飯野由里子×ミヤマアキラ対談「名付けを巡るポリティクス」採録2

飯野:それでは次の話題に移っていきます。ここまでの話で、もう多分どんな人でも(笑)、わかっているかなと思うんだけれども、異性愛が標準とされている世界に住んでいるよね、まぁそれは否めないよね。っていうことと、それを「異性愛がデフォルトの世界」ってここで私たちは今まで呼んできたけれども、そういう「異性愛がデフォルトの世界」では非異性愛の人たちは、リスキーだとは思っていても、わざわざ名乗らなきゃいけなかったり、何度も何度も名乗らなきゃいけなかったり、リマインドしてあげないといけない、しないと存在が消されちゃう、自分が何者であるかっていうことが認識されないまま、なんか「みんなそうだよね」っていう中に入れ込まれてしまう。そういう名乗らなきゃいけないこと自体、ややこしいし厄介だし、面倒くさいし問題だと思っているんだけれども、それだけなのか。今日は「〈名付け〉をめぐるポリティクス」というテーマですけれども、「名乗ることって厄介なんだよ」っていうだけでじゃなくて、もっともっと難しい問題が視点を変えると見えてくると思うので、次にそっちの話に移ろうと思います。

パッケージ化:人格への還元/要素への還元

飯野: これまでの話は「いちいち名乗らなきゃいけない」「わざわざ名乗らなきゃいけない」しかも「何度も何度も名乗らなきゃいけない」。そういうのを要請されてしまうこと自体がやっぱり問題だよねっていう話でした。
それ以外にも、名付けとか名乗りをめぐっては、厄介な問題が、含まれていると思うんですね。非異性愛を「やっている人」という言い方をミヤマさんは使っているので、ここでは異性愛やっている人と、非異性愛やっている人にしましょう。おそらくここからの話は非異性愛やっている人たちだけの問題じゃなくて、おそらく異性愛やっている人たちの問題でもあるかな、と思います。
 で、私とミヤマさんここに今すごい仲良く座っているように見えるけど、普段は話したことない…

ミヤマ:実は仲悪いんだよね(爆笑)。うそうそ(笑)。

飯野:性格が悪いんですよ(笑)。

ミヤマ:お互いね(笑)。

飯野:2回目なんだよね。ちゃんと話すのは2回目で、初めてちゃんとお会いしたのは、昨年?

ミヤマ:そうです。去年の8月。

飯野:8月!NWEC、国立女性教育会館というところで、先週みなさんも授業受けた清水晶子さんとかと一緒に、大所帯でワークショップをしたんですね。その時にミヤマさんとは初めてお会いしました。そのワークショップの中で一つの問題を表すものとして「パッケージ化」っていう用語が、ちょろっと出てきたんです。

ミヤマ:「パッケージ化」って名前を出してきたのは由里子だよね。

飯野:そう。あたし、名付けるの大好き(笑)。「デフォルト」も名付けたし。
「パッケージ化」っていう言葉を使ったんだけど、それって一体何ぞや、と。その時にはあまり話ができなかったので、今日ちょっとその辺りの話をミヤマさんの経験なんかもちょっと引き出しつつ、話してみたいなと思います。あのときってどういう風に使ったんだっけ?

ミヤマ:えー…その辺が曖昧で、私もよくわからなくて、今回の対談の内容として「パッケージ化」が挙がった時に、じゃあここで改めて「パッケージ化」って何を表しているんだろうね、っていうところから話をしたいなと思って、色々打ち合わせでも話をしたんですけれど。あの時はどう使っていたのか、あまり記憶が定かではありません。別のワークショップと掛け持ちしていて、半分しかいなかったもので。

飯野:あ、途中退席だったんですよね。そのワークショップの時も「パッケージ化」って言葉だけが最初に出た。パラサイトシングルみたいなもので、言葉が最初に出ました、っていう話なんですけれども、そのあとに二つぐらいの軸にわかれるかもね、っていう話は出たんですよね。一つは人格に還元するという軸。私自身はあまり人格っていう言葉を使わないので、その時はあんまりしっくり来なかったんですけれども、「人格への還元」があるんじゃないかという話になりました。で、もう一つが要素への還元っていう軸が出てきたように記憶しています。
「要素への還元」というのはどういうことかというと、例えば、ここではとりあえず「レズビアン」って使いましょう。「レズビアン」という名前はカテゴリーの名前でしかないんだけど、「レズビアン」という名前を持っている人は、Xという要素と、Yという要素と、Zという要素を持っているに違いない、というような思い込みがあるんじゃないか、というのが「要素への還元」です。XとYとZをパッケージに入れて、「レズビアン」って名前を書きました、みたいな偏見というか、思い込みがあるんじゃないかっていう話かなという風に思ったんですけれども。
 もう一つ「人格への還元」っていうのは、そのXとYとZの集合体としてのあなたが想定される。あなたってそういうパーソンですよね、みたいな感じですかね。

