明治大学法科大学院 : 名取克也
【CGS NewsLetter 004掲載】
『ジェンダー法学』という分野をご存知でしょうか。学問としての歴史はまだ浅く、2003年12月に「ジェンダー法学会」が発足したばかりです。そして、司法制度改革の一環として2004年度からスタートした法科大学院の一部には、ジェンダー法学を扱う科目が設置されました。
このコラムでは、法科大学院でジェンダー法学を学ぶ者として、ジェンダー法学や法科大学院に対して感じたことを書いていきます。特に、外部からはあまり見えない法科大学院とジェンダーの関係や、ジェンダー法学の授業内容などを扱います。
1.『ジェンダー法学』とは?
まず、ジェンダー法学の簡単な紹介をしておく必要があるでしょう。
東北大学大学院法学研究科の辻村みよ子教授は、ご自身の著書の冒頭で「ジェンダー法学の目的」を6点挙げています。
① 法学におけるジェンダー問題の発見・探求・分析・啓発
② 司法・立法等におけるジェンダー・バイアスの発見・分析・批判・解消
③ ジェンダー視点からの法構造(人権原理・主権原理)の再構築・理論化
④ 法実践(訴訟等)への理論提供・支援
⑤ ジェンダー・センシティヴな法曹の要請・教育等
⑥ 政策提言や立法提案
〔辻村 みよ子(著)「ジェンダーと法」(不磨書房・2005年)13頁〕
つまり、これまで積み上げられてきた法学の理論などをジェンダーの視点から再検討し、そこから発見されたジェンダー・バイアスを是正するとともに、今後はジェンダー・バイアスを含んだ法学研究・司法判断・立法政策などが行われないようにすること、これがジェンダー法学の主な目的・使命です。
他方、このような説明に対して、法律家(弁護士など)から反論が提起されることがあります。それは「日本は憲法第14条と第24条で性差別の禁止と両性の本質的平等を規定しているし、他の法律は第二次大戦後の大改正で差別規定を改めた。だから法学や司法にジェンダー・バイアスは存在しない」というものです。いまだに、司法関係者の間ではこのような考え方が根強く存在します。確かに、日本国憲法が根底にある法律学は、差別などを厳格に排除しているイメージを持たれがちです。しかしながら、この『幻想』が長年強い影響力を及ぼしていたため、実際には存在していた司法におけるジェンダー・バイアスが表面化してきませんでした。憲法制定から半世紀以上経過した現在になって、やっと日本でも法律家が自己の反省と再検討を開始したところなのです。
2.ジェンダー法学と法科大学院の関係
法学や司法がジェンダーの視点から再検討されるのと並行して、法曹人口の拡大や市民に開かれた司法をめざす司法制度改革も進行していました。例えば、裁判所のユーザーは一般市民であるはずなのに、市民が利用しにくく分かりにくいシステムになっているとの批判や法曹三者(弁護士・裁判官・検察官)の人数が少ないので裁判が迅速に進まないとの批判などを受けて検討された改革です。その一環として、法曹人口を拡大すると共に、多様な人材を法曹界に取り込む目的で2004年度からスタートしたのが、法科大学院(ロースクール)です。2005年度にも新たに6校が設置され、全国74校になりました。
そこで、何校の法科大学院にフェミニズムやジェンダーに関連した科目が設置されているのか、各校のホームページ等から分かる範囲で調査を行いました。その結果が、以下のグラフです。
ジェンダー法学やフェミニズム法学が開講されているのは18校で、全体の約24.3%に過ぎませんでした。その他、(法律と関連されない形式の)ジェンダー論などを単独で開講しているのが2校(約2.7%)、ジェンダー関連の科目を一切設置していないのが52校(約70.3%)、ホームページ上からカリキュラムの内容が確認できなかったのが2校(約2.7%)でした。インターネットによる個人的な調査ですのでカバーしきれない部分が多少あるかもしれませんが、約7割の法科大学院でジェンダー論などに触れる機会がないことは確かです。1999年に施行された男女共同参画社会基本法が、その前文で「男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題」と宣言していることを踏まえると、随分寂しい調査結果となりました。
