04. ニューズレター(休刊): 2017年3月アーカイブ

CGSセンター長:生駒夏美
【CGS Newsletter019掲載記事】

 巻頭の言葉にあたり、正直沈んだ思いを抱えています。日本の状況も世界の状況も、ヘイトの言葉や行動が増え続け、悪くなるばかりです。翻ってICUでも、成果主義や原則論がより強まっているように思います。体制や原則そのものがマイノリティや女性排除的であることを忘れ、原則論を振りかざすことは、本学が大切とする世界人権宣言の精神に反しています。それなのに、異論を唱えること自体が体制的にどんどん難しくなっている。その背後には、女性蔑視やマイノリティ差別、ネオリベ的拝金主義が見え隠れしているように思います。

 CGSはそんな環境で何ができるでしょうか。まずは学生たちのために、ジェンダー・セクシュアリティを巡る言論状況が悪い中、キャンパス改善に働きかけ、すこしでも安心できる場を提供すること。駆け込んできた時に共感と支援、できれば解決策を提供することを目指してきましたが、敗北感にとらわれる出来事に続けて直面しています。

 ひとつは留学生から、学内のジェンダー意識・人種意識の低さを指摘されたこと。ある学内行事は、人種差別的かつマイノリティ/女性差別的にも関わらず、「伝統」の名の下に無批判に、かつ強制参加の形で継続されています。国際性や人権重視の姿勢に反することは明らかながら、学内では批判や被害の訴えを口にもできないと、その留学生は訴えました。別の留学生からは、ハラスメント被害の訴えを非常に軽く扱われて深く傷ついたという話も聞きました。これらの声には、CGSの活動が十分に届いていないことを思い知らされましたし、大学の全教職員の人権意識向上にますます強力に働きかける必要性を痛感しました。また、留学生がCGSの活動に関わりやすくする対策も必要です。

 もうひとつは新寮問題です。ICUはジェンダーを問わないフロアを持つ新しい寮を建設中です。LGBTが不安なく生活できるキャンパス環境が整備されぬまま、この寮が「LGBT 寮」だと誤解した報道がなされる現状には、不安が募るばかりです。大学側には寮則にマイノリティの視点を盛り込む努力を求めたいですし、また、入寮前にジェンダー・セクシュアリティに関する人権講習を必須とする必要性を感じています。建物を新しくするよりも、キャンパスの人権環境を整えることの方がはるかに重要かつ喫緊の課題です。

 設立から12年となるCGSですが、実現できたことは本当に少ない。ICUにはまだ託児施設もダイバーシティ推進部署もできていません。それでも私たちが落胆して声を上げることをやめたら、誰が声を上げるのかとも思うのです。わずかでも実現してきたこともある。そして、ジェンダー・セクシュアリティに興味を持つ学生が増えているのも事実です。少しずつでも良くしていけることを信じ、皆さんのご支援を力に、声を上げ続けていきたいと思うのです。

構成:加藤悠二
【CGS Newsletter019掲載記事】

大学は、学生や教職員が抱えるケア役割に対し、どのようなサポートを望まれているのでしょうか。学長を交え座談会を開催しました。 参加者(ABC順、敬称略):フリアナ・ブリティカ(ICU博士課程後期)、日比谷潤子(ICU学長)、生駒夏美(CGSセンター長)、加藤悠二(CGS嘱託職員)、高松香奈(CGS運営委員)、松﨑実穂(CGS助手)


ケア役割を担う学生
日比谷:2015年度に、従来学費の1/3 徴収してきた休学費を、各学期3 万円の在籍料へ見直しました。見直しの背景には「病状の完治前に無理して復学した学生が、さらに悪化させ退学するケース」や「交換留学制度によらない海外留学」等が念頭でしたが、育児や介護など、休学する事情を問わず学修や研究を続けやすい仕組みになったと思います。
 育児に関しては、学内にいずれ設置したい託児施設が学修支援になりえますが、介護や看病などのケアを担う学生への大学における支援は、具体的にどう考えられるでしょうか。

松﨑:大学全体での理解促進に加え、学生が話せる・相談できる環境が必要です。介護を担う学生の姿は見えづらく、説明も大変なので誰かに話すことも殆どない。最初は授業を少し休む程度でも、病状の進行次第でケア役割は重くなり、抜けられなくなります。
 仮に在学中は介護と学業が両立できても、仕事との両立は難しい。ケア役割を担う学生も、学費や修業年限の問題などをクリアしながら単位を取得し、卒業後のキャリアも考えられる環境が必要です。また、誰にも話さず介護してきた学生が就職相談もしない可能性は、十分考えられます。直接支援が無理でも、外部団体等を紹介できるようにはなっていて欲しいです。

