報告:「東アジアにおけるクィア・スタディーズの可能性」に参加して

大学院生: 川坂和義
【CGS Newsletter013掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

 2010 年2 月22 日、東京大学で「東アジアにおけるクィア・スタディーズの可能性」と題された公開シンポジウムが行われた。このシンポジウムでは、朱偉誠さんが台湾におけるクィア・スタディーズ( 以下、QS) の受容と発展について、眷芝珊さんが香港におけるクィア・アクティビズムの歴史と現在について講演した。ここでは紙幅の関係上、筆者が朱の発表から示唆をうけた点にのみ言及する。

 これまで、QS とグローバリゼーションの関係性は、「欧米」と「それ以外」というように二項対立的に語られることが多かった。また、日本においては、QS はアメリカから「輸入」されたものであり、日本の歴史や文化を十分に反映していないと批判されることも多かった。あるいは、反対に、単一的なアイデンティティを批判しそれを解体しようとするQS の傾向について、日本の伝統的なセクシュアリティのあり方と近いものだと評価する言説もあった。欧米と異なり、日本では、QS が批判するような強固なアイデンティティが志向されることが歴史的になかった、というのである。QS を日本から遠いものとして位置づけるにせよ、近いものとして位置づけるにせよ、その「オリジナリティ」を英米を中心とする欧米にすえた上で、日本の「クィア」を思考することが私たちの「習慣」となっていたと言えるだろう。この対立は、欧米とは異なる「日本」というナショナリスティックな規範を、再生産してきたように思う。

 だが、ほぼ同時期に英米のQS を受容した他の東アジアの状況に目を向けたとき、欧米との比較では見えてこなかったそれぞれの文化における独自性と可能性、そして共通の問題点が見えてくる。

 朱の講演では、英語圏の都市部で出現してきたQS が台湾独自の歴史的背景や文化と交渉し合いながら認知されるにいたった様子が論じられた。台湾において、英米文学者たちがQS の紹介に大きな役割を果たした点は日本と共通するものの、国民党の一党独裁が80 年代まで続いていたという固有の歴史的文脈が、その後の性的少数者によるアクティビズムやQS の展開に与えた影響も朱はまた指摘した。1987 年に台湾の戒厳令が廃止されたことで、それまで周縁化されていた人々によるアクティビズムが活性化し、また、そのような活動に抑圧的な体制下で生活していたマジョリティの人々も共感し、マイノリティの活動と主流の社会との連動が果たされた。このことが、QS が主流の社会に受け入れやすい土壌を培っていったと朱は主張する。以上のような、台湾の歴史を踏まえて、日本におけるQS のあり方を歴史化すれば、欧米との比較からはみえてこない側面に光をあてることができるだろう。また、台湾の事例からは、日本における今後のQS の展開の可能性についても多くの示唆を得ることができるであろう。

 英語圏の都市部で生まれてきたQS と、それぞれの歴史や文化のなかで、それぞれの仕方で受容・発展してきたアジア圏の「オリジナル」なQS。これらを互いに出会わせ、コミュニケートさせていくことは新しい知の可能性を切り拓いていくだろう。そのためには、欧米と「日本」、「日本」と「アジア」という、これまで「日本」のアイデンティティを作ってきた二項対立的な関係を再構築するのではなく、解きほぐしていくことが重要になる。これは、QS の可能性であり、東アジアで生き、思考する私たちの課題でもある。

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