OUT、自分を見つける旅 <フルテキスト版>

フェミニスト・ビデオ・アクティビズムWOM(ウム)
【CGS Newsletter016掲載記事/アジアからのニュース】

フェミニスト・ビデオ・アクティビズムWOM(ウム)は、2001年以降、ドキュメンタリー映画製作やメディア教育、政策提案、映画供給などに、フェミニストの立場から取り組んできました。今回のニューズレターでは、2013年3月開催のYoRAPイベント「韓国ユース・レズビアンのつながりを撮る」での講演を収録します。(翻訳協力:伊庭みか子、須崎友紀)

 フェミニスト・ビデオ・アクティビズムWOM(ウム)は、2001年以降、フェミニストのドキュメンタリー映画製作、フェミニスト・メディア教育、政策提案、(映画)供給などに取り組んできました。

 障害を持つ女性や暴力を受けた女性被害者、女性労働者、レズビアンなど、多様な女性のアイデンティティを模索する数々のドキュメンタリーを制作してきました。また、実在の登場人物(主役など)とプロデューサーの人間関係に焦点を当てて撮影を進めるフェミニスト・ドキュメンタリー映画の形式や制作方式などの試行錯誤を繰り返してきました。2005年、10代のレズビアンを題材にしたドキュメンタリー映画を企画し、そのデータを集めたところ、中高校生のレズビアンが深刻な不利益を被っていることが分かりました。10代のレズビアンは、学校における不利益を「学校レズビアン検閲(Lesbian censorship in school)」と呼んでいました。彼女たちはインターネット上のコミュニティーに「学校レズビアン検閲」に対する懸念を投稿して、注意を呼びかけていました。ホモフォビアの社会的風潮の風当たりは、特に10代のレズビアン、10代の女子で同性愛者である彼女たちに対して強いのです。当時、全国の数多くの学校が10代のレズビアンの人権侵害を行っていました。こういった学校は、彼女たちのレズビアンとしてのアイデンティティを認めませんでした。教員や教育制度の責任者は、彼女達のアイデンティティを卑俗な存在だと捉えていただけでなく、強制的な手段で簡単に変えることができると考えていたからです。「学校レズビアン検閲」は、同性愛に対する無知と嫌悪感をベースとした10代のレズビアンに対する著しい人権侵害でした。

 チョンジェ(Chun-jae)との出会いは2005年3月でした。取材目的で10代のレズビアンに呼び掛けたところ、メールで応えてくれたのです。当時チョンジェは中学校の上級生(3年生)で、1年生の時から教員の監視を受け、「学校レズビアン検閲」による罰を強いられていました。

 学校側は、レズビアンだと疑われる学生のブラックリストを張り出していました。このリストに載ったチョンジェは、学校の監視下におかれ、ブラックリストに掲載された友人に会うことを禁じられました。友人と共に昼食をとることもできず、放課後や休暇でさえ、一緒にいることを禁じられたのです。友人と会ったり、メモをやりとりしたり、頷きあうだけで、罰を受けました。彼女を罰する時、教員は常に冷たい態度で、レズビアンはまともではないから、早くお前を更生させないといけないと話しました。この学校では懲戒処分として転校を強いられた学生が4名いました。

 チョンジェと彼女の友人達は、教室で勉強するよりも多くの日々を、校舎の清掃やその日の反省文の提出、教室の外で立たされるなどして過ごしました。

 チョンジェと友人達はひどい仕打ちを受けたことを悔しがりましたが、自分がレズビアンであること(アイデンティティ)が原因で罰を課されたために、家族にも誰にも助けを求めることができませんでした。決して変わる可能性のない状況を耐えるのはつらいものでした。チョンジェは怒りの矛先を自分の体に向けたため、彼女の腕には自分でつけた切り傷がいくつも残っています。


彼女自身ではっきりと意見を述べる

 チョンジェは彼女自身の話をすることで、10代のレズビアンに対する偏見を変えたいと望みました。私達が最初に考えたのは、彼女の身の安全でした。個人情報が明らかになったとき、本人が被ることになる苦痛や不利益を心配したのです。主役のチョンジェの安全が守れる方法でドキュメンタリーを制作し、彼女を傷つけることない方法で意思疎通を図ろうとしました。それは、大人として、フェミニスト・ドキュメンタリーの監督として、さらにレズビアンとしての義務であり、倫理でした。