その原因としては、①ジェンダー関係(特にジェンダー法学)の講義を担当できる人材が十分確保できないこと、②法科大学院が設置を要求されている必修科目が多すぎて選択科目の増設に手が回らないこと、そして何より③法科大学院が開設されるまでの準備期間が短すぎたことが挙げられます。とはいえ、司法におけるジェンダー・バイアスの是正や男女共同参画社会の実現が「最重要課題」に位置づけられている以上、法科大学院におけるジェンダー教育は早急に整備する必要があると思われます。
3.法科大学院生のジェンダー感覚
では、現在法科大学院に在籍している学生は「ジェンダー」に対してどのような印象を持っているのでしょうか。一つの例として、私の所属する法科大学院で耳にした学生の発言をいくつかご紹介します。
●「ジェンダーは専業主婦を否定する考えだ。それを推進するなんて(専業主婦である)うちの母さんに失礼だ」
●「アファーマティブ・アクション(ポジティブ・アクション)は、逆差別の恐れがあるから憲法違反である」
●「ジェンダーは男が悪者にされそうだから嫌だ」(男性の発言)
●(「ジェンダーと法」を履修する男性に対して)「どうして男がジェンダーを勉強するのか?」
これらは私自身や「ジェンダーと法」の受講生が聞いた実際の発言です。学生に限らず、教員サイドにもジェンダー感覚に乏しい方がいることは否定できません。
ちなみに「アファーマティブ・アクション(ポジティブ・アクション)」とは、歴史的に差別を受けてきた人達に対し、これまでの不平等状態を改善する目的で暫定的な優遇が与えられることです。日本語では「積極的差別是正措置」などと訳されます。例えば、性差別に対するアファーマティブ・アクションでは一時的に女性が優遇されるのですから、一見すると「法の下の平等や両性の本質的平等を定めた憲法に違反する」ように思えます。しかし、アファーマティブ・アクションは男女の不平等な力関係を平等にするための措置であり、いわば“男女間のギャップ”を埋めているに過ぎません。従って、これは憲法違反ではないとするのが憲法学の多数説です。〔芦部 信喜(著)・高橋 和之(補訂)「憲法[第三版]」(岩波書店・2002年)125頁参照〕つまり、アファーマティブ・アクションを全て憲法違反とする上記院生の発言内容は、間違っているのです。
また、これは私が法科大学院の受験生だった時に遭遇したことですが、ある法科大学院の面接試験で私が「ロースクールに入学したら、ジェンダー法学を学びたい」と言ったところ、面接官から「いやぁ、ジェンダー法は女性の法律家が活躍する場だからねぇ…」という言葉が返ってきました(結局その法科大学院には入学しませんでした)。
もちろん学生全員がジェンダー感覚に乏しい訳ではありません。詳しくは後述しますが、明治大学法科大学院は「ジェンダーと法」の配当単位が日本一多いことからも分かるように、ジェンダー法学教育に力を入れています。日本で一番熱心なロースクールでも、学内でこのような発言が聞かれるのですから、ジェンダー論などに一切触れないロースクール生のジェンダー感覚は、一体どうなってしまうのでしょうか…。
4.「ジェンダーと法」の授業内容
法曹や法科大学院とジェンダーの関係性や現状について書いたところで、実際にロースクールではどのような授業が展開されているのかを、明治大学法科大学院(以下、「明大ロー』)を例にしてご紹介します。
「『ジェンダーと法』が開講されている」といっても、その設置状況や配当単位は法科大学院によってまちまちです。2単位分(全15回)という設定をする法科大学院が大多数ですが、明大ローは8単位分(全60回)の授業が2・3年次に配当されています。具体的には、「ジェンダーと法Ⅰ」から「ジェンダーと法Ⅳ」まで4種類の講義(各2単位分)が開講されており、ⅠからⅣまで順に履修していくことが理想とされています。