ミヤマ:レズビアンだったら外見的にはこういう特徴があって、こういう思考や行動のパターンがあるよね、みたいにおおざっぱにまとめられてしまうのがパッケージ化ですね。「同じレズビアンだったらこう思うでしょ?」みたいな同調圧力がかかったり。

飯野:要素と、要素が集積したものとしての人格があって、レズビアンとか、ゲイでもいいんですけれど、そういう名前を持っている人は、きっとこういう人たちなんだろうっていう思いこみがあるんじゃないかと。それは単にレズビアンを全く知らない異性愛の人たちが勝手に思いこんでいるというだけじゃなくて、まさに自分たちをレズビアンと名づけている人たちも、そういう思いこみを持っていたりするんじゃないかなぁと思います。さっきの「レズビアンだったらわかるでしょう?」っていうのは、レズビアンの人たちから発せられた言葉ですよね。それはなんかエピソードがあるんですか?

ミヤマ:例えば昨年あなたがお出しになった、ご本の中にもですね・・・

飯野:なんか書いたかなあ(笑)。

ミヤマ:書いてましたよ。代わりに宣伝しときますけど、これ、いい本なので、みなさんも読んでください。『レズビアンである私たちのストーリー』、生活書院から出ています。2200円プラス税ですね。

飯野:安っ!

ミヤマ:なんで私が宣伝してるの(笑)。私は去年これが出てすぐ買って読んだんですけど、今回の対談に備えてもう一回ちゃんと読み直しをしようと思って最近読んだんですよ。この本の中で、あるレズビアンの人たちのつくったミニコミ誌の読み直しをしているんですよね。

飯野:70年代後半から91年くらいまでのミニコミです。

ミヤマ:例えば、当時のレズビアン・イメージとして“男になりたがってる女”とか“男のような女”というのがありましたが、それもパッケージ化の一つかなと思ったんです。もちろんレズビアンじゃない人たち、非当事者からの決めつけというかパッケージ化というのが一つ挙げられますよね。あともう一つ、要素への還元という点では、レズビアンの定義にも関わるけど、「女の人が好きな女なんでしょ」ということで、「レズビアンと名乗るからには女とセックスしてるんでしょ」とか、あとは「女とセックスする女だったらレズビアンと名乗るべきだ」とか、要素の方から名乗りを要請されることもあったりするわけですよね。

飯野:今いくつかの論点が含まれていたと思うんですけど、パッケージ化の非常にわかりやすい例としては、レズビアンというからには「身体的には女なんだけれども、男になりたい」」という要素がくっつけられてパッケージ化がされているっていう話と、後者はむしろ「レズビアン」の側から「女が好きな女」っていうパッケージ化がなされているという話。たしかに日本の中でも「レズビアン=女を愛する女」っていう定義がされてるんですよね。そういう雑誌も出てたりして。私それって超違和感感じると思ったんだけれど、なぜかと言うとまず「女」でなきゃいけない。そこに結構ブレを感じている人って意外に多いのに、なんかさくっと「女を愛する女」って言っちゃうんだ、って。で、「愛する」って何なんだろう、みたいな(笑)。セックスまでしなきゃいけないのかな、とか、やっぱり性交渉を持たないとおつきあいにはなれないのかな、とか色々思うし、そういうパッケージ化もありますよね。「女を愛する女」もひとつのパッケージ化なんじゃないかなと思うんですよね。ミヤマさんが最後に言ったのは、「女とセックスをする女=レズビアン」なんだっていうパッケージ化もあって、でも、それが問題だって感じてるってことは、「女とセックスするからといってレズビアンとは限らない」ということでしょ?

