ICU学部:反町絵里
【CGS Newsletter009掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】
2007年の9月12日に、学内LGBITサークル「シンポシオン」は大学に対して要望書を提出した。要望書の主旨は、LGBITを尊重するキャンパスづくりを積極的に推し進めることを大学に要求するものである。提示された改革案は、教職員の意識から、トイレ・更衣室といった施設に至るまで、広範にわたる改革のアイデアをまとめたものであった。
学生部長に本要望書を提出するにあたって、わたしたちがもっとも時間を割いて話し合ったのは、当事者自身が要望書を提出するに至った経緯・その緊急性をきちんと伝えなくてはならない、ということだった。
本来なら、大学側がキャンパス内のLGBITへの配慮をした施設のデザイン、教員への指導を主体的に行う責任がある。だが今回当事者からのアクションが必要不可欠となったのは、現状としてLGBITが面している問題が大学側に十分に可視化されていないと判断されるからだ。
この現状を踏まえた上で要望を理解して頂くべく、提出後の学生部長との会合では、今後どのような形で要望に対応されるおつもりなのかをお伺いした。学生部長からは、現段階では要望書の内容は次の人権委員会で審議するという説明があった。ただし施設面では、ICUも財政の観点からすると厳しい部分もあり、まずは性別ごとの卒業式ガウンの選択制の見直しや、指導員の研修強化など、変えられる部分から解決するということにも言及された。また、人権委員会をはじめとするキャンパス側も、シンポシオンと連携して、当事者の声を施策に反映させる方針を示した。
この対話は、ICU側も早急な対策の必要性を認識している、ということが表れたものであったと思う。だが実行に至るまでにはまだ壁があるとも感じた。特に教員への指導に関しては、大学側からも依然として、「意識」を変えるのは困難だ、と限界を示唆する意見もあった。つまり、当事者学生側の「通報」に頼らざるを得ない一面もあるようだ。だが、言及するまでも無く、当事者の学生が現状を調査し、問題点を主張をすることは、肉体的精神的な苦労を大いに伴うものである。例えば、ある講義のLGBITの受講生が、教授が「ホモ」「オカマ」といった差別語を発した際、当事者は教師の言動に対して反論できるだろうか。答えはNOだ。「学生」は能力を評価される存在でもあるゆえに、教員側の誤りを指摘する行為が自分の評価や進路に悪影響することを恐れ、または自分のプライバシーを守るために、声をあげることは極めて困難なものとなる。
さらに、LGBITへの取り組みは、大学側の問題だけではない。シンポシオンの要望書は、キャンパスの構成員すべてに対して共有されるべきものである。もし、先の例で述べた講義で、受講生全てがセクシュアルマイノリティーについて理解していたら、どうなっていただろう?学生生活のなかで、どれだけ学生はLGBITについて知っているだろう?学生に対しても、新入生オリエンテーション等でもっと意識啓発を行うなど、改善の余地はある。
「意識の問題だから難しい」ではなく、意識の問題であるからこそ、早急に取り組む必要がある。ICUが旨とするのは「多様性」だという。であるなら今後は、当事者だけでなくキャンパス構成員すべてをまきこむ改革が必要である。それなくしてその「多様性」は、決して達成されないであろう。