カルチュラル・タイフーン2009に参加して

ICU学部:宮澤日奈子
【CGS Newsletter012掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

2009年7月3日から5日にかけて、カルチュラル・タイフーン2009が東京外国語大学にて開催された。今年は、Inter-Asia Cultural Studiesとの合同で、各地域から参加者が集まる国際学会"Inter-Asia Cultural Typhoon 2009"として催され、サブテーマの「グローバリゼーションの破断点で問う文化のポリティクス−貧困、監視、検閲を超えて」のもと、幅広いトピックで数多くのパネルが組まれた。会場内では、絵画や洋服、映像などを使ったアート作品が立ち並び、会場の外には屋台や音楽のステージに多くの人が集まった。熱気にあふれた会場と、たくさんの参加者の高揚した様子から、この一大イベントの成功にかける強い思いや、国際学会ならではの特別な緊張が伝わってきた。「国境」を越えた形で今大会が開催され、様々な国、人種、地域、階層、民族、性別、宗教、障がいなどの背景を持つ人々が集まる中で、あらゆる差異をめぐる問題は、議論の重要なトピックとして、あるいは内省的に配慮すべきものとして、意識的に扱う気運を感じた。

なかでも、ジェンダーやセクシュアリティに関する視点に興味があった私は、アート作品における身体表現をジェンダー・セクシュアリティの理論を使って分析した研究の発表などを見て回った。特に女性の自傷行為とそれをモチーフにした作品の中に表現された傷との関連性について論じた発表は、写真作品の分析を通して、現実の社会に染みわたって機能しているジェンダーの制約を細かく見てゆくものであった。その分析では、性や性別をめぐる制約も様々な差異と同じく、身体に深く刻まれることが示された。また、その身体を作品として表現することで、これまで否定的にしか見られてこなかった〈傷〉を読みかえ、ポジティブなものとして捉えなおすことのできる可能性を感じた。まさにこの作業こそが「文化のポリティクス」ではないだろうか。特に女性の身体を題材としたこの発表は、文化の政治性を考える上で、ジェンダー・セクシュアリティの視点に注意深くあることの必要性を再認識させるものであった。
最後に、ジェンダー・セクシュアリティに関連する発表のほとんどが英語によるものであったことを指摘しておきたい。このことは、発表者が日本国外の研究者であること、あるいは日本国内の研究者による発表であっても、それが国内よりも海外の参加者を主に想定した発表であることを意味しているように思われた。こうした現状は、国内のカルチュラル・スタディーズにおいて、ジェンダー・セクシュアリティに関心のある研究者が少ないことに起因しているのではないだろうか。今回のカルチュラル・タイフーンのような場で国外の研究者からの発表がなされることは、国内の研究者たちのジェンダー・セクシュアリティへの関心を高めるなど、与える影響も大きいと感じた。今回発表を行ったような、香港や台湾などの地域で盛んなジェンダー・クィア・フェミニズム研究がカルチュラル・スタディーズとともに大きな流れを一緒に作りだす様子から、私達は何を学び、何を変えてゆくべきなのだろうか。ジェンダーやセクシュアリティに関連することを一つの領域に外部化するのではなく、あらゆる学問領域の中で、そして教育や研究の場で、ジェンダー・セクシュアリティの視点を取りあげることのできるようなカリキュラムやシステムの発展が、求められるのではないか。

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