"リベラル"なICU?--学内寮に住んだ経験から--

ICU卒業:decofemi
【CGS Newsletter012掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

現在ICUでは大型寮建設計画が進んでいるが、一昨年まで寮生として構内に暮らした経験から、ICUと寮について改めて考えてみたい。
私が住んでいたのは、全員相部屋の"女子"寮で、1階の共有スペース以外は寮則により"男子"禁制であった。大学職員等で「男子」とされる人がどうしても2階に上がらなければならないときには、必ず寮生が立ち会い、「男の人二階に上がりま〜す」と呼びかけてから通す。これはどうしても私が慣れることが出来なかったルールの一つだ。

性暴力を防ぎたい気持ちがあるにしても、誰かを犯罪者予備軍扱いすることは正当化できないし、もっと言えば、この"男子"禁制のルールには「問題は"男女"間で起きる("男女"間でしか起きない)」という安易な認識が透けてすらいる。
この認識は、「"同性"なら問題ない」としてプライバシーを削るやり方にも窺える。例えば、寮の風呂は共同であった。当時の私は、シスジェンダーでヘテロセクシュアルの所謂"一般的な女子"であり、その特権性に気づいてすらいなかったが、"同性"であろうが誰であろうが、「人前で着替える」という行為にかなりの違和感を覚えていた。しかしこのような違和感はプライベート空間をシェアする仲間なのだから、という圧力によって次第に慣らされていってしまった。"男女"が分かれているだけでプライバシーに配慮のない共同生活に「慣れる」ことの出来ない人間は、寮生活自体を望まない/望んではいけないのだという抑圧が働いている。
私が思うに、結局のところ"男女"を別にしておけば問題ないという詭弁の裏側で大学が本当に禁止したいのは、男女の接触、つまり"セックス"なのではないか(同性間のセックスはもちろん想定外)。だがそれならそれで、なぜ寮則に「寮内でのセックス禁止」と明記しないのだろう。"セックス"の禁止を、「"男女"を別にしろ」という迂回路を経由して暗黙のうちに実行しようとするあまり、その「"男女"の別」ルールが結果的に、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルである人間以外を寮から排除するシステムとして機能してしまっているというのに。しかも、そこまでやってなお、肝心の"セックス"の禁止は、寮に限定したところで、現在のところ全く成功していないのである(誰がいつどこで誰とどんなセックスをしようが、他人に損害を与えない限り自由だとは思うが)。
"異性"の視線に晒されたくないという"マジョリティ"の声があるかもしれない。その声は尊重されるべきだが、寮則によって守られるべきか? 同性を部屋に通す時にもやるように、ルームメイト同士で交渉することではないのか。その労を惜しんで一律に禁止し、結果として誰かを存在ごと排除することになってもいい、というのが本当にICUの正義なのだろうか。
大学生のセックスを禁止する合理的理由があるとは思えないが、性暴力抑止の必要性を大学は主張するかもしれない。だがその場合にも、大学が寮を通して学生に何を求め、何を禁止したいのかをはっきり提示する必要があるだろう。学内にはすでにセックスも性暴力も溢れている。ICUで寮生活を送っていた間、「女子」とは、「男子」とは誰か?「セックス」とは何か?そんなことは寮生同士でも、寮生と大学との間でも全く語られなかった。セックスについて語らずに、「リベラル」である、と言うことの滑稽さをもっと認識して欲しい。

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