各講義で扱われる主な内容をまとめると、以下のようになります。
ⅠからⅢの授業は、ジェンダー法学の法律実務をリードしてきた角田由紀子弁護士が担当し、既に法律の世界で問題とされているジェンダーの項目を扱います。Ⅳの授業は、法哲学などを講義している土屋恵一郎教授が担当し、従来法律が無関心だった領域の問題を取り上げています。
ジェンダー法学に関するほとんどのテーマをカバーしているこのようなカリキュラム編成は、配当単位が少ない他の法科大学院には存在しません(その点で、明大ローのカリキュラムは独自性が強いと言えます)。それは、あくまで選択科目のひとつとして開講している他の法科大学院と、「男女共同参画社会の形成に貢献する法曹の養成」を理念のひとつに掲げる明大ローとの、スタンスの違いかもしれません。前述の通り全8単位分が確保されていることにより、各回の授業で扱われるテーマについての議論が活発になったり、教員も学生も自らの経験を踏まえた意見を述べたりするなど、双方向性の授業が可能になっています。
5.法科大学院におけるジェンダー法学教育の問題点・改善点
さらに一歩進んだ話として、現在のジェンダー法学教育の問題点と今後の改善点を考えてみます。まずは問題点をいくつか提示してみましょう。
【①:ジェンダー系科目はあくまで選択科目なので、履修しなくとも卒業できる!】
法科大学院は法曹を養成する機関なので、法律科目が必修なのは当然です。ただ、どの法科大学院も必修科目があまりに多いため、ジェンダー系科目や一般教養科目は自由選択科目とするのが精一杯のようです。そうなると、ジェンダーを学ばなくとも卒業できるのですから、たとえジェンダー系科目が設置してある法科大学院を卒業したとしても、ジェンダーに関する知識を持っているとは限らないことになります。これはジェンダー教育に重点を置いている明大ローにおいても、同様です。
【②:ジェンダー系科目の履修者は少ない!】
それでは、その選択科目のひとつであるジェンダー系科目を多くの学生が履修するかというと、そうではありません。法律科目の学習に必死な法科大学院生は、負担の大きい選択科目を回避しようとする傾向があります。それに、法科大学院生には男性が多いことも少なからず影響して、何となく“男性が敵”とされているという先入観のあるジェンダー系科目はいまいち人気がないのです。
実際、昨年度(1年目)は「ジェンダーと法」の履修者が一桁でしたし、他の法科大学院では履修者が1人もおらず、開講できなかったところもあります。現在、在籍者が倍になった今年度(2年目)の明大ローでは、「ジェンダーと法Ⅰ」の履修者は20名以上います。ちなみに、この人数の増加に一番驚いていたのは、担当教員でした。
上記2つの問題点の解決方法としては、ジェンダー系科目を選択必修科目にすることや、必修科目の一部に組み込むことが考えられます。例えば、法科大学院の必修科目に「法曹倫理」という授業があります。これは、法曹三者として今後活動するにあたり、留意しなければならない倫理などを扱うものですが、ジェンダーの感覚・視点も法曹として活動するのに必須の要素ではないでしょうか。この点を明確にした上で、法曹倫理の中にジェンダー視点を扱う内容を組み込めば、法科大学院生は必ず一度はジェンダーの世界を目にすることになります。
今すぐにでも実行すべきアイディアですが、法科大学院のカリキュラムは設立後3年間変更してはならないことになっています。残念ながら早くとも2007年度からの話になるでしょう。とはいえ、既に一部の法科大学院ではカリキュラム改訂の検討を始めていると考えられるので、今からこのようなアピールを行っていく必要があります。
【③:新司法試験の選択科目に入っていない!】
