ベーシックインカムをジェンダーの視点から考える

埼玉県立大学助教:堅田 香緒里
【CGS Newsletter015掲載記事 特集:働くと「生きる」をジェンダーの視点から考える】

今号のニューズレターでは、『働くと「生きる」をジェンダーの視点から考える』と題し、私たちと労働・社会の在り方を見直すヒントを探る特集を組みました。最初のテーマはベーシックインカム。この概念が切り開く社会の地平について、「ベーシックインカムとジェンダー」(現代書館2011)共編者・堅田香緒里さんに伺いました。

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 ベーシックインカム(以下、BI)とは、すべての個人に、その生活に必要な所得を無条件で保障しようというシンプルな政策構想である。言い換えればそれは、一切の条件なしに私たちの生の営みそのものに支払われる賃金のことである。そして、私たちの生の営みのうち最も根源的なもの、すなわち子を生み育て、年寄りをケアし、日々の糧となる食事を作り、寝床を整える...これら雑多な労働すなわち家事労働/再生産労働を担ってきたのは、多くの場合「女」であった。この意味で、普遍的な生存賃金としてあるBIは、何よりもまず、長い間これら不払い労働の担い手であった「女」の手によって構想されなければならないだろう。

 さてこの構想は、ワーキングプアやホームレス、母子世帯の貧困などが、社会的排除として社会問題化されるようになる1990年代以降、これらの排除に抗して多様な生を包摂しうる新たな政策構想として注目されるようになった。既存の福祉国家型の所得保障では、これらの貧困や排除に対抗できない、というわけだ。

 既存の福祉国家型の所得保障と比した時のBIの特徴はおよそふたつある。第一に、個人単位であること。福祉国家型の所得保障においては、男は家の外で働き(賃労働)、女は家の中で家事をする(不払い労働)という性別役割分業に基づいた近代家族モデルを前提とした世帯単位の給付が多いのに対し、BIは個人単位の給付である。このため、それは世帯内の分配の不平等を緩和しうるのみならず、新しい家族の形に開かれた構想であるとも言われる。第二に、無条件であること。福祉国家型の所得保障とは異なり、労働や資産、性別、年齢、婚姻関係等に関する要件が一切なく、人はただその生存ゆえにBIを要求することができる。このため、ミーンズテスト等の調査が不要になり、調査に付随しがちなスティグマを回避することができるとも言われる。

 これまでこの構想に向けられてきた最大の疑義は、「BIがあったら、人は働かなくなってしまうのではないか」というものだ。この問いの背後には「私たちが働くのは金のためだ」という想定がある。しかしそれは全く失礼な話だし、そればかりか私たちの現実とかけ離れた妄想である。たとえば私たち―とりわけ「女」―は、一銭も支払われなくても子供を産み育ててきたし、全く金にならなくとも絵や詩を創作し続けてきた。育児や家事、創作は、確かに支払われないことが多かったけれど、これらもまた労働である。むしろ問われなければならないのは、これまで多くの人がフリーライドしてきた「女」の不払い労働の方ではないだろうか。

 このように私たちは、BIを通して、労働や家族、社会保障、ひいては私たちの生そのものを問い直していくことができるだろう。BIが開きうる新しい社会、新しい生のあり方を欲望と知恵を絞り合って、共に考えていけたら嬉しい。

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