「女性国際戦犯法廷から10年」国際シンポジウムに参加して

一橋大学大学院 言語社会研究科 李杏理
【CGS Newsletter014掲載記事全文】※ペーパー版は以下記事のダイジェストです。
『女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム:「法廷」は何を裁き、何が変ったか~性暴力・民族差別・植民地主義~』に参加して

 日本軍「性奴隷」制という覆い隠された暴力の不法性を白日の下にさらし、サバイバーの尊厳とひとすじの正義を取り戻そうとした女性国際戦犯法廷(以下、法廷)から10年が経った。2010年12月5日、「女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム:「法廷」は何を裁き、何が変ったか~性暴力・民族差別・植民地主義~」が開催された。
女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷)とは、2000年12月に東京で開かれた民衆法廷である。元「慰安婦」の女性たちは、1990年代以降日本政府を相手取って、謝罪と賠償をもとめる裁判を起こした。だが訴えはすべて退けられ、国内の裁判闘争は頭打ちとなっていった。そんななか、この運動に携わる人たちのなかから女性国際戦犯法廷が提起された。
 法廷では「慰安婦」の被害事実が認定され、東京裁判条例5条で日本が受諾した「人道に対する罪」にあたるとの判決が下された。天皇を含む9名の被告に強かんと性奴隷制の罪に対する上官としての責任及び個人としての責任で有罪が言い渡され、日本政府に対し、国家責任と被害の認定、被害者への賠償、隠匿した資料の公開、教科書記述などの教育施策、被害者の帰国支援や遺骨返還を行うよう勧告が出された。
 敗戦直後の東京裁判では、ジェンダー・バイアスや国体護持、連合軍の占領目的のために日本軍「性奴隷」制や天皇の責任が裁かれなかったが、女性国際戦犯法廷は、それらを訴追した画期的な裁判であった。それは、「慰安婦」問題をめぐる運動に固有の意味があっただけではなく、植民地支配や戦争を引き起こした近代史のなかで、性差・階級・民族によって幾重にも消し去られたサバルタン的存在を想起させた。
 一方、当時存在していた国際法を論拠とし、東京裁判の再審として日本軍「性奴隷」制を裁いた法廷の限界もまた指摘されている。東京裁判で裁かれた罪の対象期間は、1928年1月1日から1945年の9月2日までであり、日清戦争や日露戦争、「韓国併合」は含まれていない。また、陸軍軍閥とそれに迎合した人びとにのみ責任が集中し、海軍や企業・財界人は訴追されなかったという問題点も存在している。そのため、植民地支配の不法性については再審がなされず、また、企業責任についても法廷では十分に議論することができなかった。日本の植民地支配によって生活が窮乏化し、徴用や募集によって「慰安婦」にさせられた植民地出身の女性たちに対する暴力の問題は、植民地支配による構造的な強制性や企業犯罪を問わなければ見えてこない。
 このような民衆法廷の実現は、その後10年の間に性奴隷制と天皇・日本軍の犯した罪に注意を喚起し、各国での「慰安婦」制度非難決議など、「慰安婦」問題への取り組みを前進させた。しかし一方で、加害の歴史に向き合うことへのバックラッシュが巻き起こった。2005年にはNHKで法廷の特集を放送する前に、政治圧力によって改変される事件が起きた。さらに、教科書記述からは「慰安婦」が消え、教育基本法が改悪され、在特会などの新たな右翼勢力が台頭するなかで、排外主義はかつてないほど高まっている。
 このようななかで開催されたシンポジウムでは、500名以上の観客が見守るなか、法廷の意義を想起し、この10年間の「慰安婦」問題をめぐる情勢や運動の展開などが総括された。
