ICU学部卒業生:佐々木裕子
【CGS Newsletter 008掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】
2006年12月18日、ICU「ジェンダー関係論」のクラス内で、シカゴのDePaul大学の准教授・真次美穂氏による講演会、『米国でレズビアンマザーになって』が開かれた。
米国での同性のパートナーとの20年近くになる生活が、そのパートナーの「子どもを産みたい」という一言によって大きく変わり始める。氏は以前から、結婚・出産・家庭といった所謂フツウのライフコースに対して抵抗感・違和感を覚えていたため、なぜ子どもを産みたいのか、なぜ二人で暮らすだけではいけないのかという疑問を抱えつつ、出産に向けてのプロセスに関わることになったという。
氏の詳細な報告からは、「子どもと共に暮らす」という出来事が、レズビアンのカップルにとっていかに困難に満ちたものであるかを窺い知ることができる。制度的・社会的・文化的な障害と向き合いつつ、子どもを産むという経験をしたレズビアンのカップルの話は、実際に講演の後の質疑応答で「とても勇気付けられる話」であったという感想もあがっているように、子どもと暮らしたいという非異性愛のカップルにとって大変力づけられる話であったと言えるだろう。しかしながら、この経験談を単にエンパワメントの話としてだけ捉えるべきではないだろう。
氏のパートナーが「産む方の」レズビアンマザーとして、肉体的に「親」として「母」として出産・育児を経験し、子どもと「愛情」と呼ばれるものを育む一方、「産まない方」の「親」としての氏は「肉体的に妊娠・出産・育児という経験から疎外された親が、子どもといかに関係性を築いていくのか、親密性を帯びることが出来るのか」という問いを抱くようになる。実際、生まれた子どもと真次氏の間には、肉体的あるいは法的に関係を保障するものはなく、自分達の関係を確実なものにするため、また将来の安全のために「一家」は同性のカップルに親権を認めるシカゴにわざわざ居を移し、手続きを行うことになるのである。この話を発展させて考えれば、「親になる」という体験が、「合法」とされ得る「異性愛」のカップルの「肉体的な」つながりにいかに特権化されてきたかということが露わにされるであろう。
それでも氏のケースは、異性愛の夫婦と類推しやすい「レズビアン」の「二人組」という比較的認められやすい関係であったこと、金銭的な余裕があったことなど、十分とは言えなくとも変わりつつある制度の保障の範囲にあったと言える。しかしながら、その範囲をより離れ、承認を受けることの難しい生を生きる人々もいる。親しさの関係や、子どもと共に暮らす関係の形は、はるかに多様であるにも関わらず、ただ一つの形だけが「正当」なものとされ、また「正当」の利益を損なわないような関係が言葉を獲得し、権利を主張し、保障を獲得していく中、その恩恵に与ることができない人々は何を失い、何を望めばよいだろうか。もちろん制度が全ての問題の解決であると安易に位置づけることはできないが、制度という権威そのものにゆさぶりをかけながら、自らの事を説明することもできずにその居場所を失うような人々について、等しくその存在を祝福することは不可能なのであろうか。
子が成長するに連れ、氏はまた様々な出来事と向き合うことになるだろう。今まで、そしてこれからの体験、その中での悩みや発見を、また新たに聞く機会があることを期待したい。