 まずこのドキュメンタリーの制作にあたって、チョンジェとの協力関係を築こうと決めました。

 私達は彼女が誰にも明かせなかったことを語る手助けをし、身の安全を守るためには、どの程度自分をさらけ出すべきかを決める後押しをし、彼女のストーリーを支援する雰囲気の中でドキュメンタリーを上映したいと考えました。簡単なカメラの操作方法や自らを守りながら自分をさらけ出す方法を教えました。それから、自分について語るよう頼みました。撮影の最中に彼女に会いに行った時には、彼女と一緒に彼女が置かれている状況や苦痛についておしゃべりし、カメラの技術を教え、それまで取りためてあったシーンを見て指示を出しました。

 3か月の撮影を経て、それまで一人ぼっちだったチョンジェは、カメラとすっかり仲良くなりました。チョンジェは、理不尽な処分や孤独、学校に対する怒りについて、また、友人がレズビアンというアイデンティティのために退学を強いられた時の悲しみについて語りました。2005年、この話は「学校のレズビアン検閲」(Lesbian Censorship in School )というドキュメンタリー映画になりました。

「学校のレズビアン検閲」は韓国社会では知られていなかった10代のレズビアンの存在を目に見える形で紹介したので、10代の同性愛者の人権問題に対する社会的意識を引き起こしました。

 観客はチョンジェの話を聞いて、10代のレズビアンに対する学校の暴力に驚き、激怒しました。

「学校のレズビアン検閲」の制作中、10代のレズビアンたちの心の声をもっと深く聞きたいと思うようになり、この作品を完成させてすぐに、特集ドキュメンタリー「OUT」の制作に着手したのです。


傷口と苦痛の根源を特定する道

「OUT」は3人の登場人物(チョンジェChun-jae、チョイCho-i、コマKoma)が、ホモフォビアの社会で、身体的・精神的暴力を受けながらも自己肯定してゆく過程をとらえたドキュメンタリー映画です。

 出演者の安全を確保する手段を用意する必要がありました。そして、出演者3人とドキュメンタリー制作チームとの新たな関係を築かなければなりませんでした。

 このドキュメンタリー制作を通じて、3人が勇気づけられ、エンパワメントされることを何よりも願っていました。ドキュメンタリー撮影の過程では、出演者のパワーが増し、主観性を強く持てるようになる方法を模索しました。以前試した主演者との協力による方法をもっと拡大してみることにしました。これを「ドキュメンタリーの主役による制作参加型」と呼ぶことにしたのですが、主演者が、ドキュメンタリーの筋立てを考え、撮影、編集、配給に渡る全てのプロセスに参加するという方法です。その鍵は、10代の主演者たちがストーリーを組立て、撮影をし、それぞれのシーンの監督となる「自己演出」です。

 このドキュメンタリーの企画にあたって、私は、「自己演出」する主演者たちの必須事項をメモしました。下記の通りです。

1. ホモフォビア思考から来る「嫌悪」の犯罪と仲間はずれにされたり、村八分にされたりするといった嫌がらせを受ける可能性が現実にあることを考慮すること。

2. 主演者が自分で社会的なカミング・アウトを決定できるようにするため、映画での露出は自己制限する必要がある。

3. 主演者が客観的ではなく主観的にストーリーを語ること。

4. 主演者が、ドキュメンタリーの主題としての自覚を持って立ち振る舞えるようにすること。

5. 撮影の過程を通じて、主演者が自分の人生に深く向き合い、傷を癒せるチャンスを提供できるようにすること。

6. 映画制作全体において、メディア教育による映像言語を用い表現手段を提供すること。


「OUT」はオムニバス形式で、3人のビデオ日記をまとめたものです。「学校でのレズビアン検閲」と同様、彼女達に自由にカメラを使わせて、心の葛藤について語り、自分たちのアイデンティティについて考えてもらうようにしました。

 主演者たちとは週3回会い、ビデオ日記を一緒に観て、それぞれに自分に距離をおいて、映像のチェックをさせました。これは、自分の考えを自己分析する過程でした。必要に応じて、セクシュアル・アイデンティティに関する幅広い情報や例を提供したり、考え方を変える手助けをしたり、問題の解決方法を見つけるよう励ましたりして、それぞれが、自分自身の変化を認識できるようにしました。

