飯野由里子×ミヤマアキラ対談「名付けをめぐるポリティクス」採録1

田中 かず子:ゆりこさんとアキラさんです。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

飯野由里子(以下飯野): ゆりこです(笑)。ICUはそういうカルチャーなんでしょうか。

ミヤマアキラ(以下ミヤマ): ミヤマアキラと申します。デルタGというニュースコンテンツサイトを運営しております。

飯野: 一生懸命声を張り上げてしゃべっているのですが、いつも学生さんに飯野先生の声は眠くなるといわれます(笑)。本日は19時まで、若干長い時間になりますけれども、よろしくお願いいたします。

名乗りをめぐる不均衡—異性愛と非異性愛の間に

飯野: 今日の授業なのですが、タイトルが「〈名付け〉を巡るポリティクス」です。名付けをカッコで囲んで、〈名付け〉とは何だろう、というものです。
 カミングアウトというのを聞いたことがある人?みなさん、あるよね。テレビでもカミングアウトという言葉が使われていますね。テレビで県民が知られていなかったことを紹介しちゃうぞ、という意味でカミングアウトという言葉を使っている番組もありますね。言葉自体は耳にしたことがあると思います。でも、この言葉の歴史自体はあまり知られていません。この言葉は、異性愛ではない人たち、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどの人たちが、自らをそう名付けて名乗るというのが、カミングアウトの意味です。
 さて、ここでちょっと考えて欲しいのは、非異性愛ではない人、異性愛の人がカミングアウトするということはあるでしょうか。「私、異性愛ってカミングアウトしちゃった」ということはあまりないですよね。異性愛の人がそのように言っても、私たちはそれをカミングアウトとは認識しないですよね。これって、どうしてでしょうか。
 単純に言えば、そもそも名乗ったり、名付けたりする必要性を感じていないというのがありませんか。例えば、中学生の時に初恋を経験したとしましょう。男の子を好きになったら、「私、男の子を好きになっちゃった!」ということをカミングアウトしなくちゃ、というのはありませんね。異性愛として名付けなければいけないとか、みんなに知ってもらわなくちゃ、というのはないですよね。そして、次に考えて欲しいのは、名乗ったり、名付けたりする必要性を感じてこなかったのはなぜなのかということです。一つにはもうみんなわかっているでしょう、と思っているのかもしれません。
 それをもう少し社会構造を表し、名付けるような言い方をすると、異性愛であることが標準だ、ノーマルだとされている、ということだと思います。今日はそれを「デフォルト=初期設定」だとされている、と呼ぼうと思います。これは私が勝手に考えたものですが、私たちは異性愛が標準であるとされている社会に生きているのではないか、ということです。
 こんな風に異性愛が標準、デフォルトだとされる世界では非異性愛の人たちはわざわざ名乗らなければいけないと感じているんですね。でも、異性愛の人たちはわざわざ名乗る必要はないし、名乗るのはナンセンスだと感じている。お互いに、自分のセクシュアルな部分をどう扱うかについて違いが出てきています。それをもう少し学問的な言葉で言うと、異性愛の人たちと非異性愛の人たちで、非対称性、力の不均衡が生じていると言えます。
 一方は名乗らなければいけないと感じていて、もう一方は名乗らなくていいと感じている。むしろ名乗るのはナンセンス。だから「なんであなた達はそんなこと言うんだ」って言ったりする。そこには何らかの不均衡が生じている。それに対して、不公平だと感じる人ももちろん出てきますよね。一方では、「どうして私たちは毎回名乗らなくちゃいけないの、不公平だ」とキレたりする人も出てくるわけですよね。
 みなさんも平成生まれの啓蒙された市民なので、それは問題だ、とか、そこはなんとかして平等に公平にいきましょうと思うわけですよね。では、一つの案として「異性愛の人も名乗りましょう」ということにしたらどうでしょうか。この場合、非異性愛の人も名乗って、異性愛の人も名乗る。そうすると、どちらも名乗るわけだから、表面的には、対称的になって不均衡な状況が解決していると見えるわけです。でも、それで問題は解決したのでしょうか。異性愛の人が置かれている状況と非異性愛の人が置かれている状況の構造的な不均衡ということが解消されたことになるのでしょうか。それともそうじゃないのでしょうか。
 ちなみに、ミヤマさんはどうですか、この案は?

