「DPI女性障害者ネットワーク」:米津知子
【CGS Newsletter018掲載記事/特集:リプロダクティブ・ヘルス/ライツ】
2015年6月23日、旧優生保護法下で実施された、強制不妊手術に対する人権救済申し立てが行われ、大きく報道されました。障害を持つ女性たちが直面してきた差別・排除、展開してきた運動について、「DPI女性障害者ネットワーク」の米津知子さんにご寄稿いただきました。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(以下RH/R)は、人口管理をめぐる政治と、これに対抗する国際的な女性の健康運動のせめぎ合いで醸成され、1994年国際人口・開発会議「カイロ行動計画」に結実した。2006年「障害者権利条約」第23条「家庭及び家族の尊重」と第25条「健康」にも反映された。しかし日本において、障害をもたない女性のRH/Rも確立したとはいえず、障害女性にはさらに困難がある。
DPI女性障害者ネットワークが2011年に行った「複合差別実態調査」にも、性と生殖に関する回答が寄せられた。「10歳代だった1963年頃優生手術(不妊手術)を受けさせられた。」「生理が始まった中学生のころ母親から子宮摘出を勧められた。」「"障害が遺伝する""育てられないだろう"と、妊娠出産に反対された。」「出生前検査、妊娠中絶を勧められた。」などだ。調査後に、障害を理由に出産のための入院を断られた例が寄せられている。
かつて優生保護法(1948~96年)が、本人の同意を得ずに強制した優生上の理由による不妊手術は、公式統計にあるだけでも16,477件。被害者の約7割が女性だ。同法の規定に違反する術式の手術や、月経の介助負担を軽減する目的の子宮摘出手術も、暗黙のうちに認められていた。同法が1996年に「母体保護法」に改定された後も、"障害女性は妊娠出産しない。するべきではない"という偏見が根深く、障害女性のRH/Rを阻害している。
しかし障害女性当事者は、RH/Rの確立に向けてとても活動的であった。1970年代から重度障害の女性が出産・子育てに挑み、80年代の自立生活運動で体制づくりに取り組むとともにピアカウンセリングを広め、性や生殖についての語り合いで自己肯定と決定力を高めた。後に子育ての自助グループも発足。また、障害のない女性とも共動した。80年代、月経の調査に参加して障害をもつ視点を反映させた。1994年カイロ会議と並行し開催されたNGOフォーラムに出席。優生保護法を告発。海外メディアの報道で日本政府への外圧となった。
DPI女性障害者ネットは現在、障害者制度改革で権利条約23条、25条――障害者が享受する保健サービスに性及び生殖の健康が含まれること、生殖能力を保持し、子の数及び出産の間隔を決定する権利を実現しようとしている。国連の規約人権委員会、女子差別撤廃委員会への働きかけも積極的に行ってきた。
障害女性のRH/Rに課題は多いが、障害に対応する性と生殖の教育、情報提供、妊娠・出産に対するサービスとともに、月経用品や避妊の技術開発と普及が望まれる。
性差別のある社会は、出産・育児・家事を女性の役割として、それができる女性のみを評価するが、障害女性はそこから疎外される。人口政策は、必要な数と健康な子を産むよう女性を支配し、障害者の性と生殖を否定する。女性の健康運動はこれに対抗するものとしてRH/Rを実現しようとしてきた。今後は、障害女性にもこれを保障する運動となるよう、願っている。