報告:三橋順子氏講演会

ICU 学部:今川あい子【CGS NewsLetter 006関連記事】

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 2006年5月8日、ICUの「ジェンダー研究へのアプローチ」という授業の中で、女装家であり性社会史研究者である三橋順子さんが講演を行った。タイトルは「トランスジェンダーをめぐるセクシュアリティ」。「オブラートに包むタイプではない」というご自身による自己分析の通り、新宿の女装コミュニティのリアリティについて直截でわかりやすい説明がなされ、内容の濃い講演であった。

 一般に、生物学的な性別である「セックス」と社会的に決定づけられる性別である「ジェンダー」が一致していることは自明のことだと考えられており、その人自身の性自認はそもそも議論の対象にもならないことが多い。つまり、セックスが「男性」とされる人は必然的に「男らしく」振舞うことを社会から当然のように求められ、そうされることでジェンダー像をうえつけられてきたのである。
 その作り上げられた窮屈な社会の中で、自らに課されたジェンダーの「枠」に違和感を持つ人がでてくるのは当然であり、女装者をはじめ、トランスジェンダーの存在はその代表例と言えるであろう。「トランスジェンダー」というと、私はこのように理解していたのだが、三橋さんの講演の中で語られた「トランスジェンダー」は、この認識を遥かに超えるものであった。
 三橋さんによれば、女装コミュニティは、女装をする女装者と、女装者に魅かれる「女装者愛好男性」で成り立っているという。まず、私が驚かされたのは、この女装者愛好男性の存在である。女装者愛好男性の中には様々なタイプがあるが、ここではその中でも過剰に「女らしい」ジェンダー記号を身につけた女装者を性的欲求の対象とする「『女らしさ』愛好タイプ」の男性に注目したい。三橋さんによれば、女装者と「女らしさ」愛好タイプの女装者愛好男性の関係は、男性同士のホモセクシュアルではなく、あくまでも「(擬似)ヘテロセクシュアル」であり、それゆえにこの女装者愛好男性は、男性性器など女装者の男性性が露出することを嫌うという。彼らは、男性器の露出などがない限りは女装者の「女らしさ」を評価し、異性愛であるという認識を持つことからも、性別認識の基準をセックスではなくジェンダーにより置いているということになる。つまり、このタイプの女装者愛好男性にとっては、「女らしさ」が評価できれば、女装者でも「女性」とみなされるのである。女装者愛好男性のこのような性別認識のあり方は、社会に広く浸透しているセックス重視の性別認識の枠組みだけではなく、「個人にとって」性別がどう捉えられるのかといった、性別認識のほかの在りようがありうるのだと考えさせられた。また、「女らしさ」愛好タイプの女装者愛好男性は、性的な対象を選ぶにあたっても「女らしさ/女性ジェンダー」に比重を置くという。それならば、「女性ジェンダー」というからには一般にいう女性の方が女装者よりも当然「女らしい」はずであるので、結果的には女性が彼らの性的対象になりそうなものである。しかし、そのような予想に反して彼らが女装者を好むという点が私には新鮮であった。これは、女装者は「女性」になるために過剰なまでに「女性ジェンダー記号」を身につけており、一般の女性よりも「女らしい」からであると三橋さんは指摘する。このことから、現在、一般的な女性の中にはステレオタイプの「女らしさ」が山盛りの人が少なくなってきていることも背景にあるのではないだろうかという私なりの考察に行きついた。
 次に、女装者の性自認、性的関係について、この講演で得た私にとっての新たな知見を述べたい。私は、女装者は自身の性別を女性であると認識し、その上で男性との性的関係を築くものだと思い込んでいた。そうすれば、三橋さんが説明されたように、女装者と女装者愛好男性の関係がホモセクシュアルでなく「(擬似)ヘテロセクシュアル」な関係である、ということの説明がつくと勝手に解釈をしていた。しかし、実際は女装者にも様々なタイプがいるため、全ての人が自身の性別を女性と自認しているわけではないということであった。たとえば三橋さんによると、性別違和を感じつつも男性であることを自認し、一時的に女装して望みの性別で過ごしている女装者もいるという。また、女装者の性的関係に関していえば、三橋さんご自身は男性と関係を持ちつつも、男性は恋愛対象にならないと述べられていた。三橋さんにとって男性との性的関係は、ただ単に自身の性的な満足感を得るためのものではなく、ヘテロセクシュアルの男性を欲情させることで、自ら作り出す「女性ジェンダー」のできばえを確認する行為であり、それによって魅力的な女性に「なった」ことに満足感を得るためのものだという。加えて三橋さんは、女装者の追求する女性像(女装像)は、自身の性的な対象として好ましい女性であることが多いと説明されていた。好ましい女性に自らが「なり」、男性との性的関係でその「女性性」を確認する。それでも恋愛感情を抱くのは男性ではなく女性であるというのは、社会通念に縛られた視点からはなんとも不思議な感覚だと思えるかもしれない。しかし、自分の好きなもの、美しいものに自らを投影しこれに同化したいと思う気持ちは、誰もが自然に持つ感覚ではないだろうか。それにも関わらず、これが「女装」、つまり性の越境を意味する限り「不自然」なものと見なされるのは、性の有り様に対する考えの硬直性、性の多様性への理解不足が原因であろう。個性が尊重される時代ではあるが、画一的な性の「規範」が依然として根強く残っているという印象をもつ。
 自身の性的指向の向く女性のようになりたいと切願し、セックスとジェンダーの一致した一般にいう女性と同じように、またはそれ以上の「女らしさ」を身につけ、その「女性性」を男性との性的関係において確認をする女装者。その女装者の作り出す「女性性」に魅かれる女装者愛好男性。このどちらも一般的な身体重視の性別認識や、それに伴うジェンダー「規範」で説明しきれるものではない。三橋さんの講演を聞き、自分の性に関する認識も社会通念に囚われて狭くなっていることに改めて気が付かされた。現在当たり前であると捉えられている性の「規範」は限られた人だけをインサイダーとするものであり、その意味や妥当性は今一度問い直される必要があるだろう。男性としての人生と、「女性」としての人生の両方を背負っている三橋さんのようなトランスジェンダーの存在は、性の二極化を否定し、ジェンダーに関してより自由な感覚を多くの人に与えるきっかけとなっていくように思われる。

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