ミヤマ: ごめんなさい、私、今まで聴衆側になってた(笑)。飯野さんはさすが授業でしゃべり慣れているから、導入のしかたがすごく上手だなーと思って感心してました。
 私は両方が名乗ればいいんじゃないかというのは、一見公平なようで、実はその背景にある力の不均衡が是正されたことにはならないんじゃないかなと感じています。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなどを総称してLGBTと呼ぶこともあって、「自分はLGBTの権利を支援しています。でも私は異性愛者ですが」と注釈する人がいます。もちろん、そのように名乗らないで—名乗る必要を感じていないのかもしれませんが—、セクシュアリティにかかわらず、さまざまな人たちに平等な権利が与えられるべきだと考えて支援をしている人たちもいます。しかし、「自分は異性愛者だけれども、LGBTの支援をします」という名乗りについては、私は結構ひねくれ者なので、イラッとする時があります。そういう名乗りはどういう意味を持つんだろうと、直接その人たちに訊ねる機会がないので、自分の中で何でだろうなと考えているだけなんですが。ある人いわく、自分のセクシュアリティを自分から名乗ることが誠実だと考えているからではないか、と聞いたことがあります。でも、誠実かどうかは名乗る側ではなく、名乗られた側が感じることでしょうから、名乗る側がそれを誠実なスタイルだとするのはおこがましいのではないかと思います。現に名乗られた私は、イラッとくるわけです。そのいらだちはどこから来るのかと考えたときに、日本には表面的にはLGBTに対するわかりやすい形の暴力や差別は見えてこない、標準でない性指向ゆえの憎悪犯罪がなかなか表面化してこない側面があるので、別に差別なんか存在しないじゃない、って考える人もいるのですが、実際に差別や偏見がないわけではありません。そうした状況の中で「私は異性愛者ですが、LGBTを支援しています」という人の心情を、意地悪な解釈だとは思うのですが、自分は異性愛者だと名乗ることで、LGBTを差別する人たちに対してエクスキューズをしているんじゃないかな、と感じるのです。差別や偏見を向けられるLGBTの側には、「私たちはあなたたちを支援しますよ」と言いながら、差別する側に対してもいい顔をする。両方にいい顔をしているのではないかな、と感じています。

飯野: つまり、「私は異性愛者です」と名乗るということは、差別をする側に向けて「私は異性愛なんだから差別しないでね」というメッセージとして機能するということですね。困りましたね。対等な関係を築こうと思って名乗ったんだけど、イラッとされるなんて、次の手をどう考えたらいいか困ってしまいますね。
 ミヤマさんも触れられたように、異性愛を名乗る人も場合によってはたくさんいると思うんですよ。名乗ることが悪いとか名乗るなというのではなくて、構造的な不均衡があることで、名乗ることの意味、また名乗りの持つ効果がちょっと違ってきてしまう。異性愛の人たちは、単なる事実として明かしたとしても、もしくは自分の立場をきちんと明かしてから関わろうとして名乗ったとしても、やっぱりそこに「なんだかな、どう思えばいいんだろう?」と感じている人がいるということですよね。ミヤマさんからは、それは偽善なんじゃないのっていう強い批判、クレームが出ましたけれども、名乗ることで「私は私がサポートしているLGBTとは異なる存在なんですよ」と位置づける意味をもってしまって、それに対してちょっと寂しいという意見ですよね。

