ICU卒業生 : 吉成愛子
【CGS News Letter003掲載】
卒業論文の中で「性産業と旅行産業」の関係を取り上げたが、論文を提出したあと実際に現状を見たいという思いに駆られ、フィリピンとタイの実情を約3週間かけて見てきた。アンへレス(フィリピン)のバリバゴ地区では英語や日本語の看板が溢れ、バンコク(タイ)のタニヤ通りは銀座や歌舞伎町をそのまま持ってきたような通りであった。まさに外国人を客層とした性産業がそこにはあった。法律上、性産業で働ける最低年齢は18歳となっているが、18歳と答える子の中にはもっと幼く見える子もいた。出生証明制度の整っていない田舎から来た子は年齢をいくらでも偽れる。店も客も若い子を求めているのだ。バーに30分いただけで3人の女の子からレディースドリンク(彼女たちの収入源)を「おねだり」された。注文さえすれば基本的に触り放題である。富を持つ人が貧しい人にお金を援助し、その代わりに性的サービスを受けるという「援助交際」が産業として確立してしまっているのである。
性的搾取は、旅行産業を通じて国際的な産業構造とも絡んでくる。フィリピンやタイで子どもを性的商業的に搾取しているのは、主にセックスツーリストとしてやってきた外国人である。彼らを受け入れるための街にあふれるのは国内企業ではなくマクドナルド、セブンイレブンと言った外資系企業の看板であるが、こうした外資系企業の利益は大半が外国に流出してしまう。元々、フィリピンやタイの旅行産業は「開発援助」という大義のもとに発展してきた。皮肉にも日本の円借款で作られた地下鉄により歓楽街へのアクセスも容易になることで、性産業を助長している。今回の訪問で、「援助」の名の下に行われる性的、経済的、商業的な搾取を身を持って感じた。
中学生の頃にテレビでロサーリオという少女を知った。親や社会から見捨てられ、薬に溺れ、ごみ山で寝止まりをするという生活をしていたストリートチルドレンである。彼女の住むフィリピン・オロンガポ市は性産業が盛んな一つの街であった。彼女は生きていくために売春をしていたがセックスツーリストから性暴力を受け続けていた。彼女は体内にバイブレーターを突っ込まれたまま数ヶ月苦しみ、命を落した。まさに性産業の負の側面を露呈した事件である。この一つの事件を契機に子どもの商業的性的搾取の問題に関心を持った。この問題はとても複雑であった。政治、経済、社会、文化など様ざまな要因が絡んでいる。卒業論文の中でアジアにおける「性産業と旅行産業」の発展の経緯を書きその解決策を提示した。この問題に関してはライフワークにしたいと思っており、机上の空論に終わらせるだけでは良くないと思い、論文提出後フィリピンとタイの現状を3週間かけて見てきた。
フィリピンとタイの性産業の特徴として外国人が客であるお店が大半を占めているという点がある。フィリピンではアンヘレスという街に滞在した。バリバゴと呼ばれる地区にゴーゴーバーが集中している。ゴーゴーバーとはビキニ姿の女性が音楽に合わせて踊っているお店である。アンヘレスでは欧米人の長期滞在者が多く見られた。ゴーゴーバーの作りもラスベガスをモデルにしたような豪華な作りとなっている。少なからず日本人もおり、多くは退職ビザを取って老後の生活の場をアンヘレスに選んだ人たちであった。一方、タイはバンコクがアジア一、いや世界一の歓楽街となっている。パッポン通り、タニヤ通りが代表格であろう。タニヤ通りは銀座や歌舞伎町をそのまま持ってきたような通りであった。高くそびえる看板、溢れる日本語の看板、居酒屋風のお店など日本人が親密感を感じる作りとなっていた。また欧米人が好むとされているゴーゴーバーは無く、居酒屋、クラブ、マッサージパーラー、パブなど日本的な性産業のお店が多かった。ほとんどのお店でJCBカードが使えるという点がいかにも日本人を相手にしていることを示している気がした。隣のパッポン通りは雰囲気を全く異にしていた。ゴーゴーバーが軒を連ね、タニヤにあったアサヒビールや日本酒の看板はハイネッケンビールの看板に変わる。どちらかと言うとアンヘレスに近い印象を受けた。
外の外観を眺めるだけではなく、実際にお店に入ってみた。フィリピンやタイで性産業に従事する人のお給料は歩合制であることが多いようだ。主に二つの収入源がある。一つはレディースドリンク。ゴーゴーバーに入り、お目当てのダンサーやウエイトレスを見つけたらお客さんはその子のためにレディースドリンクを頼む。このレディースドリンク料の何割かが給料となる。また話しなどをして親しくなり客がその子をお持ち帰りしたい場合はバーにバーファイン(お持ち帰り料金)を支払わなければならない。このバーファインの何割かも給料となる。つまりレディースドリンクとバーファインがダンサーやウエイトレスの収入源となるのである。そのためダンサーたちは自分の売り込みに必死である。激しい動きをしてみたり、視線を送り続けたりしてまずレディースドリンクを確保する。その後はお客さんと話しをしたり、お客さんに触ったり、寄りかかったりして親近感を高まらせる。お客さんもレディースドリンクを頼んであげた子には触り放題、話放題である。もしバーファインをしてくれなかったら最後は「お別れするのは寂しい」と泣きに入るなど必死に自分を売り込もうとする姿勢がどのバーでも見られた。実際パッポン通りのパブに入った時30分ほどいただけで5人分のレディースドリンク代を払うはめになった。またゴーゴーダンサーは女性だけではない。もちろん女性客向けのゴーゴーボーイもいる。まだ数としては少ないが、ゴーゴーボーイのお店はフィリピンでもタイでも見られた。
