CGS編集部
【CGS News Letter005掲載】
2005年6月14日、「『男女共同参画』に隠された問題をただす!!」と題し、参議院議員である山谷えり子さんの講演会が三鷹市産業プラザにて行われた。男女共同参画推進協議会副部会長を務め、一男二女の母でもある山谷さんによるこの会は、内容・形式ともに、まさにバックラッシュの「講演会」であった。
会場に私が到着した頃には、定員100名の三鷹市産業プラザ7階の会場の席は既に半分以上が埋まっていた。中高年以上の年齢層が一番多く見受けられたが、なかには若い人も見られ、見た目の男女比はおよそ半々くらいであった。会場の隅にはインカムをつけたスーツ姿のスタッフが複数名いて、厳重な警備を感じさせた。
講演会は、市議会/区議会議員や都議会議員、大学教授など来賓の紹介と挨拶から始まった。全体で30分ほどが挨拶に費やされ、いかに間違った“ジェンダーフリー”が世の中に蔓延しているかという話や、山谷さんの業績の紹介がされた。次に、参議院委員会で山谷さんが質問する場面が、大画面プロジェクターで二本続けて上映された。山谷さんが「過激な性教育」に関して、小泉純一郎総理大臣や中山成彬文部科学大臣に対して勇ましく質疑応答をする様は、会場に非常に強い印象を与えた。
その後ついに登場した山谷さんの「講演」は、観客の情動に強く訴えかけるかたちで行われた。山谷さんは「具体的なものごとのなかから本質的な問題を見いだす」というスタンスのもと、様々な「具体的」エピソードを列挙した。たとえば、修学旅行で男女が同じ部屋に寝泊まりする小学校があるなど、行き過ぎた「ジェンダーフリー」教育に対して警鐘を鳴らすエピソードには、多くの聴衆が驚き、そして頷いていた。しかし、その「具体的」エピソードはどれも、いつ・どこで・どのように調べられたものであるのかについては説明されなかった。配布された資料のなかにもそのようなデータはなかったため、聴衆は、山谷さんが挙げたエピソードの真偽性を確かめることはできない。
また、男女共同参画に直接的には関係のないエピソードも多く織り込まれていたことも、この講演の大きな特徴だろう。政治面では、日本における宗教教育の重要性や日中友好関係、イラクへの自衛隊派遣の正当性についてなど、山谷さんの個人的な面では夫との死別など、多くのエピソードを絡めて講演は進んでいった。
講演を終え、山谷氏への花束贈呈が執り行われた後、質疑応答もないままに講演会は「決議(案)採択」へと突入した。この講演会で「採択」された決議は、以下の3つである。
「子供に悲劇をもたらし、家族の絆を否定するジェンダーフリーを一掃しよう!」
「中高生の妊娠中絶やエイズの急増をもたらす「過激な性教育」を追放しよう!」
「男女が互いにかけがえのないパートナーとして、その特性を生かす社会が実現できるよう「基本法」を改正しよう!」
それぞれの決議案が声高に読み上げられ、「一掃しよう」・「追放しよう」・「改正しよう」の部分が会場全体で唱和された。
今回の「講演会」は、上にも述べた通り、山谷さんの提示したエピソードが追検証不可能なものであるのも大きな問題点だが、講演会全体の構成自体にも、問題があると言えるのではないだろうか。来賓というオーソリティによって山谷さんの権威に正当性が与えられ、さらに、山谷さん自身の「活躍」の様子のビデオを上映することにより、その権威性が強調される。続く山谷さん自身の講演では、強く情動に訴えるかたちで、聴衆に一方的に情報が注ぎ込まれ、最後に、会場全体の高揚感・一体感をあおりながら、スローガンの唱和が行われる。論理的にではなく感情に訴えかけるようなこの講演会の構成は、プロパガンダのテクニックを駆使したものであるといえる。
しかし、なぜ今回の「講演会」は、プロパガンダたりえたのだろうか。老若男女を問わない多くの人々が強く頷き、大きく感動し、決議を大声で唱和したのは、なぜだろうか。
家族や子どもを大切に考えて生きてきた「普通」の人たちにとって、ジェンダーの概念は、自分が今までよりどころとしてきたもの、生きてきた世界の姿を大きく変えてしまう。ジェンダーは自分は社会の「犠牲者」であると告げるものであり、これにより、これまで人生が否定されてしまうように感じられるのではないだろうか。そのことに対して不安を感じてしまうからこそ、感情に訴えかける山谷さんの「講演会」は、不安に対する拠り所として、大きな影響力を持つのではないだろうか。
ジェンダーの概念は確かに、今までの価値観を大きく突き崩し変革する。しかし、それはバックラッシュ派の言うような、「子どもに悲劇をもたし、家族の絆を否定する」ことを目的とした変革でもなければ、「中高生の妊娠中絶やエイズの急増をもたらす」教育を施すものでもない。「家族」や「男女」といった既存の制度の中で生じてきた様々な問題に光を投げかけ、その意義を問い直し、それぞれの個々人が「特性を生かす社会」を実現することが、ジェンダーの求めるものであり、政府が目指すべき新しい社会像なのではないだろうか。バックラッシュ派が市民の不安を煽るかたちでジェンダーの概念を否定する運動を起こしている状況において、ジェンダーがこれまでの人生を否定するものである、という誤解を解き、不安を解消していくことは、ジェンダーを研究していく者がなしていくべきことのひとつだろう。