ミヤマ: あともう一つ、非異性愛の人と異性愛の人では、カミングアウトする効果や危険性が違うと思うんです。非異性愛の人がカミングアウトするときには、いじめられる、バッシングされる、非難されるという危険性がつきまといますが、非異性愛がデフォルトとされている社会で「私は異性愛者です」と名乗ったとしても、バッシングされ、ヘイトクライムにあう危険性はないだろう、という違いがあると思います。

飯野: なるほど。このくらいの話でなんとなく、自分を異性愛の人として名乗ることと、非異性愛の人として名乗ることには違いが、しかも結構大きな違いがあるようだぞというのがわかってもらえたと思います。その上で違い、不均衡、非対称性によって、非異性愛の人たちが自分の方からわざわざ名乗らなければいけない、しかも若干リスキーかなというような状況でも名乗らなきゃいけないような状況に置かれているのだということも、何となく理解してもらえたかなと思います。
 じゃあ、今度はなんで非異性愛の人たちは、リスキーだとわかっていて名乗らなければいけない、わざわざその可能性に賭けてみるみたいなことをしなければならないのか、というところをミヤマさんに聞いちゃおうかな。
 なぜ非異性愛の人たちは、わざわざ名乗らなければいけないと感じてしまうのでしょうか?

なぜ名乗る?—カミングアウトの必要性

ミヤマ: 「わざわざ」というのが、異性愛の人は自分が名乗る必要を感じていないので、非異性愛の人が改めて名乗ることに「わざわざ」と思うのだと思います。異性愛がデフォルトとされている社会では、例えば、私のことを知らない人が「ミヤマさんって結婚しているんですか、彼氏はいるんですか」と異性愛をデフォルトとした質問をしてくるんですね。その質問が単なる話のネタとして振られてるんだなと感じたり、その相手と継続的に仲良くやっていくことはないと思ったら、「別にいないですよ。結婚もしてません」と異性愛のパラダイムに則って軽く受け流したりするんですけど、そうではなくて、継続的な関係の中で異性愛者のふりをして生きていくのはしんどいのですね。立場を変えて考えてもらえることが可能かどうかはわからないのですが、今まで異性愛をやってきた人が非異性愛者のふりをできますか、と逆に聞きたいです。私はやっぱりしんどいのですね。相手のパラダイムに乗って、自分がそうではないのに、フリをしたり嘘をつくのが下手なので、(自分のセクシュアリティなどを)言ってしまうことが多いです。無制限にだれでもかれでもカムアウトするわけではないのですが。

飯野: みなさん、今の話をどのように受け取られましたか。人との継続的な関係を作っていく上で、ジェンダーやセクシュアリティといった自分の性的な側面というのが関わっているのですね。多くの場合、そこはカギかっこに入っていて、男のような格好をしていたら、男で、女が好きで、という感じで、わざわざ言語化せずに関係を作っていっているのだけれども、そのデフォルトから外れていると感じている人たちにとっては、そのように思い込みを押し付けられるのはしんどいわけですよね。自分がこれから関係性を築いていこうとしている人にその枠組みを押し付けられて、その関係性を築くことにしんどさを感じている、というのは重要な問題なのではないかなと思います。
 フリをするしんどさということがありましたけれども、もう少し突っ込んで聞いてもいいでしょうか。話したくないことは、「アウト」と言ってくださいね。
その継続的な関係性を作っていきたい相手なんですが、例えば同僚や友人、家族、ミヤマさんの中でどれが一番しんどさを感じている相手でしょうか。

ミヤマ: フリをすることのしんどさですよね。もう親とは没交渉なので、しんどい以前に関わり合いがありません。私の場合、友人と仕事の相手はきっぱり分けられないんです。一応ものを書くことを仕事にしていて、その場合には、やっぱり自分が異性愛者のフリをしてものを考えるというのは高度な芸当だなと思いますね。自分の考えることには、自分の非異性愛的なことがどうしてもからんでくるので、友人にしろ仕事の相手にしろ、自分が何か変だぞと感じたり、カチンときたりするのは、その人が異性愛のモードに乗っかったまま話をしているときなんです。だから、しんどいといえば、私のことも異性愛モードのひとなんだろうと思って関わってこようとする仕事相手が一番しんどいかもしれません。

