生き延びることを学べたか?

立教大学文学部教授:新田啓子
【CGS Newsletter015掲載記事 日本からのニュース:追悼・竹村和子氏】

2011年12月13日に逝去された日本のジェンダー・セクシュアリティ研究の旗手のひとりである、竹村和子氏。立教大学文学部の新田啓子先生に、故人へ馳せる思いをお寄せ頂きました。

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 いま「師の背中に学ぶ」などというと、いささか古風に聞こえるだろう。けれども竹村和子さんを憶うとき、浮かんでくるのはこの言葉なのだ。直接授業を取ったり、専任指導を受けたりしてはいないけれど、その生き方と学問、両方においての「師」と呼びたい――多くの者がきっとそう思ってきたに違いなく、またそう思わせてくれていたのが、竹村さんであった気がする。

 しかし、そんなふうに思うことがいつ赦されたのか。師と呼べど、友と呼べど、直接語りかけ、認証を得ることができない以上、呼びかけがよもや不当なものでないことを、我々は確かめる術をもたない。いかに真摯に慕い求め、「私にとってのあなた」について言い募ってみたとはしても、逃れようもなくその声は、独りよがりの自己顕示である不安とともにあるしかない。果たして、我々は師と呼ぶことを欲する人から、いったい何を学べたのか。

 竹村さんがお隠れになってすでに半年、死の無念さ、生き残ったことの寂しさと恥ずかしさ、そしてその責任を、初めて思い知った気がする。唯一無比の喪失を噛み締めると、翻って生の意味が、さらにはその生のために英文学を研究し、思想を紡いだ氏の姿が鮮明に蘇ってくるのである。「死を忘れない」ことが倫理への足場を築くのであっても、生きる人間のための意味が、そこから見出されねばならない。あるいはそれが、文学批評の謂いではないか。病床の氏が奇しくも最後に取り組んだのは、文学論にほかならなかった。

 明日生きるつもりがなければ、本を読んで、自分と無縁の虚構や他者を知る必要などないだろう。死ではなく、災害、戦争、凄まじい抑圧、つまり「例外状況」をさえ生き延びようとする人間のために、だから文学は活かされねばならない。諦念や自暴自棄、シニシズムの自壊的回路を破砕すべき他者の力。氏はおそらく、それに「文学力」という名を与え、その到来を俟つことの希望を我々のもとに遺していった。

 絶筆の書『文学力の挑戦―ファミリー・欲望・テロリズム』(研究社、2012年)の最終章に、こんな一節がある。「自分が英文学の研究者であることと、セクシュアリティについて書いていることがどのように繋がるのだろう」。氏が稀有なフロイトの読者、ジュディス・バトラーの解説者であったことを思い出せば、セクシュアリティとはつねにすでに死と否認、そしてその忘却を経て立ち上がることに留意せねばならないだろう。一個の実人生が表しているセクシュアリティとは、あらかじめ喪われたありうべき性/生を弔った残骸を、生き延びた現象に相違ない。ならば文学による生への問いは、生が内包する暴力の、殺しの痕跡の解明なしでは果たし得ないということになる。

「生き延びる」という現象は、ひとえに誰かの「死」に依存する副次的な生を指す。竹村さんを差し置いて生きる。今朝もまた、私はその意味を自問せずにはいられない。

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