03. 論評: 2006年4月アーカイブ

ICU学部生 : 川口遼
【CGS News Letter005掲載】

【要約】
 映画「メゾン・ド・ヒミコ」では、ゲイのための老人ホームを舞台に、借金を背負いながら塗装会社の事務員として働く沙織(柴崎コウ)、老人ホームのオーナーである沙織の父親・卑弥呼、その恋人・春彦(オダギリジョー)を巡る人間模様が描かれている。その性のあり方故に家族から離れて生活する老人ホームの入居者たちは、人生の末期において否応無く家族と向き合わさせられていく。また、この映画は沙織がつとめる塗装会社の専務、細川(西島秀俊)を巡る女性社員の争いを湛然に描くことにより、普遍的とされていた異性愛規範を相対化もする。この会社には、細川との性的な関係を担保に、女子社員の会社内における権力が保証される構造が存在する。この構造は、まさしく非対称的な男女間のセクシュアリティの交換を正当とみなす、異性愛規範に基づいている。この構造から距離をとっている沙織、春彦が細川と関わることにより、今まで問われることのなかった細川のセクシュアリティが相対化され、ひいては構造自体が非普遍的であることが暴かれる。つまり、この映画は一見するとゲイを巡る物語のように見えるが、異性愛規範を問うものとも読めるのだ。

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