CGSスタッフ:井上有子【CGS NewsLetter 006掲載記事】【ニューズレターと同一の文章を掲載】
2006 年3 月、ジェンダー研究センター(CGS)は堀江有里氏を迎え「キリスト教と性的マイノリティ」と題した講演会を二日に渡って開催した。氏は大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程で学ぶ傍ら、日本基督教団牧師、また「信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)」代表として、性的マイノリティが直面する差別に教会内外で積極的に発言してこられた。多く教会・教派を揺るがす同性愛の問題をレズビアンであり牧師である氏に語っていただいた今回の講演は、キリスト教精神に立脚する本学にとって非常に大きな意義があった。
堀江氏はまず、教会もまた日本社会に蔓延するホモフォビア(同性愛嫌悪)と無縁ではない、寧ろ差別の温床となり得るのだと指摘された。ホモフォビアを形成する要因として、アイデンティティの自己表象としてのカミングアウトが単なる「行為の告白」として安直に認識される結果、同性愛者が包括的な、また複雑な人格ではなく、性的存在に還元されてしまう点があげられる。ECQA の代表として、電話相談によるピア・サポートを通して、「同性愛者としての自分」と「クリスチャンとしての自分(同性愛を直したいという願望、牧師の無理解、教会に行かなくてはという義務感)」の間で引き裂かれる人々の相談にあたり、教会内でホモフォビアに起因する差別と日々闘う氏は、異性愛主義(もしくはその自覚の欠如)と男性中心主義に根ざし、個々人の現状を看過した釈義論争ではなく、マイノリティにとって安心できる場の確保など、現場に立脚した神学こそが必要だと訴えられた。そのために「キリスト教は同性愛をどう見るか」から「同性愛者はキリスト教をどう見るか」へのパラダイム転換を提言。性的マイノリティが「言葉を取り戻す」ために、説明される「客体」から説明する「主体」へ、またこのパラダイム転換を促進する上で、主に原理主義者が用いる「逐語霊感説(聖書の文言はすべて逐語的に霊感によって記されているゆえに無謬とする説)」にのっとった「伝統的」聖書解釈にかわって、解釈の多様性を可能にするクィア・リーディングを紹介された。
聖書釈義は時代の制約を免れず、常に読み手または解釈者の視座、対象、歴史背景を含む。ならば、聖書の言葉に忠実に現代を生きるとはどういうことか。聖書釈義の多義性をどう理解し、信仰と行為をどう一致させるのか。真の教会の交わりはどうあるべきなのか。神学もまた脱構築と再編を強く迫られているのだと痛感した。堀江氏はしかし、講演タイトルにあるような「性的マイノリティ」全般を語ることはしない。男性中心主義、異性愛主義という社会全体を覆う価値観の中で、女性また同性愛者として二重に力を奪われる立場を「レズビアンの不可視性」と氏は称したが、この不可視性故に教会内のレズビアンはより窮地に追い込まれている。暗黙のうちに、人は「男性」かつ「異性愛者」であるべきとされる社会の中で、そのどちらからも疎外される(アドリエンヌ・リッチの言う)「レズビアン存在」は、ジェンダー軸とセクシュアリティ軸の間で「引き裂かれた自己」であり、堀江氏が繰り返し批判するように、終身的単婚と次世代再生産を前提とした女性/男性の結婚のみを祝福し、家父長制を維持する教会もまた、同じようにレズビアンに堅く閉ざされているのだ。