【CGS Newsletter012掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】
発達障害者支援法の成立など、ここ数年で発達障害の社会的な認知は高まりを見せている。しかし、こだわりが強い、コミュニケーションができないといった外部からのステレオタイプとともに語られることも多い。そうした語りに対し、当事者の立場から実際は何が起こっているのかを克明に描写し、当事者研究という手法で発達障害の語り直しをした『発達障害当事者研究』の著者の一人である綾屋紗月さん。
また綾屋さんはDVサバイバーでもあり、今年の8月に出版された『前略、離婚を決めました』の中ではその経験と離婚にいたるまでの道筋が語られている。
発達障害とDVという2つの経験の中で綾屋さんが感じたものとは何だったのだろうか?(編集部)
■いったい私は何者?
物心ついた時から人の集団になじめず、「なんだか私は人と交われない。集団にいても楽しさが伝わってこない。いったい私は何者なんだろう」と思いながら生きてきました。人と同じペースでできない原因不明の虚弱な心身を持ち、疎外感を強める中で、「外では働けないけれど、家の中では働けるのではないか」と思い、紆余曲折を経て結婚。しかしそこにはまた落とし穴がありました。
■DVにからめとられる
結婚後、夫の仕事がますます忙しくなって、アルコールの量が増えていく中で、「働いている俺は偉い。家にいて稼いでこないお前は無能だ」といった、お決まりのセリフが聞かれるようになりました。当時の私は仕事や家事を人並みにできない履歴のせいもあって自尊心がとても低く、外で稼げないこととか、学歴などで、私の方が下だというまなざしを向けられると太刀打ちができないわけです。「なんかそれって違うはず」とは思うんだけど、それに値する言葉を持っていないんですよね。「そんなことはない、あなたの方が間違ってる」と言い返せるだけの知識や言葉だとか、「じゃあ私だって子供預けて働くわよ!」と言ってしまえるような丈夫な身体を持っていれば、違うストーリーがあったのかもしれないけど、完全に相手をやっつけるまでの武器を持っていないので、なし崩し的に言いくるめられ、相手がどんどん支配を強めていくという感じでした。
■アスペとDV?コミュニケーション障害ってなんだ!?
アスペルガー症候群と診断されたときは、小さいときから何なのかわからなかった自分の困難について、説明してくれる文脈をようやく見つけたという感覚があり、自分にとっては大きな救いとなりました。
でも夫との関係においてアスペの文脈は決して救いにはならなくて、むしろ「夫婦関係のこじれは、お前のコミュニケーション障害のせいだ」という風に使われるようになりました。それで、「あれ!?また何かおかしなことになってる」と思い、発達障害とDV、それぞれの問題を切り分けるために、両方知っていく必要に迫られました。その過程で見えてきたことをもとに、『発達障害当事者研究』(医学書院)と『前略、離婚を決めました』(理論社)の2冊ができました。
『発達障害当事者研究』で「アスペルガー症候群をコミュニケーション障害であると定義しない」というところから始めたのも、コミュニケーション障害を引き受けると、DVも含めたコミュニケーションのすれ違いを全部こっちのせいとして引き受けることになりかねないからです。そもそもコミュニケーションは両者の間に起こるものなのに、「コミュニケーション障害」という言葉で一方に帰責することができるはずがない。それなのに専門家がコミュニケーション障害という概念を用いることへの違和感が強くありました。私はたしかに人の輪の中には入れないことが多いけど、その時に私の中で何も考えていないわけではないし、考える筋道というのはすごくある。それなのに全然わかっていない人と言われるのが気に食わない。そもそもコミュニケーション障害というと、なんか手のつけ様がないほどに破綻してる印象があるじゃないですか(笑)。でもそんなことなくて、ちゃんと法則が自分の中にあるんです。そこに関しては専門家より私の方が知っていると思うし、この専門家の分析は違うとか、こういう風に見えるかもしれないけど、それはこうだからだよっていうのをまとめて『発達障害当事者研究』ができました。
