抵抗する漫画

ICU大学院:鈴木直美
【CGS Newsletter009掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

下手に出るべきか否か、というのはフェミニストを自称する私の長年の悩みである。信じ難いことだが、例えば「女は産む機械」という発言が偶発的な一人のおっさんの気の迷いなどではなく、より広範な女性差別に関わるものだということを理解するのに、懇切丁寧な説明を要する人というのが間違いなく存在する。女が腰を低くし、下手に出ないとその話を聞けない人々。だが、女は下手に出ることを強いられている、と主張するために不可欠なのが、まさにその“下手に出ること”であるというのは、一体どういうことなのか。

竹内佐千子さんの一冊目の単行本を読んだとき、私は作者が随分と潔く下手に出ているものだな、と感じて驚いた。というのも作中の異性愛者(と思われる)の無知や勘違いが、大抵の場合不問に付されているからである。例えばある者は“美しい”というイメージを勝手に抱き、実際のレズビアンは「ブスな人ばっかりでがっかり」と評する。またある者は(恐らくレズビアンとFtMTG/TSを混同して)レズビアンである作者に「君も男になっちゃうの?」と問う。しかしこういった破廉恥な勘違い、不躾な無知は表立って糾弾されない。「女」のエロに焦点を当てた三冊目となる最新作でも、レズビアンであることは数あるエロの一バリエーションとして扱われ、ヘテロセクシズムはその問題性を全く問われていない。私はその潔さ、というより異性愛と異性愛者が赦されすぎていることに違和感を覚えたのだった。
だがより詳しく読み返してみると、作者が実は下手に出ているばかりでないこと、そこに隠された巧妙な戦略が、はっきりと見えてくる。たとえばレズビアンと百合、レズビアンとFtM、現実のレズビアンとAVの中のレズビアンを混同する無知に対して、「そんなことないよ」、「ちょっと違う(笑)」、「何か誤解されています」と、そのつどネタにしてみせることで、それがネタになるほどに可笑しい、誤った認識だということをやんわりと、しかしはっきりと示してみせる(これらの否定が活字ではなく、よりインフォーマルな感のある手書き文字で繰り返されているのは興味深いことである)。また別の箇所では、レズビアンは「ブスな人ばっかりでがっかり」だとか、「昔男の人に乱暴された」といった「トラウマ」が原因なのでは、という友人の言葉に、心の中で「そんなことないなぁ…」と呟くだけで済ませた直後に、ほぼ同様の発言をした男性に対して、登場人物の一人が怒って殴ったというエピソードが挿入される。こういったシーンは突出しないよう巧みに配慮がなされているわりに非常に痛快で、この質の高いエッセイマンガの面白さをいや増している。
ここにあるのは、迎合というよりは繰り返し巧妙に諭し続ける忍耐強さである。確かにその批判は目立たず、声高でない。だが、そもそもそのようにする必要を生じさせているのは物分かりの悪いヘテロの方である。これは目下ヘテロである私への戒めであると同時に、今まで何となく、声高な批判を行う人のほうにより“正しさ”を感じてきたフェミニストとしての私への戒めでもある。私は、声高でない、耳触りのいい批判が広く受け入れられることで、ただでさえ不当な反発を受けやすい“声高な批判”への風当たりがさらに強くなるのではないかと恐れてきた。竹内さんの作品にはじめ違和感を覚えたのもまさにこのためである。だがこの恐れゆえに、この作者の忍耐強さと寛容さを、声高な批判と等しく価値のあるものとして評価できないことこそ、“物分かりの悪さ”の前に膝を折る行為だと言うべきだろう。

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