境界と共生を問い直す:ナショナリティ、身体、ジェンダー・セクシュアリティ


CGS 副センター長 : 高松香奈
【CGS Newsletter017掲載記事/特集「CGS 10周年記念シンポジウム」】

CGSは2014年11月23日(日)に、シンポジウム「境界と共生を問い直す:ナショナリティ、身体、ジェンダー・セクシュアリティ」を開催します。CGS開設10周年を記念して行われるこのイベントについて、イベント全体像を運営委員の高松香奈が、各部会の内容を準研究員の堀真悟と松﨑実穂、研究所助手の佐々木裕子がご紹介します。

「境界」とは何を意味し、どこで/何によって「境界」が引かれるのか。そして対義的イメージを持つ「共生」はどう議論され、模索できるのだろうか。

「国境」が「境界」のひとつであるとするならば、その「境界」を越える人の数は国際的に増加傾向にある。日本への訪問者も例外ではなく、近年は増減がみられるものの、10年前と単純比較をすると「外国人入国者数」が増加傾向にあることが法務省入国管理局の公表で示されている。このように、「国境」という「境界」を行き交う人の数は確実に増えているのだ。日本政府も「観光立国推進基本法」にみられるように、日本への"短期的"な「訪問者」の増加を歓迎している。

 しかし同時に、「境界」の持つ多義性にも目を向けなくてはならない。すなわち、「国境」という「境界」だけではなく、それとは異なる「境界」が複数に存在するケースである。「境界」が引かれ続けられる現実と、それによる排除の動向には批判的視座を持たなくてはならない。例えば、特定の集団に対する差別的発言や憎悪発言は、「境界」に基づく排除の具体例のひとつといえよう。

 複数に存在する「境界」は「特別」な空間で表出しているわけではない。「大学」という身近な場所でも指摘できる。例えば、文部科学省が「留学生30万人計画」を策定し、「国境」という「境界」を越えさせる努力をしている一方で、留学生受け入れにまつわる「制度」や「規範」が新たに「境界」を作り出している側面も把握しなくてはならない。大学に内在化された規範は、時に(実はとても頻繁に)、新たな「境界」を編成し、個々の生活や存在そのものに制約を与えているのだ。

 このように、人と人、人と社会を分断する新たな「境界」はあらゆるところで編成されている。だからこそナショナリティ、身体、ジェンダー、セクシュアリティの視点からの問い直しは不可欠であり、同時に「共生」の議論と模索の可能性を検討しなくてはならない。

 以上のような視点から、CGSは10周年記念イベントとして、2014年11月23日(日)に、シンポジウム「境界と共生を問い直す:ナショナリティ、身体、ジェンダー・セクシュアリティ」を開催する。第1部は「対立を語り直す -ジェンダー・セクシュアリティの視点からレイシズムを考える」をテーマに、暴発するレイシズムやヘイトスピーチに対し、ジェンダー・セクシュアリティ研究の視点からの語り直しを目指す。第2部では、「留学制度と身体の周縁化 -「性」の議論の不在を問う」をテーマに、ジェンダー・セクシュアリティに関わる規範や制度が、どう留学生の日常や意識に影響を与えるのかという点を議論したい。それらに引き続く第3部は、フロアも交えた全体でのセッションとして、各部で示された新たな論点を横断的に議論する。それぞれの部を通して、「世界基準の大学」にあるジェンダー研究センターとして、いまいちど、差別や排除を捉え批判するための視座を提示し、具体的な提言につなげていきたい。

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