に対する神話はかくも根深い。ジェンダー研究の果たす役割はこれからますます重要になるだろう。

月別 アーカイブ