フェミニズムとの出会い

北京師範大学、教育学院:林玲【CGS NewsLetter 006関連記事】

出会い:興味
 指導教官である鄭新蓉教授からご指導いただくまで、私は彼女がフェミニストであることを知らなかった。その後も、彼女とフェミニズムとの関わりが、私にそれほどの影響を与えるとは思ってもいなかった。しかし現在、私は指導教官と同じ分野に強く興味を持ち、彼女同様、フェミニストとなった。

 過去4年間、私の歩みは遅々としたものだった。まず、女性に関する研究を始めた。女性の社会的地位などの分野を取り上げた。さらに、同僚とともに鄭新蓉教授に正式な形でのインタビューを行い、女性学研究の経験について伺った。しかしながら、2002年にフォード財団によって広州で開催された中国女性学セミナーに参加するまで、私の未来が何処に向かっているのかが分からなかった。
 セミナーは、非常に大きな起爆剤となった。専門家として初めてセミナーに参加したと同時に、多くのフェミニスト研究者や女性問題に深く携わる人々と出会い、触発された。この経験を通じて、女性やジェンダー研究の抱えている問題に気付き、次第にフェミニズムの分野に足を踏み入れていくこととなった。
 艾暁明教授と学生達によって主催された「ヴァギナ・モノローグズ」という会議は国立中山大学において行われた。その講義の中で、女性の身体の陰部を見て、考え、話を聞くという経験に、強く感銘を受けた。それはあたかも、花や詩の一篇、小説や歴史の一部であるかのように話されていた。会議のイメージを繰り返し思い返すうちに、徐々に自分の考えが変わっていく事に気が付いた。しかし、公の場でこの事を話すなんてできるだろうか?何度も自分に問いかけた。しかし、セミナー後に大学へ戻ってみると、流暢ではないものの、真剣にその事を話している自分に気が付いた。振り返ってみると当時はまだ、率直に新たな考えや意見を話すことは難しかった。
 このセミナーからは、非常に大きな影響を受けた。今では詳細こそ記憶から薄れてしまったものの、どれ程衝撃を受けたかを常に思い出し、大切な思い出として心にしまっている。言い換えるならば、このセミナーこそが私にとってフェミニズムへの扉を開けたのである。

疑いから信念へ
 フェミニズムとの出会い後、人は徐々にその考えを受け入れていくものだと思う。私自身もいくつもの障害に直面したが、この研究を嫌いになることは無かった。
 第一に、中国ではフェミニストは非難されることが多い。私がフェミニズム研究に進もうとすると、心配する友人もいた。冗談で「見て、フェミニストが来るよ」と言われたり、議論の際に何か発言をすると、「フェミニストはいつも驚くようなアイディアを持っているようね」と私の見地に懸念を示されたりもした。彼らは、私の意見が合理的であるか否かも考慮しようとはしなかった。私自身は、それらに振り回されることはなかったものの、彼らの態度はやはり気になるものだった。
 第二に、それまで性差について考えたこともなかったため、何故女性がより不平等な立場にあるのかを考えなくてはならなかった。さらに、フェミニストの理論を現実世界に置き換え、性差別に直面する事もなかった。このため、研究当初はフェミニストの考えのいくつかに関しては、受け入れる事ができなかった。例えば、何故急進的なフェミニストが非常に根本的な意見を持つのかを理解することができなかった。これは、彼らの理論が何処に根ざしたものかが分からなかったからである。さらに、私のフェミニストとしての立場は、現代の社会制度を批判できるほど充分な物ではなかった。私は男性ヘジモニーが近代社会において存在しているのかどうか、ジェンダー差が本質的な男女差に起因しているのかにすら、懐疑的であった。
 とはいえ、反発することができない程、私はフェミニズムに魅了されていた。研究を進めていくと、すぐにそれを信じ、受け入れていく事となった。これを最も手伝ったのは、議論であった。私は常に友人や家族、そして自分自身と論議をしていた。この議論を通じて、フェミニズムは一層説得的となり、友人や私自身も徐々に納得していくことができたと考えている。このため、私は友人と徹底的に議論することを楽しんでいる。男性と女性の関係や、女性の現状についてなど、路上や喫茶店などでも私達はフェミニズムについて語り合っている。
 フェミニズムは、様々な物事を分析する際に便利な視点である。私は専門である教育におけるジェンダー差においても、フェミニストの枠組みを使って分析している。なかでも、私の研究を啓発してくださっている鄭新蓉教授や史静寰教授に感謝している。彼らのフェミニスト研究を通じて、社会制度や社会関係が、教育問題において重要な背景となっている事を私に気付かせ、実際の教育に対して批判的な視点を持たせてくれた。それと同時に、フェミニズムは様々な文化構造への理解に対して、常に多角的な視点を与えてくれる。

