産む・産まない選択や人権の視点が欠如した堕胎罪・母体保護法――刑法堕胎罪とリプロダクティブ・ヘルス/ライツ

「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」フリーライター・編集者・非常勤講師:大橋由香子
【CGS Newsletter018掲載記事/特集:リプロダクティブ・ヘルス/ライツ】

日本には、人工妊娠中絶を原則的に禁止する刑法堕胎罪が、約110年ものあいだ存在し続けています。女性の自らの身体に対する自己決定権を認めない、この法律の歴史と問題点について、「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」のメンバー・大橋由香子さんに解説していただきます。

「妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する」という条文が、1907年から現在まで、刑法212条にずっと存在している。

 堕胎とは、人工妊娠中絶のこと。いまの日本に堕胎罪があるの? と驚く人が多いが、優生保護法(1948年)→母体保護法(1996年)が定める場合に限って適用されないだけで、堕胎罪は存続している。

 1948年までは堕胎罪で捕まる人もいた。1936 年、女優・志賀暁子の逮捕は一大スキャンダルになった。相手の映画監督はお咎めもなく映画製作を続け、志賀は執行猶予つきの有罪。ちなみに、213-214条は堕胎をした施術者、215-216 条は妊娠した女性が同意してないのに堕胎させた者を罰している。

 今の感覚からは、「避妊すればいいのに」と思うだろうが、戦前は産児調節(避妊)も禁止。マーガレット・サンガーに共鳴した産児調節運動家の加藤シズエや、夫の暴力や多産に苦しむ女たちに泣きつかれて中絶した産婆(助産師)・柴原浦子も牢屋に入れられた。

 アジアへの侵略戦争を進める日本は、「産めよ殖やせよ」と人口増加政策をすすめ、優良多子家庭を表彰し、女性は「子宝部隊」として天皇の赤子(せきし)を産むことが期待された。

 1945年の敗戦を経て、女性も参政権を得て、大日本帝国憲法が日本国憲法になり、第14条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とされた。刑法の姦通罪(夫以外の男性と性交した妻だけが罰せられる)も廃止された。では、堕胎罪はどうなったのか。

 例外的に中絶を許可した1948年制定の優生保護法の目的は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」である。優秀な兵士は増やし、「穀潰し」になる障害/病者は減らすという戦争中の優生思想が、さらに強化された法律だ。目的の後半「母性の生命健康を保護」も、裏返せば「母になるためには大事にしよう」ということであり、1980年代以降に女性運動から生まれたリプロダクティブ・ライツ/フリーダムという概念からは、かけ離れている。

 優生保護法から「不良な子孫の出生防止」という優生的な部分を削除して母体保護法になったのは1996年。優生保護法における人権侵害の被害について、国による調査も謝罪も補償もされていない。

 現在も、堕胎罪と母体保護法のセットで、人口の質や量をコントロールする仕組みが延命したままだ。リプロダクティブ・ヘルス/ライツの考え方(産むか産まないかは国や第三者に強要されることなく、各自が選べる。そのための情報や手段、支援が必要であり、性やセクシュアリティの自由も含む)が反映されていない。それどころか、近年は少子化対策の名のもとに、産むことが奨励され、産まない方向のサポートは削られている。「女性」という言葉を乱用するばかりで、人口の数値目標を設定するような現政権には、人権の視点が欠けていると言わざるをえない。

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