「教養」としての性の知識


ICU保健体育科:三橋良子
【CGS Newsletter016掲載記事/特別特集:CGS開設10周年へ向けて】

2013年度より、教養学部生必修科目「保健理論」内で、CGSスタッフが「性の健康を考える」と題したゲスト講義を開催するコラボレーションが始まりました。「保健理論」を担当する保健体育科主任の三橋良子先生に、この取り組みの企図と、今後の展望についてお寄せ頂きました。

 CGS開設当初、私は自分にはあまり関係がない分野だなー、と感じたのを覚えています。女性として60年以上生きてまいりましたが、元来、自分の性に対しあまり関心がなく、「女性である前に人間だ」という意識が強かったように思います。育った環境も男兄弟の真ん中、いとこも男ばかりだったせいか、ごくあたり前のように男の子のように育っていたのかもしれません。性を意識したのは大学を選ぶときに、男はうるさいから女子大がいいと、お茶の水女子大学を選んだ事を今回思い出しました。妊娠や出産も女性の特権と思っていましたし、実際、妊娠に出産、子育ては人生の中で、部の顧問としても活動してきた和太鼓の公演より面白い経験でした。

 そんな状態でしたから、女性としての自分にも何ら抵抗感がなく、常に「やりたいことをやる」を基本に生きてきました。ジェンダーという言葉が自分に突き刺さったのは、自分の教え子のカミングアウトでした。周囲の学生仲間は全然動じていないにもかかわらず、私自身は何年も一緒に活動してきたのに気がつかなかった事に衝撃を受けました。「何か傷つけていたのではないのだろうか」と自己嫌悪にもなりそうでした。その時点から、ジェンダーという言葉に無関心でいられなくなりました。その教え子は私にとってかけがえのない存在だったからだと思います。しかも、その「かけがえのなさ」はカミングアウトされても私の中で微動だにしませんでした。だからといって、すぐ何もかも理解できるはずもなく、仕方がないのでそのギャップを知識で埋めていくことにし、本などを読み漁りました。現在でも私がどれだけジェンダーを理解できるようになったかはわかりません。性同一性障害の学生には本人と個人的に話して対応してはいますが、相手の現実を想像することぐらいしかできません。知識で埋められる部分と生理的に理解できない部分を、無理せず同居させることにしています。全部の人と仲良くなるわけではなく、好きな人や嫌いな人がいると同じように結局、ジェンダーの問題ではなく、個人対個人のことなんだとも思っていました。

 ところが、ある時、性同一性障害の学生から「いじめ」を受けていると聞いて非常に不愉快に感じました。ICUの学生の中で教養も品もない人間の行為である「いじめ」があると聞いて、憤慨すると同時に残念でなさけなく思いました。「いじめ」をおこなう人間は実際、社会に存在しますが、そのような行為を「抑止する能力」こそが「教養」であると考えていたからです。しかし、そのような「教養」は、やはり知識がないと身につかないのではと、私自身の体験から思いました。そこで、2012年度にCGSの先生やスタッフの方の協力を得て、保健理論のクラスの中で「性について」話していただくことにいたしました。学生の反応は非常に真摯であり、手ごたえを感じましたが、1学年を4つのクラスに分けて開講される授業ですので、2012年度は四分の一の学生に届けることしかできませんでした。そのため、2013年度からはもうひとりの担当者である非常勤の先生のクラスでも、同じ講義をお願いすることになりました。2013年度の入学生は全員、「性について」の知識を持つことになります。その知識が本当に消化され、生きた教養になるのは自分自身がそのような現実に向き合った時でしょう。そして、ICU生としてしっかり対処する能力を身に着けてくれていると信じています。

 こうやって思い返すとこの9年間、私自身もジェンダーという分野の端っこで成長させていただいたんだなーと感無量です。10年目以降にもつなげていければと思います。

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