 第1部〈女性国際戦犯法廷とは何だったのか〉では、実行委員長の東海林路得子(以下、敬称略)が開会の辞で、朝鮮半島の判事団から法廷の判決における「植民地」という認識の弱さに対する批判があったこと、法廷で十分に議論されなかった植民地主義を今回のシンポジウムの副題に掲げたことの意義を述べた。その後法廷の主席判事パトリシア・セラーズ(以下、敬称略)が基調講演を行い、この法廷は東京裁判で裁かれなかったジェンダーに基づく奴隷制を人道に対する罪で訴追した画期的な裁判であったこと、判決で示された賠償内容を今後市民社会が実行していく必要性を訴えた。
 第2部〈アジアの日本軍性暴力被害者の証言を聞く〉で、フィリピンのサバイバー、ナルシサ・クラベリアが、日本軍によって家族が殺された後「慰安婦」にされたことを証言し、法廷によって「やっと正義を取り戻すことができた」と語り、日本政府に謝罪と歴史教育を求めた。次に、中国のサバイバーの韋紹蘭とそのご子息羅善学が証言した。韋は、日本軍の侵攻の際、日本兵に連れて行かれ「慰安婦」にされた。その時のレイプによって生まれた羅は、周囲から「お前は日本人の子だ」と疎まれて育った。罪を負う必要のない彼が日本の過ちを背負わされているということが、終わらない「慰安婦」問題の根深さを問うていた。「慰安婦」サバイバーにトラウマが刻印されるのみならず、その共同体やサバイバーの死後を生きる人びとにも傷や問題を残し続けるのだ。
 第3部〈法廷の判決・勧告/証言をどう引き継ぐべきか〉では、はじめに米山リサによる「消された裁き~批判的フェミニズムの視点から~」というビデオメッセージが上映された。そのなかで米山は、2001年のNHKの番組改ざんによって、「責任の明確化なくして『和解』は成立しない」という法廷の理念やサバイバーの証言、天皇有罪の判決が削除されたこと、法廷がもつ「批判的フェミニズム」の思想、すなわちジェンダー関係が植民地主義やレイシズム、階級差別によって拘束を受けるという視点が伝えられなかったことの問題を述べた。その上で①どのように聞き手が証言と向き合うかを問い、②「裁きなくして和解なし」という理念についてさらに考えを深めるべきという問題提起を行った。
 続けてパネルディスカッションで、鄭瑛惠から「慰安婦」問題解決だけでなく戦時性暴力防止のためにも「性暴力禁止法」の立法が必要であること、宮城晴美から日本と米国の植民地にある沖縄で性暴力が後を絶たないことが述べられた。さらに尹美香から国連や各国の決議があったにもかかわらず解決を見ない「慰安婦」運動の新たな転機の必要性、村上麻衣から若者による全国同時証言集会など、記憶を次の世代へ受け継いでいくための活動、池田恵理子から「女たちの戦争と平和」資料館建設運動などについて報告があり、今後の課題が示された。台湾とインドネシアの支援者からも報告があり、韓国からはサバイバーの姜日出が発言した。
 サバイバーを翻弄し、問題克服を阻害しているのは、性暴力に対する社会的認識の低さや戦後責任をめぐる問題だけではない。植民地独立をめぐる問題として引き起こされた朝鮮の南北分断や、東アジア諸国と日本との間にある経済的社会的格差もまた重要な要因として存在する。日本の侵略と植民地支配の歴史を問うことに対するバックラッシュが起きるなか、日本の多国籍軍参入が押し進められ、軍事主義が強化されている。そのような継続する植民地主義の現状を批判することなくして、真の問題克服は不可能であろう。
 当シンポジウムは、これまで積み重ねられた努力が結集され、広く連帯が呼びかけられた。同時に、法廷で裁かれた内容を国内で実現し、賠償や国際法違反と責任者の罪、国家責任を認定させていくためには、さらなる取り組みが必要である。シンポジウムのテーマに掲げられていた「性暴力、民族差別、植民地主義」の関係性を問い、その克服と結びついた実践や研究が求められている。

【著者プロフィール】
李杏理(リ・ヘンリ)
一橋大学大学院言語社会研究科修士課程
専門は、植民地「解放」後在日朝鮮人の生活史・ジェンダー史

月別 アーカイブ