報告:第12回レインボーマーチ札幌

一橋大学大学院:井芹真紀子
【CGS Newsletter011掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

東京のパレードが延期となった今年は、周囲で評判の良いレインボーマーチ札幌に参加することに決めた。9月14日、晴天の日曜日、道内のみならず全国から多くの人々が参加し、笑顔と活気に満ちたパレードは、行政・警察との連携もスムーズで、噂どおりに気持ちよく歩くことが出来た。
特に印象的だったのは、参加者一人一人こそがパレードを作り上げているのだ、という雰囲気があったことだ。参加者全員がレインボーの風船を持ちながらパレードし、最後に札幌の中心部で一斉に放す札幌名物“風船とばし”。秋晴れの青空が色とりどりの風船で埋め尽くされるパレードのクライマックスは、各地から集まった参加者が、札幌の“お客さん”から“参加者”になり、連帯感を得る感動的な瞬間だった。

また、その明確な政治性も重要だ。札幌は2003年から市長がプライド集会でのスピーチを行っており、道知事や姉妹都市ミュンヘンの市長、道内の札幌以外の各市長や各政党からのメッセージの読み上げも行っている。様々なプラカードも用意され、参加者はそれをもって歩くことができる。
パレードは政治的であるべきか、お祭りであるべきか。東京のパレードの名称問題に関する意見交換会で、パレードの目的を<政治かお祭りか>の二分法で峻別し、政治的側面を避ける気運を強く感じた。この二分法において、政治性とは“異性愛規範的な社会に向けて、自らの存在を可視化させること・行政や市民への訴えかけ”という意味で「対外的」、一方お祭りは“参加者同士が出会い、楽しみ、エンパワメントを得ること”という意味で「対内的」なものとして捉えられていた。しかしここに前提されているのは、「社会」と「参加者」の断絶ではないか。それはパレードそのものを大きなクローゼットとして再び社会から切り離すものではないか。
パレードの前後、札幌のマーチの創設者、歴代実行委員、および今年の実行委員の方々のお話を伺うチャンスを得た。そこで知ったのは、札幌のパレードが試行錯誤を重ねて<政治とお祭りの融合>を目指し、実現してきたということだった。札幌パレードが、そのような融合を可能とするべくもっとも大切にしてきたのは、「あなたがここにいてよかった」という祝福、それも参加者だけではなく、沿道にいる仲間への祝福であるという。この“沿道にいる仲間のために歩く” という、札幌パレードを貫く明確な目的意識は、社会における潜在的な参加者への祝福を想定しているために、前述の「社会」と「参加者」の断絶を再び結びつける。この祝福こそが札幌パレードの政治性を支えているのではないだろうか。沿道にいる仲間への想像力が、「社会」から「参加者」たる「我々」を切り離して「我々」だけが楽しめるお祭りとしてのみパレードを完結させることを許さない、札幌の「政治性」なのだろう。
勿論パレードの成功が「誰にとっての成功か?」という点については問い続けなければいけない。参加希望者の減少という理由があるにせよ、今年レズビアンフロートが消えてしまったことは、「成功」とは別の側面であろう。また実行委員のほとんどをゲイ男性が占めている現状、実行委員会内のバイフォビア、ミソジニー、トランスへの無関心という問題も少なからず感じられた。これらは各地どのパレードにおいても存在する問題であり、問われ、考え続けなければいけないが、試行錯誤の上「政治とお祭りの融合」を実現させてきた札幌パレードが「その先の+αをどうしていくか」という問題に直面している今、これらの問題も札幌らしい「政治性」をもって改善へ向かっていくだろうと期待している。

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