報告:東京レズビアン&ゲイパレード2005

匿名
【CGS NewsLetter 004掲載】

 2005年8月13日、東京レズビアン&ゲイパレード2005が3年ぶりに帰ってきた。会場である代々木公園イベント広場には午前中から多くの人がつめかけ、パレードのために仮装した人々や出店で非常に盛り上がっていた。パレードのプレ企画として行われたシンポジウム、「HIVのリアリティが変えるもの~HIVの予防とHIV陽性者の生きやすい社会について~」が行われ、年々増加していくHIV感染者の中での、ゲイ・バイセクシュアル男性間におけるHIV感染について、活発なディスカッションが行われた。

特に、ゲイ向け雑誌である『Queer Japan Returns』編集長の伏見憲明氏が次のような問題提起を行った。これほどHIV問題が深刻化し、緊急課題となるなかで、依然としてゲイ男性の間でのHIV感染が多いとされ、このまま原因究明を先送りにし続ければ、エイズは異性愛者にも同じくらい深刻に蔓延している病気であるにもかかわらず、あたかも同性愛者がエイズの根源なのではないかという誤解が広がり、ゲイのイメージが今まで以上に悪くなってしまう恐れがある。HIVが男性同士のセックスで媒介されることになっていたという歴史的経緯を踏まえ、それを疑問に付すと同時に、これからはゲイコミュニティの内外を問わず、問題化されるべきだという指摘が印象的だった。つづいて行われた「私達のエイジング~婚姻制度の外で年齢を重ねるということ~」では、50代のゲイ、レズビアン、シングルの3人が自分達らしくどのように年を重ねてきたかについて講演した。彼らは婚姻制度に縛られず、自分なりの性を自由に選択して生きてきたと話していた。これらのシンポジウムが終わり、各フロートが紹介された後、トランスジェンダーである世田谷区議員の上川あやさんと、大阪府議員で、レズビアンであることをカミングアウトした尾辻かな子さんを先頭に、思い思いの出で立ちをしたパレード参加者が位置についた。3年ぶりに行われるパレードの気運が一層高まるなかで、私はICUのジェンダー研究センターの人たちと共に列の先頭である第一フロートに整列した。「同性婚の実現を」というプラカードの横で、私もレインボーの旗を身体に巻きつけるなどして、今か今かとパレードの始まりを待ち構えた。そして遂にパレードが始まった。係員の「いってらっしゃ~い」の掛け声と共に、みな勢いよく出発。思わず私も「いってきま~す!」と叫んでしまった。上川あやさんの「私達はゲイ、レズビアンです...」というかけ声に先導されながら、私はパレードの音楽にリズムを合わせて身体を動かしたり、叫んだり、写真を撮ったり、沿道の人に手を振ったりとノリノリで楽しんだ。実際、参列者側がこんなに楽しいとは思いもしなかった。私はパレードに参列する前は、政治的なデモのようにして自分たちの意見を主張するのかと考えていたのだ。それがこんなに陽気に楽しくメッセージを伝えるとは、意外であった。沿道の人の反応はさまざまだったが、パレードをにこやかに見送ったり、参加者に手を振ったりと、パレードを温かく見守ってくれる人々がいる一方で、無関心に素通りしたり、怪訝な表情でパレードを見ていたり、こちらに向かって中指を立てるなど、このパレードに非容認的な態度をしめす人もみられた。大半の人は「へえ~こんなパレードあるんだ」と好奇の目でパレードを見ていたように思う。こうして、代々木公園から渋谷、表参道を40分ほどかけて歩き、「おかえりなさ~い」の声に迎えられ、代々木公園まで戻ってきて終了となった。

 今回のパレードで私が最も注目したい点は、このパレードの「意味」についてである。このパレードは一体どんな意味を持っていたのか。まず、セクシュアルマイノリティにとっては、パレードに参加することで普段よりもより自分たちの持つ多様なセクシュアリティをオープンに主張できるという点が考えられる。そのため、日本では依然として受けいれられにくい自身のセクシュアリティに自信を持てるようになる。これはとても重要な問題であり、パレード開催の最大の意味であると私は思う。もう1つは、このパレードをマスコミの報道や実際に沿道で見ることで、自分と同じ人々がいるのだと改めて実感できる、パレードに参加していないセクシュアルマイノリティの人々にパワーを与えることができるという点である。実際一部のテレビニュースや新聞などでパレードが取り上げられた。これもかなり重要な点であろう。このように、セクシュアルマイノリティにとってパレードの占める役割は大きい。

