02. 日本から: 2011年6月アーカイブ

一橋大学大学院 言語社会研究科 李杏理
【CGS Newsletter014掲載記事全文】※ペーパー版は以下記事のダイジェストです。
『女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム:「法廷」は何を裁き、何が変ったか~性暴力・民族差別・植民地主義~』に参加して

 日本軍「性奴隷」制という覆い隠された暴力の不法性を白日の下にさらし、サバイバーの尊厳とひとすじの正義を取り戻そうとした女性国際戦犯法廷(以下、法廷)から10年が経った。2010年12月5日、「女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム:「法廷」は何を裁き、何が変ったか~性暴力・民族差別・植民地主義~」が開催された。
女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷)とは、2000年12月に東京で開かれた民衆法廷である。元「慰安婦」の女性たちは、1990年代以降日本政府を相手取って、謝罪と賠償をもとめる裁判を起こした。だが訴えはすべて退けられ、国内の裁判闘争は頭打ちとなっていった。そんななか、この運動に携わる人たちのなかから女性国際戦犯法廷が提起された。
 法廷では「慰安婦」の被害事実が認定され、東京裁判条例5条で日本が受諾した「人道に対する罪」にあたるとの判決が下された。天皇を含む9名の被告に強かんと性奴隷制の罪に対する上官としての責任及び個人としての責任で有罪が言い渡され、日本政府に対し、国家責任と被害の認定、被害者への賠償、隠匿した資料の公開、教科書記述などの教育施策、被害者の帰国支援や遺骨返還を行うよう勧告が出された。
 敗戦直後の東京裁判では、ジェンダー・バイアスや国体護持、連合軍の占領目的のために日本軍「性奴隷」制や天皇の責任が裁かれなかったが、女性国際戦犯法廷は、それらを訴追した画期的な裁判であった。それは、「慰安婦」問題をめぐる運動に固有の意味があっただけではなく、植民地支配や戦争を引き起こした近代史のなかで、性差・階級・民族によって幾重にも消し去られたサバルタン的存在を想起させた。
 一方、当時存在していた国際法を論拠とし、東京裁判の再審として日本軍「性奴隷」制を裁いた法廷の限界もまた指摘されている。東京裁判で裁かれた罪の対象期間は、1928年1月1日から1945年の9月2日までであり、日清戦争や日露戦争、「韓国併合」は含まれていない。また、陸軍軍閥とそれに迎合した人びとにのみ責任が集中し、海軍や企業・財界人は訴追されなかったという問題点も存在している。そのため、植民地支配の不法性については再審がなされず、また、企業責任についても法廷では十分に議論することができなかった。日本の植民地支配によって生活が窮乏化し、徴用や募集によって「慰安婦」にさせられた植民地出身の女性たちに対する暴力の問題は、植民地支配による構造的な強制性や企業犯罪を問わなければ見えてこない。
 このような民衆法廷の実現は、その後10年の間に性奴隷制と天皇・日本軍の犯した罪に注意を喚起し、各国での「慰安婦」制度非難決議など、「慰安婦」問題への取り組みを前進させた。しかし一方で、加害の歴史に向き合うことへのバックラッシュが巻き起こった。2005年にはNHKで法廷の特集を放送する前に、政治圧力によって改変される事件が起きた。さらに、教科書記述からは「慰安婦」が消え、教育基本法が改悪され、在特会などの新たな右翼勢力が台頭するなかで、排外主義はかつてないほど高まっている。
 このようななかで開催されたシンポジウムでは、500名以上の観客が見守るなか、法廷の意義を想起し、この10年間の「慰安婦」問題をめぐる情勢や運動の展開などが総括された。
