ケアとジェンダー

NPO法人サポートハウス年輪理事長:安岡厚子
【CGS Newsletter011掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

サポートハウス年輪の前身グループ「バウムクーヘン」は、1978年の旧田無市の公民館の主催講座生が、その翌年結成したグループです。1年間の講座の中で、経済界の要請によって女子教育の内容が決められ、社会通念も作られてきたことを知りました。受講生全員が専業主婦でしたが、自分たちの置かれている立場の脆さに気づき、自分の世界をそれぞれに持ち始めていきました。そんな中、1985年にひょんなことから地域ケアセンターのデイサービスの仕事を得た私は、介護職の置かれている社会的状況を知ることになります。

「わけあり女」がする仕事、それが家政婦であり老人ホームの寮母である、ということを知らされました。それまでの出版関係の仕事に比べて、仕事の割に待遇はよくなく、社会的地位が低い現実を知っていったのです。子供のPTAの知り合いに、老人ホームに転職したことを話すと「えらいわねぇ」と言われました。出版関係の仕事の時には出会わなかった言葉です。その言葉の裏に「自分は絶対しない仕事だから」というニュアンスが含まれているように感じました。
これがもっとリアルになったのは、デイセンターを辞めてホームヘルパーになってからです。1992年当時、ホームヘルパーという言葉も珍しく、家政婦かお手伝いさん扱いでしたから、サラリーマンの夫がいる身の私がなぜこんな仕事をしているのかと、お説教する利用者もいました。そして挙句の果てに「うんこ取りなんかするんじゃないよ」と。
1994年のサポートハウス年輪設立の時に、ホームヘルパーの身分の保証と社会的地位向上を掲げたのもこんな体験からでした。この頃には、目の前の状況をほっておけないというやむにやまれぬ気持ちから、女性が中心の団体が全国に次々と出来、介護は女性問題だと気づいた女性たちが自分の老後と重ね合わせ、手弁当で活動を広げていきました。
ところが介護保険制度になりビジネスが成り立つや、資本力のある企業の参入が始まり、幹部は男性、現場は女性という構図が全国各地で見られるようになりました。利用者の8割が女性、介護職の8割が女性という介護業界ですが、制度の内容を立案する官僚、国会議員の何割が女性でしょうか。家事・育児・介護は女性の仕事、お小遣い程度の賃金でいい、とは思っていないかもしれませんが、介護報酬単価の低さからそう勘ぐりたくもなります。これは、介護自体を女性の仕事、しかも最も低い仕事と見ているからではないでしょうか。人生最後の時を素敵に過ごし、いいお別れができる社会にするには、子供のときからの教育と男女共同参画を進め、介護に絡む女性問題を見抜く力を持つことがポイントなのです。

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