それに今は脳科学ブームもあって、いっそう「脳のここが欠損してるからコミュニケーション障害があるんだ」みたいな言い方をする専門家もいて、「脳なんてみんな一人一人違うのに、脳のせいにしても解決しないだろう!」という違和感や苛立ちがあります。「脳が何だってんだ!」って感じですね(笑)。
■DVから抜け出すために必要だったもの
まずは、フェミニズムやDVの理論などの自分の味方になってくれるストーリーを知ることでした。今自分が虐げられている語りをはじき返し、まなざし返す世界があることを知る段階ですね。でも本当に自分がそれに乗っていいのかわからない、半信半疑な状態がすごく長かったんです。だから、書物だけじゃなくて生身の情報に出会いたくて、やっとたどり着いたのは区の女性相談員のところでした。色々なケースを見てきた相談員が「あなたの身に起きていることはDVですよ」と言ってくれたときに、はじめて自分が承認された気がしました。でもさらに必要なものがあります。DVから抜け出したくても「具体的に行動するとどうなるのか」っていう次のストーリーと希望が見えなければ、「どんなに虐げられていても今いる場所の方が知ってるし、まったく知らない世界よりまだ安全なんじゃないか、なんとかやっていけないだろうか」と、もといた場所に引き戻されてしまうのです。
■「あ、これはこんなにウケるくらいひどいことなんだ」
離婚を進めていく中で大変だったのは、自分の努力でどうにかなるところがどこまでなのかということが全然わからないことでした。「夫を見捨てていいきっかけ」が最後まで決められなくて、まわりの人や子供の反応にサポートされながら、これもだめだ、これもだめだと一つずつ切っていって、本当にもう残らないっていうところで離婚に踏み切ったんです。その作業と平行して、フェミニズムの世界にも足を踏み入れたのですが、たとえば「10万稼いだら人権をあげる」とか「3人目を産んだら、皇太后扱いしてあげる」って言われたことを試しに話してみるとすっごいウケる。「何だその男は!」と言われ、「あ、これはこんなにウケるくらいひどいことなんだ」と実感しました。どこで話してみてもウオーッて盛り上がるので、だんだん持ちネタみたいになって(笑)。夫からその言葉を浴びせられたときには、「そんなひどい話があるか!」って思いつつも、「10万なければ人権ってないんだ」ってそのまま思っている自分もいて、「月10万なんて稼げないし、私にはその手段はもう断たれているのに無理なことを押し付けてくる」と本気でショックを受けているわけです。それでまた絶望の中に落とされることの繰り返しです。
■人の反応の中で自分が作り上げられていく
私がDVから抜け出し、離婚にいたるまでの道のりは、味方になってくれるまわりの力で引っ張りあげられて、次の世界へ投げ出されていくということの連続でした。私の話したことに対して、「なんだそりゃ。それはひどいね」と言ってくれる世界に触れることで、生身の人間から承認され、初めて自分は本当にひどいところにいると自覚し、やっとDVから抜け出せるという感じです。人の反応の中で自分が作り上げられていくんだなっていうのを実感しました。「人とつながれない私は、本の中でだけつながれればいい」と半分あきらめていた自分は間違いで、私は世の中の誰ともつながれないわけではなくて、反応してくれる人と出会えれば見える人になれて、つながることができるのかもしれないという感覚が、徐々に出てくるようになりました。もちろん抱えている困難のすべてが解決されたわけではないですが、「悪くない場所に来たなあ」というのが今の実感です。
□綾屋紗月(あややさつき)
1974年生まれ。二児の母。低血圧症、うつ病と、「自分のおかしさ」の原因をみつけたと思っては「やっぱり違う」と思わされることをくり返し、2006年、アスペルガー症候群の存在を知り、診断名をもらう。共著に『発達障害当事者研究』(医学書院)、単著で『前略、離婚を決めました』(理論社)がある。