 第1部〈女性国際戦犯法廷とは何だったのか〉では、実行委員長の東海林路得子(以下、敬称略)が開会の辞で、朝鮮半島の判事団から法廷の判決における「植民地」という認識の弱さに対する批判があったこと、法廷で十分に議論されなかった植民地主義を今回のシンポジウムの副題に掲げたことの意義を述べた。その後法廷の主席判事パトリシア・セラーズ(以下、敬称略)が基調講演を行い、この法廷は東京裁判で裁かれなかったジェンダーに基づく奴隷制を人道に対する罪で訴追した画期的な裁判であったこと、判決で示された賠償内容を今後市民社会が実行していく必要性を訴えた。
 第2部〈アジアの日本軍性暴力被害者の証言を聞く〉で、フィリピンのサバイバー、ナルシサ・クラベリアが、日本軍によって家族が殺された後「慰安婦」にされたことを証言し、法廷によって「やっと正義を取り戻すことができた」と語り、日本政府に謝罪と歴史教育を求めた。次に、中国のサバイバーの韋紹蘭とそのご子息羅善学が証言した。韋は、日本軍の侵攻の際、日本兵に連れて行かれ「慰安婦」にされた。その時のレイプによって生まれた羅は、周囲から「お前は日本人の子だ」と疎まれて育った。罪を負う必要のない彼が日本の過ちを背負わされているということが、終わらない「慰安婦」問題の根深さを問うていた。「慰安婦」サバイバーにトラウマが刻印されるのみならず、その共同体やサバイバーの死後を生きる人びとにも傷や問題を残し続けるのだ。
 第3部〈法廷の判決・勧告/証言をどう引き継ぐべきか〉では、はじめに米山リサによる「消された裁き~批判的フェミニズムの視点から~」というビデオメッセージが上映された。そのなかで米山は、2001年のNHKの番組改ざんによって、「責任の明確化なくして『和解』は成立しない」という法廷の理念やサバイバーの証言、天皇有罪の判決が削除されたこと、法廷がもつ「批判的フェミニズム」の思想、すなわちジェンダー関係が植民地主義やレイシズム、階級差別によって拘束を受けるという視点が伝えられなかったことの問題を述べた。その上で①どのように聞き手が証言と向き合うかを問い、②「裁きなくして和解なし」という理念についてさらに考えを深めるべきという問題提起を行った。
 続けてパネルディスカッションで、鄭瑛惠から「慰安婦」問題解決だけでなく戦時性暴力防止のためにも「性暴力禁止法」の立法が必要であること、宮城晴美から日本と米国の植民地にある沖縄で性暴力が後を絶たないことが述べられた。さらに尹美香から国連や各国の決議があったにもかかわらず解決を見ない「慰安婦」運動の新たな転機の必要性、村上麻衣から若者による全国同時証言集会など、記憶を次の世代へ受け継いでいくための活動、池田恵理子から「女たちの戦争と平和」資料館建設運動などについて報告があり、今後の課題が示された。台湾とインドネシアの支援者からも報告があり、韓国からはサバイバーの姜日出が発言した。
 サバイバーを翻弄し、問題克服を阻害しているのは、性暴力に対する社会的認識の低さや戦後責任をめぐる問題だけではない。植民地独立をめぐる問題として引き起こされた朝鮮の南北分断や、東アジア諸国と日本との間にある経済的社会的格差もまた重要な要因として存在する。日本の侵略と植民地支配の歴史を問うことに対するバックラッシュが起きるなか、日本の多国籍軍参入が押し進められ、軍事主義が強化されている。そのような継続する植民地主義の現状を批判することなくして、真の問題克服は不可能であろう。
 当シンポジウムは、これまで積み重ねられた努力が結集され、広く連帯が呼びかけられた。同時に、法廷で裁かれた内容を国内で実現し、賠償や国際法違反と責任者の罪、国家責任を認定させていくためには、さらなる取り組みが必要である。シンポジウムのテーマに掲げられていた「性暴力、民族差別、植民地主義」の関係性を問い、その克服と結びついた実践や研究が求められている。