 では、マジョリティにとってのパレードの意味とは何なのだろうか。まず、このパレードでアテンションを集めることで日本にも(特に東京にも)こんなに多くのセクシュアルマイノリティがいるのだということを知ってもらうことができるという点が挙げられる。もちろん、全員が全員セクシァルマイノリティに対して寛容であるわけではなく、中には当然彼らを理解できない、気持ち悪いと感じる人もいるかもしれない。だが、このパレードによって、セクシュアルマイノリティに関して無知・無関心である人々にも彼らの存在を知ってもらい、少しでも彼らの存在を考えさせる事が重要だろう。ここで、彼らの存在を知る事が、逆に差別を助長してしまうのではないかと言う人々がいるかもしれない。確かに、実際ゲイやレズビアンといった人々の存在自体を全く知らないという状態が人々の間で維持されるならば、パレードで彼らの存在をアピールする事によって、今まで無知であった人々が彼らの存在を知り、彼らの事を嫌悪するかもしれない。また、彼らがメディアやマスコミに頻繁に登場するようになる中で、このようにTVなどのメディアを通して見るセクシュアルマイノリティは往々にして、自分とは別次元に生きるバーチャルな存在として捉えられがちである。こうした彼らに対するイメージはネガティブな先入観や偏見を生み出しやすく、また、彼らに対するでたらめな噂や言説を信じさせかねない状態にある。

 そこで、このパレードが真価を発揮するのだと私は思う。つまり、このパレードは、人々にゲイやレズビアンの本来の姿をしっかりと認識させるきっかけになるのである。その結果、パレードを見た人々にとってもはや彼らはバーチャルではなく、自分の身近な存在として、より正確に捉えられるのではないだろうか。ここに、マジョリティにとってのパレードの意味があるのではないか。私の場合も、自分の高校時代の友人や大学で知り合った友人がレズビアンやゲイであった事で、彼らのセクシュアリティに対する興味増しただけでなく、自分を含め、セクシュアリティ全般に対しても関心を持ったという経験がある。彼らは当初私に自分達のセクシュアリティのことを隠しており、私を完全に信頼してくれるようになって初めて、カミングアウトしてくれた。私はその時自分に打ち明けてくれた事に対する嬉しさを感じると共に、今まで彼らが自身のセクシュアリティをオープンにできなかったつらさを考えた。勿論、彼らは自分達のセクシュアリティを決してネガティブに捉えているわけではない。しかし、世間(特に家族)には自分のセクシュアリティを積極的に言う事ができない。「隠す」というわけではないが、自分から積極的に言う事はためらうそうだ。それはやはり、現在の日本ではまだセクシュアルマイノリティを受け入れる土壌が完全には育っていないためであろう。自分が同性愛者であるというだけで「変」だというレッテルを貼られてしまう...こんな環境では自分の性をオープンにできないのも当然である。実際に私は今回のパレードに参列する前と後で彼らに対する印象が全く変わらなかった。それは私の友人がセクシュアルマイノリティであり、彼らを見慣れていたからという理由では決してない。私は多くのパレード参列者と話したが、彼らは私と同じ陽気なお兄さんお姉さんだった。世間で言われているように、彼らを「気持ち悪い」とか「変」な人とは思わなかったし、思えなかった。いつからそんなデマが信じられるようになったのであろう。彼らときちんと向き合いもせず、自分たちと異なるセクシュアリティを持つというだけで、差別する社会に対して私は憤りを覚えた。だからこそ、私は今回のパレードで少しでも身近に世間的な「普通」とは異なるセクシュアリティを持った人々を実感して貰う事で、彼らに対する間違った先入観や偏見をなくして欲しいと思う。そして、将来的にはどんなセクシュアリティの人達でも皆が一緒に自分たちのセクシュアリティのことを話題にして楽しめる世の中が来れば良いなと切に願う。これは現段階では理想論にすぎないかもしれない。だが、私は彼らが、マジョリティにとっていかに身近な存在か、私たちと全く変わらない人たちなのだということを文章や会話を通じて人々に伝えるなどによって、この理想を単なる理想論に終わらせるのではなく、実際に実現させるためにこれからも何らかの形で活動していきたいと思う。今回のパレードに参加し、私はその思いを更に強くした。

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