飯野: 異性愛のモードというのは、もう少し具体的にいうとどういうことでしょうか。

ミヤマ: そうですね。恋愛やセックスは男と女の間でやるものだとか、結婚して一人前とか、結婚も男性と女性がするものだっていうような考え方、価値観ですかね。

飯野: どういう感覚なんだろう。押し付けられているような感覚なんですか。どういう感覚でもってイラッとくるんですか。

ミヤマ: 押し付けるというほど強くはないけれど同意を求められる感じ。でも私そこ同意できないですけど、って思うわけですよ。しかも、その求め方も軽い感じで、もう、それは自明の前提、当たり前だよね、みたいな感じで言われるとなおさら。

飯野: なるほど。じゃあ、相手は全然悪気がないわけですよね。

ミヤマ: そうですね。

飯野: 「男と女の間のことってわからないよね」とか、そういうフレーズって決まってるじゃんみたいな、向こうにとってはちょっとしたことなんだろうけど。「女と女の間のことってわからないよね」って言わないもんね、たしかに。でも、そこになんかあなたもそう思っているでしょみたいな、若干同意を求められるっていうか、求められてもいなくてそう思ってるよねみたいな。それ普通だよねみたいな。それに違和感を感じる。今、なんか私が非異性愛の人にインタビューしてますみたいな構図ですごい気持ち悪くなってるんですけど(笑)。まあ(キャラを)作ってますからね(笑)。そうすると、さっきも言ったように継続的な関係を持っていきたい人にやっぱりちょっと名乗らなきゃしんどくなっていく自分がいるというときに、名乗るという行為はどういう意味合いを持つんでしょうか。

ミヤマ: その前に継続的に関わっていきたいと思うかどうか判断するときに、相手がバリバリ異性愛モードかどうかが関係してくるんですよ。ちょっと柔軟性がありそうだったら、もう少し魔法の粉をかけてやろうかな、と思うんだけど、ああ、もうこの人、全然異性愛以外は理解できなさそうって思ったら撤退しますね。ビジネスライクにはやっていける相手だとしても、そこから一歩踏み込んだところまで開示するような関係は作っていけなさそうだなと。

飯野: うーん、そこの判断で誤ったことありません?

ミヤマ: えーっ!? ありますよ! いっぱいありますよ、そりゃ。

飯野: 今は、非異性愛として名乗るかどうかという話ですけれども、みなさんも別の事柄でリンクするような経験ってあると思うんですよね。これって大丈夫かな?、この人って大丈夫かな?みたいな。そこを測っていくっていう。それで計られてる側は気づいてないんですね。その失敗談とかで面白いネタがあれば。

ミヤマ: 面白いネタ(笑)。面白いかどうかは分からないけど自分の中ですでに笑い話になっているのは、私は基本的にはクローゼットな生き方—クローゼットとはカムアウトしないで自分のセクシュアリティを誰にも、あるいは身近な人以外には言わないでおくという生き方なんですけど—をしていた時期があんまりないもので、学生の頃からそういう話ができる友人もいたりしたので、カムアウトで失敗したことってそんなにないんです。
 今思い出せる限りで最大なのは自分の親にしたカムアウト体験ですね。今、私は39歳で、3年前の36歳のときに父にカムアウトしました。18歳で上京してから両親とはずっと疎遠だったので心境的には孤児同然だったんですが、私が34の時に母が亡くなって、葬儀のために田舎に帰ったんですね。それで、父親と十数年ぶりに顔を合わせて、葬儀やお墓のこととかの話をして、父と関わりを持ち始めることになりました。音沙汰がなかった十数年の間は、私と父の人生はもうリンクすることがないだろうという感じで、カムアウトするとかしないとか以前に交流がなかったんですが、母の死をきっかけに父と関わっていくなら、言っておいたほうがいいなと思ったんです。
 というのは葬式のために帰省した時に、父から「お前は結婚しないのか。子どもはいいもんだぞ」と言われて、それでガクンとまたしんどい思いをしたんですね。そのとき私の髪はベリーショートの金髪で、レザーパンツをはいて帰ったわけですよ。どこからどう見てもダイクなレズビアンにしか見えないだろうと自分では思っていたのに、それでも父は自分の娘を異性愛者だと思っているんだ、気づかないものなんだなあって。それは母の死の次ぐらいにショックでしたね。
 でも、その場ですぐカミングアウトするというのは考えられなくて、この先もう少しやりとりが続いていくなら様子を見てカムアウトしようかなと思ったんです。私は北海道の札幌の近くの出身なんですが、札幌では毎年レインボーマーチというセクシュアルマイノリティのためのパレードをやっているんです。で、36の時にパレードに行くついでに田舎にも寄ろうと思って、一応、自分の中ではカミングアウトの順序立てというかシナリオを作っていったんですよ。パレードに行って、パンフレットを貰ってきて、家に帰って「実は今日、こういうのに行ってきたんだよ」って話そうかと。