ミヤマ:そうですよね。

飯野:性行為が必然的にというか自動的に「レズビアン」というカテゴリーにその人を入れ込むわけではない。何か媒介するものがあるっていう話じゃないのかなぁと思ったので、ちょっとおもしろいなって思いました。ごめんね、話の腰を折ってしまったようで(笑)

ミヤマ:いえいえ。

飯野:その他にはどんなパッケージ化があるかな?

ミヤマ:去年の5月から今年の2月いっぱいまで、とあるサイトでコラムを連載していたんですけれども、そこで私はプロフィールとしても、コラムの中身でも、「レズビアン」とは一言も名乗っていないんです。「レズビアン」っていうカテゴリーが自分にはしっくりこなくて、そう名乗る気がない。由里子も言いましたが、「レズビアンって女じゃなきゃいけないの?」っていうのもすごく思うところがあって、私は自分が女だという性自認はあんまり持っていないんですね。じゃあわたしはレズビアンとは名乗れないだろうなぁと思って、そのコラムでは自分のことを「まんこ好きのまんこ持ち」と説明していたんですね。そのコラムを一年近くやっているとまんこネタも尽きてくるんですよ。それでどういうこと書こうかなって色々悩んでですね(笑)、あんまりこういう言葉連呼しない方がいいんですかね(笑)。

飯野:「ピー」って入れなきゃいけないんじゃない(笑)

ミヤマ:すいません(笑)。で、色々試行錯誤していて、あるとき自分が書いていた原稿をボツにされたんですね、編集長に。それで何回かやりとりしていて、最初のコラムの軸は「ミヤマさんにはレズビアンセックスについて書いてほしかった」みたいなことをあとから言われて、私はそれを最初からシェアしていた記憶があまりないんですね。そもそも私はそのコラムでは「わたしはレズビアンである」という名乗りはしていないんだけど、「まんこ好きのまんこ持ち」というところでたぶん編集長が勝手に「あ、ミヤマさんはレズビアンなんだな。じゃあレズビアンセックスについて書いてもらいましょ」と判断したのだろうと。何の悪気もないとは思うんですけど、逆に配慮もないよなと思うわけです。

飯野:何への配慮?

ミヤマ:わたしが名乗っていないのに、その名乗っていない名乗りを勝手に名付ける、っていうところに配慮がないなと。

飯野:押し付けられた感がある、と。

ミヤマ:だから、その人が「レズビアンセックス」って名付けることで、何を書いてもらいたいと思っていたのかが、よくわからなくなってしまったんですね。わたしは、セクシュアルなことを含めて、自分の体験や考えたり感じたりしたことを書いていけばいいんだなって、勝手に了解して書いていたわけですよ。その中ではもちろん性的な行為についても書いているし、そこから離れることになるのかどうかはわからないけれども、たとえばホモフォビア、同性愛嫌悪とかトランスフォビアに関することも書いていて、具体的なセックスの話から離れるとやっぱりNGをだされる傾向にはあったんですよね。

飯野:ふーん。まぁじゃあその人は、ミヤマさんじゃなくてレズビアンに書いて欲しかったんだ。

ミヤマ:多分そうですね。だから人選ミスっちゃ人選ミスなんですよ(笑)。

飯野:それがまさにパッケージ化じゃない?まさに書くってすごく個別的な行為であるにも関わらず、結構「レズビアンの視点から書いてください」とか言われることがあって、「はてな?」って思うんです(笑)。わたしの視点からは書けるけど。

ミヤマ:別に私は「レズビアン」を代表できないからね。

名乗りの強要

飯野:レズビアンの視点かどうかわたしにはわからないけどまあいいか、みたいな感じで、自分の視点から書くんだけど、でもネットとかに載るときには「レズビアン当事者による」みたいに、すごいご丁寧に書いていただいて(笑)、まぁ勝手に名付けられちゃった☆(苦笑)みたいな経験が結構ありますよね。今は笑っていますけど、ちょっとやっぱりなんだかなぁ。名付けとか名乗りって厄介だなぁって思う、一つの経験ですよね。その他、ありますかね?みなさんにも名乗りを強要されたりする経験ってありますか?「お前も名乗れ!」みたいな。「俺も見せたんだからお前のも見せろ!」みたいな(笑)、「交換だぁ!」みたいな(爆笑)。結構ありません?今のはね、ちょっとそんなのねぇよっていうみんなの反応だったけれども、例えば、恋愛経験とか、セクシュアルな経験って非常にプライベートなものとされているじゃないですか。これって異性愛の人たちだってプライベートなことだと思っているから、外に行って、みんなに拡声器で「わたしは昨日こんなセックスをしました」とか言わないわけですよね。すごい嬉しくても、仲いい子にしか話さない特別なネタじゃないですか(笑)、こういうのって。例えばわたしとミヤマさんの関係の中で、こうミヤマさんが色々彼氏の話とかをしてくれるとすると…