日比谷:就職相談グループには改めて、そのような状況にある学生がいることを十分に理解してもらう必要がありますね。このようなケースがあることを、もっと共有したいです。

生駒:「誰かに話してわかってもらえるだけでも、サポートになり得る」けれども、今の大学には話ができる環境さえない。妊娠・出産も同じで、大学の無理解から当事者学生が孤立しています。

CGS事務スタッフ:加藤悠二
【CGS Newsletter019掲載記事】

CGSは2015年度、女性への暴力根絶を示すキャンペーンカラー・紫で、「誠実」「小さな幸せ」が花言葉であるすみれを象徴とし、デートDVなど身近な暴力について考える「すみれプロジェクト」を、学部生と共同で実施しました(2016年より「すみれネットワーク」に改名)。プロジェクトを担当したCGS 職員・加藤悠二がプロジェクトのあらましを、プロジェクトの発端となった学生・ぺんこさん(ペンネーム)が自身の経験と感想を綴ります。

 2015年4月、所員の紹介でCGSを訪れた学部4年生「ぺんこ」さんは、ICU生同士でのデートDVの経験者で、自分と同じ経験をする学生を減らすための活動を希望していた。ぺんこさん、相談に乗っていた同級生の同志「ちゅん」さん、私の3名をメンバーに活動の模索が始まった。

 ひとつめの活動は、2015年度在学生・2016年度入学生の全員に配布する、日英両語対応パンフレット「デートDVって本当に他人事?」制作だ。表面は「ぺんこさん・ちゅんさんの手記と、若者への調査データを紹介し、デートDVへのリアリティを喚起させること」を、裏面は「学内外の相談先リストを作ること」を目的とした。カミングアウトが難しいHIV 陽性者たちが匿名で綴った手記を用いる「Living Together 計画」のメソッドを援用した。前年度にNPO法人akta・多摩府中保健所と協働した、養護教諭向けHIV情報チラシの制作経験が活用できた。デザインや文章のディレクションは私が行い、「被害者=女性、という図式にならないデータを用意したい」といった方向性は確認したが、データのリサーチや選定は、ぺんこさん・ちゅんさんにお任せした。

 ふたつめの活動は、講演会の実施だ。「デートDVって、知ってる? ―学生発信型啓発活動の在り方を考える」と題し、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター准教授の兵藤智佳さんをお招きした。兵藤さん司会のもと、同大4年生の湯山秀平さんによる「男性のデートDV被害」に関するアクションリサーチの成果発表から、学生にできるアクションの可能性や、被害のあり方の多様性が、臨場感をもって共有できた。

 最後に、ぺんこさんの「直接学生同士で話す場を設けたい」という強い希望から、「すみれカフェ」を実施した。グランドルールを設けた場には約10名が参加したが、ぺんこさんのファシリテーションの素晴らしさは、特に印象に残っている。プロジェクト開始当初、ぺんこさんはミーティング中に不意に涙を流すことも少なくなかった。しかし、学外のNPOに関わり、学内でも友人にカミングアウトを重ね、相談を受ける立場にもなる経験も通してか、秋口からぺんこさんが泣くことはなくなり、デートDVを語ることに対して、しなやかな自信を身につけていたように見えた。冬になりカフェを切り盛りするぺんこさんは、相手の言葉に真摯に耳を傾け、自分の経験や知識を丁寧に選ばれた言葉で語っていた。自身の経験を「被害/加害」と語ることを好まず、「私の前の彼氏はデートDVだった」と表現することも、その一例であると思う。自分に向き合って生き抜いてきた「サバイバー」としてのぺんこさんが、そこにいた。このプロジェクトで私の働きが皆無だったとは言わないが、それでもなお、「私はぺんこさんに伴走し、"デートDVを経験する"ことのリアリティを、傍で感じさせてもらうことしかできなかった」と、痛み入る想いだった。

 振り返ってみれば「すみれプロジェクト」は、ぺんこさんの回復の過程と共に歩んできた。ぺんこさん抜きの継続には、まったくの新規事業立ち上げとして取り組まねばならない。しかしなお、この花が咲き続けていけるキャンパスづくりが必要なことは、確かなことである。