飯野: パンフレットを目の前で落とすんじゃないんだ?

ミヤマ: 落とすんじゃない、落とすんじゃない(笑)。そんなわざとらしい演出じゃなくて、ちゃんと見せようと思ってたんです。それで、パレードへの参加をきっかけに「私は異性愛者じゃない」「葬式の時にあなたは私に結婚しないのかと言ったけれども、私は男性と結婚するという生き方は選ばないし、男性を恋愛や性愛の対象にすることはたぶん今後もないだろう」という話をしようと思っていたんです。
 ところが、パレードの前日に実家に帰って父と酒盛りをしていたら、母の死を巡ってちょっとケンカになったんですね。父は母にも娘たちにも無関心なのに、自分がやってきた仕事については「父さん、頑張ったんだぞ」ってすごくアピールするんです。要するにほめてほしいわけです。私はこれまで何冊か本を手がけてきたんですが、「こういう仕事してるよ」という近況報告を兼ねて自分の作った本を何度か送っているんです。だけど、読んだとか感想を送ってきたことは一切ないんですよ。だから私には全然関心がないんだってことは前々から感じてました。ケンカになった時に、「仕事にしても自分ばっかりほめてもらいたがっていて、私がどういう仕事をしているか、何を考えて生きているのかは全然関心がないじゃないか。自分の娘がレズビアンだってことも気づかなかったでしょ!」ってケンカ腰で言ったんです(笑)。

飯野: 「レズビアン」ってカミングアウトしたんですか?

ミヤマ: そうそうそう(笑)。その時はカテゴリーを使ってパフォーマンスしてみました。他の言葉を言ってもわからないだろうなと思って。レズビアンというカテゴリーは今の私にはしっくりきてないんですけど、たぶんそういう言い方じゃないと通じないだろうなと思って。そうしたらもうフリーズしちゃう、みたいな感じでした。最終的には「お前の好きなように生きろ」って言われたんですけど、それはあいかわらず無関心であるということの現れだと思うんですよ。それが失敗談と言えば失敗談ですね。こういうカミングアウトの仕方はしない方が良いと思います。

飯野: 誰へのアドバイスなんだろう(笑)。

ミヤマ: これからカミングアウトを考えている方々に。

飯野: そう。結構ね、大丈夫かなって思って言っても、全然大丈夫じゃない相手とかがあってびっくりするんですよね。私自身も若かりし頃は戦略がうまく立てられなくて(笑)。

ミヤマ: 今はうまく立てられるんですか(笑)