ミヤマ:ないない(笑)。

飯野:ここはまぁ、いいじゃん!(笑)演じてよ。(笑)かわいく。

ミヤマ:昨日彼氏とぉ〜、デートしてぇー、すごい楽しかったんだけどぉ〜

飯野:えーほんとー、えーなんかチューとかしちゃったのー?

ミヤマ:そうそうそう、観覧車で〜。

飯野:観覧車でしたんだぁ!(笑)

ミヤマ:きもいんだけどこの役〜(笑)。っていうかヘテロ女性じゃなくてゲイ男性にアイデンティファイしないとこの役できない(笑)。

会場:(笑)

飯野:でもさ、そういう会話をすることで親密な関係を築いていくっていうことはよくありますよね。わたしも高校生の時に「飯野さんずるいよ!」「あたしこんなにいっぱい話したのに、自分の話は全然してくれない」って友達に言われて、「え、でも…しようにも、どうしよう…」と思って、彼女を彼に置き換えるって、よくやるじゃないですか?よくやるんですよ(笑)。

ミヤマ:苦しい暗黒時代の話ですね(笑)。

飯野:苦しい暗黒時代(笑)。でも、つじつまが合わなくなってきて(笑)。自分のことをオープンには話せないっていうような状況があったりするんですけども、名乗りに関しても同様のことが生じているかもしれないなと思うんですね。ここでわたしが挙げる事例っていうのは、異性愛/非異性愛の話ではなくって、フェミニズムの中の話ですけれども、ジェンダーとかフェミニズムのある年代の人たちなんかと話すと、「昔はやっぱり、こういうグループでなにか経験をシェアするという時に、名乗る、ということをさせられた。白人で、中産階級で、ってまぁ中産階級って自分で言うかどうか分からないけど(笑)、白人で、こうこうこういう所の出身の、異性愛の、女です、という風に名乗らなくてはいけなくって、私自身は非常にナンセンスに感じていた」という方がいるんですよね。私本当にその時代じゃなくってよかった!って思ったんですよ。あ、田中先生すみません(爆笑)。というのは私自身、私のことがわかんないから。時には、まぁレズビアンって言ってもいいかなみたいな、ちょっとビックリさせてやれみたいな(笑)感じで言ったりするけれども、そんな真面目に表明しろって言われたらすごく困る。でも、そういう名乗りを要求されるような状況って、なんかあるんじゃないかなっていう風に思うんですけれども、どうですか?

ミヤマ:私自身の経験ではないんですが、ICU生のみなさんだと経験のある人もいるかもしれない。友人で英語圏の国に留学する機会のある人が身近に何人もいて、由里子も留学してましたよね、その人たちから、日本を離れて海外で仕事したり勉強したりする機会があると、そこでやっぱり「日本はどうなんだ、日本はどういうつもりなんだ?」という風に、日本を代表をさせられて色々コメントを求められて辟易としたっていう話は聞きますね。

飯野:あー!

ミヤマ:日本にいると、別に自分が日本人だってことを意識しなくても済むけど、周りに日本人が全然いなくて自分しかそこに日本から来た人間がいないとなると、「日本人としてはどう思うんだい?」とかって他の国の人から質問されたりして、すごく困るっていう。

飯野:あーなるほど。日本人として答えろ、っていう風に言われてしまう。

ミヤマ:そうそう。

飯野:日本人っていう名前がべったり貼られてしまって、そこですごく固定的な日本人と何々人っていう関係性として見られてしまう。

ミヤマ:そういう経験は由里子はないですか?

飯野:うーん、なんか覚えてないんだよね(笑)

ミヤマ:都合の悪いことは忘れると(笑)

飯野:うーんまぁ日本に帰れって言われたことはあります(笑)

会場:(爆笑)

飯野:しかもアメリカでイタリアからの留学生に(笑)。「そんなにこの国の悪口を言うんだったら日本に帰れ!」って。なんかちょっと奇妙だと思う(笑)。

Part3

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