私のライフ・ストーリーへの反映
 フェミニズムは、人や社会を見る道具であるとも言える。しかしながら、他者の経験を分析する機会に恵まれた後、その視点を使って自分のライフ・ストーリーを見返すことが早急な責務であると感じた。私達は自分の生きる社会に適応するため、社会化していく必要がある。その際、社会規範は人々の内部化し、意見や行動に影響を及ぼす事となる。私自身も社会の一員として、社会化の過程の中で、社会規範に縛られている。このため、注意深く自分の考えを観察・分析しない限り、この社会を批判的に見返すことはできない。さらに、私は性差別がどのように人々、男性と女性双方に対して影響を与えるのかを経験してきた。このため、私のライフ・ストーリーにフェミニストの考えを投影させることで、現在の社会構造を理解できるのではないかと考えた。
 私は中国南部の小さな町に生まれた。残念な事に、私の誕生は家族にとって喜ばしいことではなかった。すでに姉が生まれていたのだが、「男の子がいない家族はその家系が途絶える」という社会通念のゆえに、父は次の子どもが男の子であることを期待しながらもう一人子どもを持つ事を決めたのだった。それゆえに生まれてきた私が女の子であったことは彼らをがっかりさせたのである。当時の政策によって三人目の子供を持つことは許されていなかったため、すでに姉が産まれていた私の家族にとって、私の誕生が男の子を得る最後のチャンスだったのだ。このように、私は子ども時代の早い時期に、ジェンダー差の影響を感じた。とはいえ、幸運なことに、私は学業成績によって父の性別に対する不満を乗り越え、家族からの尊敬と信頼を得ることができた。
 このような、ジェンダーに関する疑問は常に存在する。このようなことは、物質的、財産的、職能的制度など、何処にでも存在するのである。例えば、結婚の大きな役割は、家の血を将来に繋げる為である。政府の政策に基づき、息子を持たない家族のケースがこれを示している。中国では伝統に従い、子どもは父親の苗字を継がなければならない。しかし、息子が生まれなかった場合、この家族の苗字は子孫に受け継がれることなく、途切れてしまうのである。このため近年では、交渉次第では母親の苗字を継ぐ方法も考案された。とはいえ、実際にこれを行うケースは稀である。このため、息子のいない家族は現在でも、困難に直面したままである。この制度は若い男性に対して大きなプレッシャーとなり、子孫を作るために結婚を急がせている。したがって、この意味においては、必ずしも結婚イコール愛、という訳ではないのである。
 この近代の自由な社会において、このような現状が存在していることは信じ難いかもしれない。しかしながら、これが現実であり、私の大きな悩みの種である。友人や親戚の中には、この制度のために恋愛を諦め、家族の幸せを選ぶものもいる。これらは単に個人的なレベルでの悲劇なのではなく、男性優位な社会構造を如実に示しているのである。
 勿論、私自身の体験したジェンダー差別はさらに多くある。例えば、私は女性の博士候補生であり、結婚適齢期であるために、私の結婚は多くの人々の関心の的となっている。ライフ・ストーリーを振り返る目的は、経験を一つ一つ話す事にあるのではなく、男性優位性などの社会的制約が、私や他人、どちらの性別に対しても影響を与えるものである事を理解するためである。

行動:フェミニストとして
 フェミニストとは、単にジェンダー問題に関心を寄せるだけでなく、男性と女性(後者が一層重要である)間の平等のために、日々戦う人である事を示している。フェミニズムとは、弱者の権利のために戦い、今日の社会制度の中では生き抜くことのできない者に声を与え、思想や行動の自由のために努力する学校である。このため、フェミニストは社会的弱者である女性や特定の子ども、労働者階級とともに身を置き、不平等な社会制度と向かい合い、それを否定しなければならないのである。
 私は最近、フェミニストにとって理想的なホーム・グラウンドである北京師範大学の多文化教育研究センターに参加している。このセンターの目的は以下の通りである。
1.マイノリティ、ジェンダー、地方、貧困などに関する問題に注目すること。
2.異なる性別、地域、マイノリティの児童の教育的権利に着目すること。
3.異なる性別、地域、マイノリティの児童間での平等な教育を推進すること。
 センターのボランティアとして、私はジェンダーに関する様々な活動やプログラムに参加してきた。具体的には、小学校の女性教師に対してのジェンダーへの意識を高める活動、平等な教育に関する短編映画集、先生の行動を通じてのマイノリティの女子児童教育の向上に関する研究などを行ってきた。最後に記した研究は、鄯善とともに、中国の新疆にて行われたものであり、社会制度への理解の幅が大いに広められ、深められた。その中で、ジェンダー、マイノリティなど様々な要素が複雑な社会制度と組み合わさり、女性や少女の発達を阻害している事に気が付いた。私達は女性教師の方々に力を与えることによって、彼女達自身が教育状況や、その他の不平等な現状を改善できるよう試みた。
 この研究に際しては、私達の協力団体が予想以上に大きな力を発揮してくれた。私のチームは、主に女子学生や女性教師と同時に、困難に面している全ての人々を応援するよう努めた。さらに、チーム内の仲間にはいつも助けられた。これに加え、私のチームはフェミニストの知識や他の問題に関して議論をする際、非常に優位的であった。
 結論としては、新たな見方、物事の受け取り方を教えてくれたフェミニズムに心から謝辞を示したい。フェミニストとしての見地から、私は全ての個々人が現在の不平等な制度と戦うために、終わりのない旅をしていると捉えている。これと同時に、私は賢明に自分の人生と向かい合うための、女性としての優位を持っていると感じている。フェミニズムは私の人生を変え、今後も影響を与え続けるのだろう。
 学問探求への旅は終わりがない。フェミニズムの中でも、特にフェミニストの分析枠組みをどのように実際の社会に適用するかなど、まだまだ理解の足りない部分も多い。本セミナーが私の理解を助け、男性優位社会に立ち向かうためのネットワークを広げてくれるものと期待している。

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