 撮影の開始時にチョイが「全ては過去に起こったこと。彼女はもう大丈夫」と言いました。チョイは自分の傷口を無視することに慣れていました。4か月に及んだ撮影後、彼女は過去の出来事から深い傷を受けたという事実を認識し、これ以上傷を受けることへの恐れから心を閉ざしていたことに気づきました。チョイは自分の状況を率直に悲しみますが、その後、カメラに向かってこういいました。「以前は女の子が好きなのかもしれない、と言っていたけれど、今では、これまでは女の子が大好きだったし、今も大好きだと言えるわ!」

 セクシュアル・アイデンティティについて考えるということは、誰かが強制的に考えさせることではありません。それは、自然に頭の中に浮かぶものなのです。ティーンエイジャーが自力で自分たちのアイデンティティを発見する前に他の人の否定的な見解によって烙印を押されてしまうと、ものごとを知ったり、考えたり、自分を見出す道を自分で閉じてしまうのです。

 自己演出により自ら語ることは、自問自答し、自分の手で答えを見つける過程でした。自問して自分で答えを見つけるためには、自分の内面から出てくる推進力が必要です。この過程は、最終的に自分の傷口や苦痛の根源を見つける力を与えてくれます。支援や信頼が根づいている空間で自分について考えたり語ったりすることで変化が訪れるのです。

 異性愛規範性(ヘテロノーマティビティ)やホモフォビアによる傷を負った10代のレズビアンたちが自ら語ることにより、自分の傷や苦痛を発見、確認して、癒すことができることが分かりました。


自尊心を培うプロセス

 コマは学校で、模範生とされていましたが、本人は自分が部外者だと感じていました。彼女は日常生活の中で自分を隠し、異性愛者であるふりをするのに必死でした。彼女は女性を愛する自分の性的志向が間違っているわけではなく、ホモフォビアの社会が間違っていることを知っていました。しかし、自分の性的志向に対する家族や友人の反応見てしまった時の苦しみと、恐れは彼女の心奥深くに残ったままでした。

 韓国では「学校のレズビアン検閲」と「OUT」以前はレズビアンに関するドキュメンタリーがなかったため、多くのレズビアンが私達のプロジェクトに協力してくださいました。
コマは映画制作を通じて多くのレズビアンのスタッフと交流するうちに、恐怖心を克服していきました。

 2007年4月に「OUT」が完成し、ソウルで開催された国際女性映画祭で初公開されました。チケットはあっという間に完売し、500席ほどの会場は観客で埋め尽くされました。韓国初のレズビアン・同性愛者をテーマとしたドキュメンタリー映画である本作品が、多くの期待を集めたのです。3人の主演者は、期待感と不安感を胸に、観客の反応を観察しました。上映後、彼女達は舞台に上がり、自分達で作詞を手掛けたテーマソングを歌いました。舞台上でのパフォーマンス中と質疑応答の間、彼女達は身元を明かさないために仮面をかぶっていました。司会者が言ったのです。彼女達が仮面を付けて身を隠さざるを得ないようなホモフォビアの社会を変えることに賛同する人、変える意思がある人は、みなさんも仮面をつけてください、と呼びかけました。すると、観客全員が仮面をかぶり、立ちあがって共に合唱をしました。劇場は、主演者と観客全員の情熱で自然発生したフェスティバル会場になりました。周りの共感を得て、認められることこそ、自尊心を培うために大切なことです。

「OUT」を作成する過程は韓国のレズビアン・コミュニティーを組織する過程でもありました。30代のレズビアンたちは、レズビアンのストーリーを語り始める枠組みをつくり、20代のレズビアンたちは、10代のレズビアンのために希望のメッセージを込めた歌を作曲・合唱しました。そして10代のレズビアンたちは勇気をもって自分達のストーリーを語りました。観客は、10代のレズビアン達の低く、優しく、しかし芯の強い声に、大いに共感しました。3人の主演者たちとドキュメンタリー・チームは自分達が孤独ではないということ、そしてお互いを信頼することで恐怖心や偏見を乗り越えられるということを、このドキュメンタリー映画制作を通じて学びました。

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