ICU卒業生(ID 16):ぺんこ
【CGS Newsletter019掲載記事】

CGSは2015年度、女性への暴力根絶を示すキャンペーンカラー・紫で、「誠実」「小さな幸せ」が花言葉であるすみれを象徴とし、デートDVなど身近な暴力について考える「すみれプロジェクト」を、学部生と共同で実施しました(2016年より「すみれネットワーク」に改名)。プロジェクトを担当したCGS 職員・加藤悠二がプロジェクトのあらましを、プロジェクトの発端となった学生・ぺんこさん(ペンネーム)が自身の経験と感想を綴ります。

 私は入学して数か月後に、学内の同級生と付き合い始めました。彼は優しく、気前よく食事もおごってくれ、私と一緒に居ることを最優先してくれる人でしたが、長く付き合ううち、怒りやストレスをコントロールできない人でもあることが分かり始めました。はじめは周りの物に向かっていた暴力の矛先は、次第に私に向いていきました。日常化する様々な暴力を経て、「私がいつも彼を怒らせてしまう」「けれど私だけが彼の全てを理解でき、受け入れられる」と歪んだ考えを持つようになりました。帰省した際、私の顔色の悪さから母が気づいたことを経て、私は彼からのデートDVをはじめて認識しました。

別れたあとも、暴力を受けた場所を通りがかったときのフラッシュバックや、夜中に自分の叫び声で目が覚める、学内で彼や彼に似た人影を見ると過呼吸になり他のことが考えられなくなるなどの後遺症に悩まされました。なんとかしたいと思った私は、友人に紹介されたNPOでデートDVの勉強を始め、自分と向き合っていきました。

1年が経った頃、周囲での「あの二人は彼氏側がやばくて別れたらしい」といった噂の一人歩きから精神的に参っていたこともあり、SNS上でカミングアウトしました。その結果、多くの人からの反響や相談を受け、デートDVを問題化する重要さを知りました。そして私が情報発信する意味も確信したのです。

すみれプロジェクトで、同志の友人と一緒にパンフレットを作って配布したり、カフェイベントでお話ししたりする経験を通し知ったのは、自分をちゃんと受け入れられないと他人を大事にできない、ということです。今の自分がとても嫌な人間だと思っていても、そこから目を背けず、正面から「私を認識する」ことが大事だと気づきました。また、暴力を振るってしまう人だけがおかしいのではなく、誰もがそうなってしまう可能性を持っていることも学びました。みんな心に飼った猟奇的な獣を、日々飼い慣らして生きている。飼い慣らせない人にこそ、焦点があてられるべきだと、強く感じました。私の周りは、私=被害を受けた側しか見ませんでした。しかし、好きで暴力を振るう人ばかりではありません。互いに互いを尊重し、相手に一歩踏み込んで向き合う関係が築けていれば良かったのだろうと、今は思います。そうすれば、彼が暴力の裏に持っていた悲しみや叫びにも、気がついたのかもしれません。

愛や恋愛って結局何なのだろう、と問い続けた4年間でした。単純に言ってしまえば、「自分と向き合い、相手と向き合うこと」なのだと、卒業間際にして改めて気がつきました。大学生活の半分は惜しいことをしたと思ったいりもしますが、だからこその今があります。自分に置き換えるとなかなか難しいと感じるときもありますが、この考え方は常に覚えておきたいです。

最後に、私の卒業後にプロジェクトを引き継いでくれる方を募集しています。このキャンパスでこうした問題が起きたこと・起きていることは事実です。パンフレットのポスティング中、「俺には関係ないなあ」「そもそも彼氏いないし」といった感想も耳に飛び込んできました。私も、入学当初に保健の授業で扱われたデートDVを、他人事と聞き流していました。しかし、実際に私は当事者になりましたし、周囲から相談を受けることが今も少なくありません。無関係な人などいないのです。このプロジェクトで大事なのは、デートDVや恋愛の経験の有無ではなく、お互いを尊重できる「ヘルシーな関係性」の大切さを伝えることです。お互いを尊重するということは、何も恋愛関係のみに限られません。友人や家族など、私たちは様々な人間関係の中で生きています。すこしでも興味を持ってくださった方は、CGSにご一報ください。

ICU学部生(ID 18):松田英亮
【CGS Newsletter019掲載記事】

第4回R-Weeks(2016年5月31日(月)~ 6月11日(土))では、「WEL-COMING OUT!! 家族と友人にできること」と題し、NPO法人「LGBTの家族と友人をつなぐ会」東京理事・小林りょう子さんをお招きした講演会を、6月7日(火)に開催しました。このイベントで司会・コーディネーターを担った松田英亮さんに、この企画の経緯・実施報告をお寄せ頂きました。

