都知事選を振り返って

Street Rally by Mr.ASANO in Nicho-me, Shinjukuレインボーカレッジ:遠藤まめた
【CGS Newsletter 008掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

 2007年4月、東京都知事選挙が行われた。今回の選挙で注目されたのは石原慎太郎氏が3選されるか否かという点であり、結果から言うと石原氏の勝利に終わったのだった。ニュース速報を見ながら私は全身から力が抜けていくような気がして、テレビの電源を消す気力も起きず、頭を抱えてしまった。
 私はトランスジェンダーの当事者として、今回の選挙に大変注目をしていた。私は都民ではないので投票権はなかったが、今度の選挙は全く他人事とは思えなかった。気がつけば浅野氏の勝手連の集会でスピーチを行い、街頭演説や彼が招かれているイベントへ足を運んでいる自分がいた。

 この選挙は、LGBTなどの性的マイノリティーズの当事者やフェミニストたちにとって特別な「意味」を持つものだった。石原氏は「ババア発言」や七生養護学校における性教育バッシング、あるいは「新宿二丁目は美しくないから、条例で規制したい」旨の発言を行ってきた人物であり、その3選が意味するのは「性差別的な現状が続くということ」であった。また石原氏は、在日外国人や障がい者に対する差別的な言動も目立ったために、有力な対立候補であった浅野史郎氏の側には多くの社会的弱者の人々がつき、声をあげた。
 3月25日に武蔵野市民文化会館で行われた「しろうと集まる勝手なワタシ」では私を含め4人がLGBT当事者として一分スピーチを行った。3月30日には浅野史郎氏が新宿二丁目の街角で演説を行い、小雨がちらつくなか500人を超える人たちが駆けつけた。フェミニストのメンバーを中心とした「アサノと勝とう!女性勝手連」では4月1日に街頭アピールが行われた。浅野氏は「性的マイノリティのパレードには呼ばれたら行く」といい、「社会的弱者にこそ、政治を」と訴えた。
 敗戦の原因はいくつもあっただろうが、私はここでそれを論じるよりは、選挙に関係して体を動かした、その体験から感じていることを述べようと思う。
 選挙中、私は今までになく、多様な立場からの想いを直接目にする機会に恵まれたように思う。武蔵野市民文化会館で共にスピーチをした仲間には、在日外国人の方がいた。彼女が「三国人発言のとき、怖くて家の外に出られなかった」と泣きじゃくりながら、それでも必死にステージの上で言葉をつなげようとしていたとき、その会場にいる人たちの多くが胸をうたれ、涙をこぼしていた。イベント終了後、彼女が「お互い自分を責めないようにしようね」と抱きしめてくれたとき、私は初めて生身の、生きた「在日外国人」に向き合った気がした。短い選挙戦の間だが、それぞれ「下北沢の再開発問題にかかわっている」「障がい児教育にたずさわっている」などの様々に異なる立場を持った人たちが同じ空間を共有し、言葉を交わしたことはとても良い経験になった。
 また、今回の選挙にLGBT当事者がおおく関心を寄せたことは、今後に繋がることだと思っている。500人を超える人たちが都知事選に関わることで、何かが変わるかもしれないという期待を持つことが出来た。私にはそれはとても良いきっかけ、特記すべきことだと思われる。
 石原氏が3選を果たすという選挙結果に、涙をのんだ方は多かっただろう。しかし「どう戦ったか」ということに光を当てれば、「これから、私たちはどう政治に関わっていくか」ということを考える、非常に意味のある「宝物」が見つかるはずだ。結果は残念だが、私はそれでも選挙に関わってよかったと思っている。

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