Rainbow Talk 2006 報告

ICU 大学院:川坂和義【CGS NewsLetter 006掲載記事】

 2006年3月5日、東京の学習院大学において「同性カップルの生活と法律」というテーマでRainbow Talk 2006が行われた。このイベントは、「同性パートナーの法的保障を考える全国リレーシンポジウム」として、尾辻かな子大阪府議議員が呼びかけ人となり、大阪(2/26)、東京(3/5)、香川(3/19)、札幌(3/26)、東京(4/16)と順次開催された。おそらく、同性婚がテーマのイベントでは、日本の歴史上最大規模のものだっただろう。今回(3/5)の学習院で行われたシンポジウムも200人以上がつめかけ、用意された会場が満席となっていた。

 今回のシンポジウムは、主に2部構成になっており、まず基調講演で棚村政行早稲大学法学部教授による「結婚」の法学的位置づけと同性パートナーシップの法的可能性についての説明があった。その後、パネリストたちが同性パートナーシップへの法的保障のニーズをそれぞれの立場から語った。「同性婚」というとゲイやレズビアンが注目されがちだが、パネリストのメンバーもゲイ、レズビアン、MtF、FtMと多様な立場やニーズが見えるようなものとなっており、実によく構成されたシンポジウムだった。今回のシンポジウムで語られた当事者のニーズは、ごく一部だけ取り上げるだけでも、経済的理由(税制から保険の加入、携帯電話の家族割引まで多岐にわたる)、相続や年金、入院など緊急時の問題、性同一性障害特別法による規定(同性婚を認められていないので婚姻者は戸籍の性別を変えることができない)、外国籍のパートナーのビザの問題、養子、「結婚」という象徴的な関係など、「結婚」という「特別な関係」に与えられた特権と同じ数だけあった。
 正直に言うと、今回のシンポジウムに、私は少なからぬ不満を抱いた。それは、単に法学の冗長な話に慣れていないからとか、実生活で上記のようなニーズを実際の問題として感じていないからとか、ましてや私がシングルだからとかではない。私が抱いた違和感は、まず、今回のシンポジウムがあまりにも完璧に構成されすぎていたということ、そしてそれにも関らず、当事者の実生活の不都合やニーズばかりに話の焦点に合わされており「同性婚(もしくは同性パートナーシップ)を求めていこう」という未来を語ることが少なすぎたことだった。つまり、会場を出た後、レズビアン、ゲイ、トランスジェンダーそれぞれの人々が受けている苦労や不合理な不利益を知ることはできたが、それらを改善していく道筋なり希望なり情熱なりが見えてこなかった。これほどまでに大きなイベントであるにも関わらずである。
 今回のシンポジウムは、テーマや構成がはっきりしており、おそらく10人集まれば10人とも意見が違うであろう同性カップルの法的保護について、参加者に分かりやすくしようという主催者側の意図がはっきり掴めるほどトーク全体がまとまっていた。たぶんこのシンポジウムを企画した際、よく話し合われたのだろう。だが、私の希望では、そのような話し合いをシンポジウム全体で行って欲しかった。できれば、参加者の前で、それぞれが同性カップルについてどのように思っているのか語り、時には相反することを述べ、参加者と共にこのテーマを共有できればと思った。そして、多少シンポジウムの内容が複雑になり、分かりづらくなるかもしれないが、「同性婚」や「同性パートナーシップ」に対して反対の立場を取っている当事者やカップルもパネリストとして参加して欲しかった。そうすることで、一見運動やシンポジウムの焦点が拡散し、お勉強好きの研究者や真面目な「リブ」による抽象的な議論のようになったかもしれないが、それでもよりよく編集され加工されたシンポジウムよりも、参加者に自ら何かを得ようという気にさせるようなもっと建設的なシンポジウムになったのではないかと私は思っている。今回のシンポジウムはあまりにも統一されており、一言で要約ができるほどである。その一言とは、「私たちは何らかの法的保護を必要としている」である。この前提を共有することが性的マイノリティーズの政治的活動があまり活発ではない現在の日本での重要な段階だとも考えられるが、このような前提はこのようなシンポジウムに参加する人々ならば各々すでに持っているものではないだろうか。もっと聴講者を信用して、多少まとまりに欠けても様々な意見やパネリストと参加者の相互交流を活発にしてもよかったのではないか。
 そして、これほどまでに意見が統一され、まとまっていたのに、次の段階に踏み出そうという呼びかけや意見がなかったのも残念に思った。「法的保護が必要である」ならば、どのような保護がいいのか、どのような手段で得ていくのか(もしくは「与えて」もらうのか)、ネットワークは?資金は?といった話まで踏み込んでもよかったのではないかと考えている。このような具体的な話になると、やはりまた当事者同士の意見の齟齬がみられるようになるだろうが、意見の違いは未来の可能性であり、選択肢である。だからこそ「同性パートナーシップ」について考える余地がまだまだ多くあることを目の前で示して欲しいと感じた。
 しかし、私が抱いたような不満をこのイベントやシンポジウムが不完全なものだったと結論づけるのは早計だろう。私が抱くような不満は、それこそが新たなステップを踏み出す余地があることの証拠に他ならないからだ。それを考えれば今回のシンポジウムは成功だった。なぜなら、日本の様々な場所で小さいながら「同性婚」について議論やイベントを行っていた人々をRainbow Talk2006に参加するかたちであれ、それに賛成するというかたちであれ、はたまた批判というかたちであれ、結びつける役割を果たし、現在も果たしているからだ。今回のような「同性パートナーシップ」についての大きな呼びかけがなければ、なぜ「結婚」でなければならないのか、カップルだけ特別視され法的特権を与えられるのか、象徴的価値を国家が管理しなければならないのかといったフェミニズムやジェンダー学、セクシュアリティー研究が論じてきた問題が、現実味を帯びて考えられることもないだろう。今回のイベントは、「同性パートナーシップ」について賛成の人にも、反対の人にもいい刺激になっただろうし、セクシュアル・マイノリティーズの新たな政治運動の呼び水になるかもしれない。今回の呼びかけ人の尾辻かな子府議やパネリストの方々、そして運営スタッフの人々に貴重な機会を提供してくれたことに感謝をしたい。
 私は確信を持って言える。きっと近い将来、なんらかの形で同性パートナーシップへの法的保護が日本でも当然のように行われる日が来るだろう。そのとき、そのようなシステムを利用する人は当然のように利用し、また違う人は「パートナーシップ」に反対して自らが持っている権利を当然のように放棄することを願うだろう。そして、利用する人もしない人もその権利を獲得した人々の労苦を遠い昔のこととして忘れてしまうに違いない。だが、そのときにも、大学のジェンダー/セクシュアリティーの授業や「同姓パートナーシップ」に興味を持つ真面目な学生のレポートの中で、日本で同性パートナーシップの運動が始まった画期的な年としてこの「2006年」が語られつづけることだろうと。

・私が参加したレインボートークの詳しい内容については、オンラインマガジン「セクシュアル・サイエンス」に記事がある。興味を持たれた方は、http://www.medical-tribune.co.jp/ss/index.htmlも見ていただきたい。

月別 アーカイブ