飯野: 私自身はクリスチャンで、大学生のときに最初クリスチャンの学生グループに入っていたのね。それで色々な活動をしていたわけですよ。1年ちょっとくらいかな、もうちょっとかな1年半くらいとか。もうみんなすごいクリスチャンで(笑)、「マルコの何章の何節」とか言うとべらべらべらっと出てくるような人たちだったのね。それで私もすごく尊敬していたし、この人たちとの関係を続けていきたいとの思いもあって、そのグループの中の一人でこの子なら大丈夫じゃないかと思って、ある女の子に「実は私、今、女性と付き合っているんです」という風に言ったら、その子がわーって広げちゃって。「大変大変、由里子が!」みたいな(笑)。「大変由里子がレズビアンよ!」みたいな(笑)。

会場: (笑)

飯野: もう連絡網でまわっちゃって(笑)。「おいおい!」みたいな。

ミヤマ: 一大事なんだ。

飯野: 一大事!もう、大ニュースで。新聞があったら、一面に(笑)載ったわけですね。みんなから電話がかかってくるわけ。ある男の子は、「君がそういう人だということで残念だ」と。「君とは今後アソシエーションできない」と、スパっと言われて。「へえ、あたしには選択肢ないんだぁ」みたいな(笑)。「びっくり。それってすごいアンクリスチャンだと思うけど」って思ったけど、それは言わずに、「あーそうなんですかー、すみませんー」「ごめんねー」みたいな。なんであたし謝ってんだろうって(笑)。そういうこともあるし、あともう一人の女の子は、すごく自分の性的な過去を赤裸裸に告白して、「私はふしだらな女だったけれども、改心したの。」「キリスト教に出会って」って。こんなことここで言っていいのかなぁ、二度と来れなくなるかな(笑)。「改心したの。だから由里子もね、そんなこと言わずにがんばって」みたいなね。どうすればいいんだろう…って(笑)。聖書を全部覚えないといけないのかな、みたいな。そういう反応されて、やっぱりその関係性がそこで途絶えたっていうのがあるんですよね。それは、当時の私にとっては非常に大きなロスだったんだけれども、新たにそこで作り始めることのできた関係性もあるので、自分の中ではそんなに深い傷にはなってないですけど。親とかって結構難しいですよね。
 特に日本なんか、親子の縁って切っても切れないじゃん。切ろうとしてもくっついてくるし、切っても誰かがくっつけたりとか、親も子も切ってんのに他者がくっつけたりとかするので。さっきの、どれが一番しんどいと思いますかっていう質問にだと、私自身は親とは比較的いい関係性を今でも続けていると思っているけれども、私の現在のパートナーなんかは、何度言っても「なかったことになる」っていう経験をしているんですよ。多分19とか20歳くらいの時に彼女も親にカミングアウトした記憶があるらしいんだけれども、それがことごとくなかったことにされていて、いつも「いつ結婚するんだい?」みたいな。「いや私は女性の方が好きなので、残念ながら制度的に今はできない」と言っても納得してくれなくて、また「いつ結婚するの?」とかそのうち「子供だけは産みなさい!」みたいに言われはじめるんだって。「なかったことにされる」っていう経験が私自身はないので、「うわ、そういうこともあるんだ!」って思ったけど、でも確かにそういうことありそうだなって。そうすると何度も名乗らなければいけなくって、それってしんどいよなって思いますね。

ミヤマ: ありますねー。

飯野: ありますか?

ミヤマ: 私が異性愛の人ではないことをわかっているはずの人たちが、例えば三十路とか四十路くらいの女ばっかりが集まって、わいわい酒盛りなんかするところにたまたま居合わせたときに、その中の大多数は私が異性愛者じゃないってことは知ってるんですけど、その場にはやっぱり異性愛の女が多いわけで、特にシングルの人たちが多くて、「がんばっていい男ゲットしようぜー!」みたいな盛り上がり方で(笑)、いやいやついていけない、みたいな。私の存在は置いていかれている…とか思って。

飯野: やっぱりそれほどわかってはいるし、差別したくないって思っていても、その「異性愛がデフォルトだ」っていうのはなかなか崩しにくいんですかね。ふと「異性愛がデフォルトだ」というところに戻ってきてしまう構造があるのかな。

ミヤマ: そうですね。

Part2

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