竹村和子フェミニズム基金設立のいきさつ

竹村和子フェミニズム基金評議員、元お茶の水女子大学教授:河野貴代美
【CGS Newsletter015掲載記事 日本からのニュース:追悼・竹村和子氏】

竹村氏の遺志のもと設立された、一般財団法人「竹村和子フェミニズム基金」(通称:竹村基金http://takemura-fund.org/)。この基金について、同法人評議員で元お茶の水女子大学教授の河野貴代美先生にお話を伺いました。

 竹村和子さんが、「竹村和子フェミニズム基金」(以降基金と省略)に関する意向を明確にしたのは、昨年3月の緊急手術後、治療法の確立していない悪性腫瘍の末期と宣告された後の4月中旬である。ご自宅に専門家を招かれ相談されたが、二度目のときは成文化にむけた話があったようで、面談後疲労困憊し「自分の死後のことを考えるなんて憂鬱」と暗い表情で言っていたことが記憶に新しい。再度基金に向き合うのは再発後主治医に見放され、長野県八ケ岳の山荘にいた夏ごろである。7月末大阪の病院に入院。メール、電話のやりとりを通して、基金の現理事の一人が中心となり、8月中旬には「竹村和子フェミニズム基金(案)」が彼女の手で作られている。同時に竹村さんが個人的にお願いした協力者にも快諾いただき、少しずつ陣容が固まってくる。9月初旬には協力者の一人の助言により、これまで考えていたNPO法人を取りやめ、一般財団法人の申請を選ぶ。事務方をお茶の水学術事業会にやっていただくことも決まり、竹村さんはことのほか喜んでいた。

 彼女の闘病を支える「チームK(和子)」というのが作られており(今詳細は書けないが)、10月末、彼女の発案でメンバーへの感謝の集いを持った。このとき、竹村さんも出席し、11月の「一般財団法人竹村和子フェミニズム基金」登記予定や趣旨を書いたチラシを出席者全員に配り(協力者はチームから出ている)、全員に今後の協力を仰いだのだった。その数日後、竹村さんは長野の病院に移り、そのまま帰宅する機会もなく12月逝去された。闘病のなか、竹村さんの基金によせる想いは強く、よくあれだけのエネルギーを集中できたと深く感銘するところだ。経過の詳細を書けばきりがない。基金は紆余曲折のなかひとえに竹村さんの遺志を引き継いでいくという、協力者による無償の努力の結果である。これをシスターフッドと言わなければなんと言おう。

 基金の趣旨等はウエブをご覧頂きたいが、基金の特徴は、研究助成金にアクセスしにくい(を持たない)研究者や活動家に財政的な支援をしたいという目配りがなされていることである。とくにたとえば科研費申請などのように、趣旨、意図、目的といったような、同じ文言をいくつかに分けて書かなければならない形式性より実質を重んじるという強い意向が反映されている。蛇足だが竹村さんご自身は科研費パスの常連で、昨年申請を許可されていた研究タイトルは「"ポスト人間主義"時代の暴力の表象分析と理論化―ジェンダー視点の再構成」(5年)というものだった。暴力がバイオ・ポリッティクスのなかに再整備されていく昨今、これを書いて欲しかったし、書かせてあげたかったと思う。

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