【著者プロフィール】
李杏理(リ・ヘンリ)
一橋大学大学院言語社会研究科修士課程
専門は、植民地「解放」後在日朝鮮人の生活史・ジェンダー史

宮城学院女子大学大学院 人文学会 /性と人権ネットワークESTO 正会員:内田有美
【CGS Newsletter014掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】
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(性と人権ネットワークESTOロゴ)

 2011年3月11日、東日本大震災が起こった時の長く激しい揺れの恐怖と信じ難い津波の映像は、今も頭から離れない。この様な状況の中、国内外の多くの方々からご支援をいただき、被災地は着実に復興に向かっている。この場をお借りして、被災地で生活している一人としてお礼申し上げたい。
 私は以前から性的少数者(以下、LGBTI)の問題に関心があり、当事者団体である性と人権ネットワーク ESTOで活動を行っている。ESTOでは、震災後の仙台交流会で「震災とセクシュアリティ」について参加者同士で震災の体験や思った事などを話す機会を設けた。また、GIDの当事者から「断水で洗濯もできず、1枚のナベシャツを着続けている」という話から、各地より寄せられたナベシャツの寄付を行った。ESTOの他にも、多くの当事者団体で支援が行われている。だが、支援には多くの課題も残っているため、被災したLGBTIへの支援について考えてみたい。
 被災してまず問題となるのは、「医療へのアクセス」や「安否確認」の難しさである。医療へのアクセスは、GIDの当事者や性分化疾患当事者は保険証の性別記載や外性器・内性器の関係から、病院へ行きづらい状況にある。病院に行ったとしても、被災地では野戦病院の様であり、LGBTIの知識がある医療従事者でなければ混乱が生じると思われる。また、意識が無い状態で運ばれた際には「見た目」の性別で治療が行われる可能性が高く、身体的性別特有の疾病である場合、すぐに適切な処置を受けることは困難ではないだろうか。安否確認の難しさも同様で、亡くなった方の情報は「見た目」を中心にしたものが公表されるため、見た目と戸籍上の性別が不一致であった場合、安否確認は難しい。これらの問題は、同性愛者にも生じる。パートナーが病院に運ばれたり、遺体となって見つかったりした場合、事実婚状態であっても法律上の「家族」ではないため、治療の判断や遺体の引取を行えないという問題がある。
 次に、避難した際には「避難所生活の難しさ」が問題となる。「男女」で区分される避難所生活では、GIDの当事者は精神的性別・身体的性別どちらかに区分される。精神的性別の場合は、集団で風呂に入る際や更衣室利用などに支障をきたす恐れがある。身体的性別の場合は、常にストレスを感じることになる。このように、現在の避難所は「LGBTIはいない」という前提になっており、LGBTI当事者が安心して避難生活を送れる環境ではないことが多い。
 最後は「復興への支援を受ける難しさ」である。性別記載のある書類を提出する場合には、GIDの当事者や性分化疾患当事者は、窓口で性別を確認される等の問題が生じると思われる。
 この他にも、被災したLGBTI当事者はそのセクシュアリティ故に多くの困難を抱えている。そのため、このような状況を是正するよう社会に求めるだけでなく、LGBTIについて知識のない人や機関とLGBTI当事者を仲介するような支援も必要ではないだろうか。
 上述したような困難は生活と権利を守る上で重要な問題であり、蔑ろにされることではない。被災したLGBTI当事者がQOLを確保するための支援が今後も必要である。

中野区区議会議員 石坂わたる
【CGS Newsletter014掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】
 「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティで気の毒ですよ」。この石原都知事の発言の裏には、「マジョリティであることは、マイノリティとは遺伝的に異なる盤石な存在である。そして、満ち足りた存在であるための必要条件だ。」という幻想が見え隠れしている。
 また、石原氏が公人としてこうした発言をし、少なからぬ都民がその発言に賛同あるいは傍観してしまう背景には、「同性愛者はテレビの向こう、あるいは、自分とは関わりのない所に集まっている不幸な人たち」と考える人も少なくないことを示しているのではないか。そういう幻想を抱えている人たちにとって「自分もいつ不幸になるかわからない、あるいは一歩不幸に足を突っ込んでいるのかも」ということに気づいてしまうことは恐怖なのだろう。そのため、より不幸な人間を見つけ、「自分はマイノリティほど不幸ではない。だから、自分は幸せなんだ」と思わずにはいられないのではないだろうか。
 しかし実際には、人はみな得手不得手があり、足りないところがあり、誰にでも不幸は訪れる。そして、マイノリティもマジョリティも、一人一人が多様であり、異質である。時には衝突を経験しながらも受け入れる姿勢を忘れることなく長い時間をかけて補完・共生をしていくことが大切なのだ。補完・共生をしていくことが、完璧な一人の人間が生み出す以上の結果を出せる可能性を持っている。そうしたことを可能にするためには弱さの自己受容が必要なのだと思われる。
 なお、今回の石原氏の発言に対し、1月14日に中野区内において当該発言に対する抗議を行う集会が行われた。しかし、その3か月後の選挙の結果は石原氏の四選だった。
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(抗議集会の様子 ©レインボー•アクション)
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(抗議デモの様子 ©レインボー•アクション)
 これまで知事に対して継続的で効果的な働きかけを行ってこられなかったこと、抗議集会などを行っても「4割以上の有権者が投票権を放棄してしまう中での石原氏の四選」という流れを変えられなかったことは(今回の抗議集会を含め)従来のゲイリベレーションの課題だと思われる。
 特定の人物を首長とする判断を有権者が合法的に行った以上は、今後、都民の代表として選ばれたその首長と建設的な議論や交渉をどのようにしていくのかを考えていく必要がある。適法性や妥当性が最低限担保されている社会のシステムそのものを否定しても、政治に関与することに対する諦めからの放棄・倦厭・拒絶をしても問題はいつまでたっても解決はしない。法、一般公務員、議員を上手に活用し、周囲の人に自らの思いや考えを伝え、社会に浸透させていくことが必要なのである。こうしたことは万人に与えられた当然の権利であり、その正当な権利を放棄してしまうことなく活かしていく方法を模索していくべきだろう。