ジェンダー系科目が冷遇され、人気がない理由がここにもあります。ジェンダーを学んだところで新司法試験に出題されないので、学生は積極的にジェンダーを勉強する意味を見出せず、法科大学院側もジェンダー教育に力を入れる必要はない(少なくとも合格実績には一切関係ない)のです。
新司法試験はまだ実施されていませんので詳細は不明ですが、2005年8月に実施された新司法試験プレテスト(法務省主催)で選択科目とされたのは、知的財産法、労働法、租税法、倒産法、経済法、国際関係法(公法系)、国際関係法(私法系)、環境法の8科目です。
法律に関する知識がない方にとってはピンとこないかもしれませんが、これらに共通するのは「ある程度の歴史を持つ領域」だということです。しかし、歴史の長短と新司法試験への必要性は、本来無関係であるはずです。
ジェンダー法学も、今後は新司法試験の選択科目として採用されるよう、アピールをするべきでしょう。それには、有力な説得材料として何問かモデルとなる論文問題を作成し、その採点基準や採点方法も決めた上で訴えていく必要があります(客観的採点が可能でないと、新司法試験への採用は難しいからです)。この辺りに関しては、ジェンダー法学会などが中心となって活動すべきだと思います。
【④:将来の法曹としての活動に、必要だと思われていない!】
学生から人気のないもうひとつの理由は、ジェンダー法学が「将来の弁護活動に何か役立つのか?」と疑問視されている、つまりジェンダー法学の重要性や必要性が理解されていないことです。
例えば明大ローでは、新司法試験に採用されていない科目である「医事・生命倫理と法」という講義を設置しています。ⅠからⅣまで全8単位分が配当されていること、その道の第一人者が担当教員になっていること、そして新司法試験には一切関係ない科目であることまで、「ジェンダーと法」と共通しています。ところが全く異なる点は、「ジェンダーと法」に参加する学生は20名程度だったのに対し、「医事・生命倫理と法」は時間割の変更などが検討されるほど、履修登録者が多く集まりました。この人数差の意味することこそ、将来の活動に役立つか否か(端的に表すと「将来飯を食えるかどうか」)に関する、認識の差だと思うのです。この点は、同じ法科大学院生として理解できないこともありません。
以前、ある弁護士から「ジェンダー法学の必要性は、現場に出てみると分かる」と言われたことがあります。その発言の裏には、「ジェンダー法学の必要性は、現場に出てみないと分からない」という意味が含まれている印象を受けました。しかし、現場に出てからその必要性を痛感したところで、それから仕事の合間にジェンダー法学を学ぶことは相当な負担になりますし、十分な知識を得るのは容易ではありません。
現場に出てその必要性に気づくならまだしも、全く気づかない法律家もいます。例えば、夫からDVを受けて離婚を希望する妻に対し、「あなたの我慢が足りないだけだ」と言い放つ弁護士や、水商売に従事する女性が強姦の被害者となったときに、“水商売の女性は貞操観念が低い女性”という思い込みから「襲われたあなたにも落ち度があった」と考えてしまう裁判官などが、現在も日本の司法界に存在しています。このような、無意識のうちに被害者の心に深い傷を負わせる法曹をこれ以上増やさないために、法科大学院もロースクール生も、ジェンダーの感覚が現実社会では必須であることを理解すべきです。
ジェンダー法学の関係者は、もっとジェンダー法学の必要性を周知・徹底していかなければなりません。それには、法曹関係者が自身の経験を交えてもっとジェンダーを語っていくことが重要だと考えます。
6.終わりに
法科大学院とジェンダー教育の関係を書いてきましたが、ロースクール制度もジェンダー教育も、まだスタートしたばかりです。今の段階から批判・改善をしていくことにより、少しずつでも日本の法律界・法曹界がより良い方向に向かっていくよう、私も微力ながら努力していきたいと思います。