ICU卒業生(2015):壮一
【CGS Newsletter018掲載記事】
ICUは学際的にジェンダー・セクシュアリティを専攻できるカリキュラムがある、日本では貴重な大学のひとつです。CGSはこの専攻の学びのサポートを行ない、「性」にまつわる気軽な雑談や、勉強会を行なう場としても機能してきました。2015年3月に卒業した壮一さんが、ICUでの生活を振り返ります。
僕は2015年の春、ICUを卒業した。大学での4年間、僕はオープンリーゲイとして自認し、また行動してきた。一部の友人にのみ共有される秘密ではなく、僕個人を形作る欠かせない要素として、知り合う人にはセクシュアリティを隠すことなく伝えたい。そのような気持ちで、「僕はゲイなんだ」と直接伝えるかたちでカミングアウトを繰り返した。ICU生の多くはゲイという存在を既に認知しており、「別にそれっていいよね」と受け入れてくれる人たちばかりだった。また、知り合ってすぐSNSで繋がることも多いため、昔のように面と向かって「実は...」と話さなくても僕がゲイであることを認識してくれる友人も増え、直接カミングアウトをする必要もなくなっていった。周りが当たり前のように自分がゲイだと認知し、受け入れてもらえるような生き方に憧れを持っていた僕は、周囲の理解を得てこのような大学生活が送れたことを、心から感謝している。
こうして理想的な環境を手にする一方で、心の中に生まれていた不思議な違和感やわだかまり。それは、お互いに「わかったつもり」になっているのでは、という疑問だった。例えば、仲が良い友人に「自分のことは女性だと思っているの?」と聞かれたとき、友人の理解にトランスジェンダーとゲイの混同があったことを知り、また「僕はゲイだ」という事実は伝わっていても、その「ゲイ」という言葉の持つ意味が正しく伝え切れていなかったことを痛感した。本来は対話を重ねてお互いの人となりについて理解を深めていくものが、「ゲイ」というラベルの存在によって「わかったつもり」「伝えたつもり」になってしまうと知った。カミングアウトは行うことでその前後の世界ががらりと変わるような一瞬の行為ではなく、そこから始まる対話を粘り強く続ける作業であるということを実感した。
カミングアウトを受ける人はラベルだけを見て「わかったつもり」になるのでなく、わからないことや相手自身の考えを探っていく。そしてカミングアウトをするという生き方を選ぶ人は、一度で伝わったか伝わらないか、ではなく、繰り返し対話を続け理解を深め合う、人生を通したプロセスとしてのカミングアウトを考える。入学前は「カミングアウトさえできれば自分らしく生きられるし、自分の言いたいことも全部伝わる」と考えていた僕は、ICUでの日々や友人との交流を通じて対話の必要性を学ぶことができた。今後ICUとは異なる社会で触れ合っていく人々との交流は、これまで以上に「わかったつもり」になりがちだと懸念しているが、だからこそ学んだ姿勢を忘れずに、相手のためにも、そして何より自分のためにも、人と真摯に向き合い生きていきたいと思っている。