一橋大学ジェンダー社会科学研究センター 財務・総務部門総括:佐藤文香
【CGS Newsletter014掲載記事】【ペーパー版と同一の文章を掲載】

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(ワークショップの様子)

 いまや「国立大学法人」と呼ばれる国立大学はその運営を6年ごとに定める中期目標・中期計画に基づいて行うことになっている。二期目を迎えたこの計画に、わが大学でも「研究との両立を図るべく出産・育児支援を行う」ことがようやく明記されるようになった。
 私たちジェンダー社会科学研究センター(CGraSS)は、一貫して自分たちを教育・研究を担う組織として位置づけてきた。それは限られた人的資源から活動の範囲には限定が必要であり、福利厚生や行政を担う組織はいずれ大学当局のもとにオーソライズされるべきであるという私たちの考えを反映した姿勢であった。だから、2011年1月の公開ワークショップ「大学における育児サポート ―新しい一橋大学に向けて」の開催に迷いがなかった、といえば嘘になる。しかし、リーダーシップをとりそうな組織が他に見あたらず、「具体的な施策」が天からふってくることも期待できない以上、少しでも取組みを形にしていくべく運動をおこしていく必要があった。こうして、私たちは、他大学の多様な取組みに学びつつ情報を共有することを目指し、ワークショップの開催にふみきることになった。
 広報の開始がやや遅れたこともあって、年明けまで参加のエントリーは10数名にとどまっていた。なにしろ、過去の「当事者」たちは既に困難をくぐり抜けた「成功者」である。昔を懐かしく思うことはあっても、切実な課題としてこれを受け止めるにはやや距離があるようにみえた。一方、未来の「当事者」はといえば、学部生にはまだ遠い先のお話であり、院生の中にも「そんなことよりさしせまった問題」を抱えた人びとが多くいた。そして、現在の「当事者」たちは、あまりに渦中にありすぎて参加するだけの心身のゆとりがない人びとも少なくなかった。初の試みとして臨時託児所を設置したのも、このワークショップを一番必要とするであろう彼ら/彼女らに足をはこんでほしかったからだった。
 声かけに奔走する中での経験も他のイベントの時とはまた味わいの違うものだった。クールな女性の反応とさわやかにエールを送ってくれる男性の背後にある非対称性にたちすくんだり、資源をもたない他者への想像力のなさに絶望したり、育児サポートに熱心な人に対しても、他の社会的課題にも同じだけの情熱をもって取り組んでくれるだろうかと不信感を抱いたり...。なかなかに消耗したことも事実である。そんな中、私を突き動かしたのは、もうじき定年を迎えるある先生が寄せて下さったメッセージだった。若い頃、大学の保育所設置運動にふれ希望に満ちて情報を集めたこと、何度かチャンスに遭遇するも職場の規模の問題につきあたったこと、そうしたエピソードにそえて、今回のワークショップの開催を「夢のように感じる」と主催者への謝意が述べられていた。彼女が断念した「夢」と時の経過の重みを思うと、胸にこみあげるものがあった。
 さて、結果はどうだったかといえば、幸いにも当日は80名にものぼる参加者を得て会場を熱気でいっぱいにすることができた。学長・副学長への「ラブコール」も功を奏し、彼らに「当事者の切実な声」の一端が確かに届いたという手応えも感じた。このワークショップを、これまで点在してきた人びとをつなげる場として機能させるという目標に照らしてみれば、ひとまずこれを「成功」とよんでもよいだろうと思う。もちろん、この「成功」は長い長い道のりのほんの小さな第一歩を踏み出したにすぎないものではあるのだけれど。

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