「お水の世界」「風俗」と聞くと日本では少し後ろめたい印象を受けるかもしれない。しかし、タイ・フィリピンの性産業で働く子たちは皆明るさを持っていた。それは現場の実質的な管理者である「ママさん」(実際にこう呼ばれている)の指導なのかもしれない。売り込みの道具の一つなのかもしれない。理由が何であれとにかく明るいのである。明るさの中にはもちろん温かさもある。また性に対する寛容さも日本より深い。「オカマやオナベ」の人たちが日常生活に溶け込んでおり、受け入れられているのである。ニューハーフショーと言えば歌あり、劇ありの宝塚的なコミカルなものなのであり、家族連れも来るような日常の娯楽となっている。この寛容さ故か、どこのコンビニエンスストアでも大抵レジの横にコンドームが売られていた。現地のコンビニはセブンイレブン、ファミリーマートなどの日本企業であるが、日本では考えられないことだと感じた。こうした明るさや寛容さに客は魅了され、性産業の需要者となっていくのである。外国人相手の性産業は今やフィリピンやタイの外貨獲得産業の一躍を担っており、政治、経済界は禁止するどころかむしろ奨励する傾向にある。パッケージツアーの一部にゴーゴーバー鑑賞が含まれることもある。ある意味これが本当の「援助交際」なのかもしれない。つまり、富を持つ人が貧しい人にお金をあげ、その代わりに性的サービスを受けるという構造が産業として確立してしまっているのである。しかし、この明るさや良い印象の裏側に負の側面が潜んでいることを忘れてはいけない。バーで働くためにはIDを携帯してなければならない。IDを得るには定期的な衛生検査と出生証明書が必要である。フィリピン、タイともにバーで働く最低年齢を国内法で定めている。しかし、貧しい田舎町や山岳地帯の人たちが出生証明を持つ率は低く、年齢はいくらでもごまかせる。「自称」18歳(法定年齢)という子に何人か会ったが多くは18歳には見えず幼い印象を受けた。また定期的な衛生検査も質が低いものだそうで、性病にかかっている子が多いそうだ。こうして子ども買春の問題が「ごまかし」の中で暗躍している印象を受けた。しかし、国が性産業と旅行産業から甘い汁を吸っている以上、手を出せないのが現実なのだと感じた。同様に国内で外国人相手の性産業が大規模かつ合法的に構造化してしまっているので興行ビザの発行数を制限しても抑圧すればするほど地下にもぐって日本の性産業と外国人に関する問題がより深刻化する懸念を抱いた。
こうして性産業と旅行産業の関係を目の当たりにしたのだが、新たな発見もあった。「宗教」である。フィリピンはキリスト教国でタイは仏教国である。まったく異なる宗教の文化の下に同じように性産業が発展しているというのはどういうことなのだろうかと考えさせられた。結論から言えば「宗教は果たして性産業にとって良いのだろうか」という疑問がつきまとうことになった。例えばフィリピンではカトリックの教えにより中絶ができない。そのため大家族が多いのであるが、まともな収入を得られる職は少なく、子が親に捨てられストリートチルドレンになる率が高くなっている。その一例が冒頭のロサーリオである。また古くからの慣習で家庭の生計は長女が背負うため長女が兄弟の学費を稼ぐために性産業に就くことも多い。タイでは仏教を重んじる王朝下で古くから一夫多妻制度が取られてきた。ここに性産業が発展する土壌があるような気がする。実際パッポン通りの入り口に小さな釈迦像が奉られていた。宗教は人を救済すると言われているが、性病、ストリートチルドレンなどの問題を含む性産業を助長している宗教は果たして「救済」なのだろうか。
今回の訪問で「搾取」を身を持って感じてきた。それは性的搾取だけにとどまらず経済的、商業的な搾取でもある。フィリピンのアンヘレスではりんご一つ25円、腕時計一個40円、お米1キロが100円、死亡時の保険金(=命の値段)が10万円、そして女の子が3000円で買えるのである。しかし、とある求人票によるとゴーゴーダンサーの日給は約300円+歩合であった。決して稼げる職業ではない。確かに性行為は古くからの人間の営みである。それを「産業」とすることに問題を感じているのではない。富のある者が貧しい国でお金を使い、人間の性を買うという構造の中の搾取的な性質に問題を感じている。元々、旅行産業は「開発援助」という大義のもとにフィリピンやタイで発展してきた。貧しい国は外貨ほしさに外国人需要者のニーズに応えようと必死になっている。皮肉にも日本の円借款で作られた地下鉄によりタイの交通が便利になり歓楽街へのアクセスも容易になった。しかしその結果が性的商業的搾取となってしまったのである。暴力を含む性的搾取の結果、第二のロサーリオが生まれる可能性だってある。完全に構造化してしまったこの「援助交際」をあなたはどう思いますか?