 私はR-Weeksイベントとして「家族へのカミングアウト」をテーマに、ご自身もFtMの子を持つ親であり、LGBTやその家族・友人の支援活動を行う小林りょう子さんをお招きする講演会を企画した。カミングアウトをしたい・できないと悩む人も、カミングアウトをされて戸惑う人も、誰もが快く手を広げて抱きしめあえるような、互いにウェルカムな姿勢を持つにはどうすればよいのかを考える機会にすべく、「WEL-COMING OUT」というタイトルをつけた。

 しかし、小林さんご自身のお話や、活動を通して知ったという他の当事者のお話は、私には時に涙を流してしまうほど衝撃的なものだった。「気の迷いだと精神科に連れて行かれた」「学校に行くなと軟禁され転校させられた」「死んだ者扱いされた」、「『中絶すれば良かった』『頼むから死んでくれ』と親に言われた」など命がけの話に、自分の「カミングアウトはきっといつか成功する」という認識の甘さを痛感した。カミングアウトは常によい結果をもたらすとは限らない。小林さんは、カミングアウトを希望する当事者には「普段から何でも話せるようなコミュニケーションを相手ととれているか」を聞くそうだ。大学生が元々あまり関係の良くない親にカミングアウトをしたら経済的援助を止められたなど、自分の生活や夢が困難になる事例もあるため、慎重に考えるべきだという。また、カミングアウトを受けた親も、世間からの疎外感から孤立しがちで、自分や子どもを責めてしまうこともあるそうだ。

 これらのお話から私は、「WEL-COMING OUT」には互いの人生を尊重できる関係性が必要だと感じた。私には、家族へ自分の性的指向を伝えることに悩んでいる、大切な存在が身近にいる。私は、こんなにも素敵な人が「伝えたい事が伝えられない」と悩んでいる姿を見るのが悲しく、何かできる事はないかと悔しさの混じった気持ちも抱えていた。この企画には、その人のカミングアウトを後押しする気持ちが少なからずあった。今すぐにではなくともきっといつかできればと、長期的に応援する気持ちでいた。しかし本当にその人の生きやすさを考えるのであれば、時にカミングアウトをしない方がよい場合が、現在の社会には残念ながら存在することを学んだ。それでも私は、「今は言わない方がよい」とは口にしたくない。だからこそ、自分の身近な人には、日頃の関係性について再度考えてみて欲しいと伝えたいし、カミングアウトされる側の人には、日常会話の中でこの企画について触れるなどして、私はオープンであるという姿勢を示すだけでも環境は大きく変わるのだということを伝えたい。これは一部の特別な人間のみが考えることでは決してなく、ひとり一人に関係する事柄であることが、大学全体で考えられるような機会となっていたなら嬉しい。小林さんが、最後に紹介していた詩のように、ありのままに受け入れられる姿勢を、皆が持てるようになることを願っている。

「私の子供は四葉のクローバーのようです。性的指向はたまたま私と違っていますが、私にとっては、大切に守ってあげたい宝物です。四つ葉のクローバーは不自然なものではありません。ただ、珍しくて、大勢とは違っているだけです。私は、それから葉を一枚もぎとって三つ葉のクローバーに見せかけたいとは決して思いません。」
( 出典:PFLAG, Our Daughters and Sons (Washington, DC: PFLAG, 1995), 8, http://pflagupstatesc.org/forms/daughters_sons.pdf 日本語訳:かじよしみ)

ワシントン大学大学院社会学研究科博士後期課程、ICU卒業生(ID 13):平森大規
【CGS Newsletter019掲載記事】

性的マイノリティに関する経験的研究では、質的調査法が多用される傾向にあるなか、近年、当事者団体による各種実態調査や研究者による学術調査、広告代理店によるマーケティング調査など、計量調査が増加しつつあります。NPO法人虹色ダイバーシティとの共同研究の分析担当者である平森大規さんに、ご自身の経験を踏まえつつ、ジェンダー・セクシュアリティの分野において計量研究を行う意義や、性的マイノリティに関する統計データの読み解き方をうかがいました。

 虹色ダイバーシティが2013 年に「LGBTに関する職場環境アンケート」を開始した理由には、LGBT 施策の推進にあたって企業や行政などから性的マイノリティの困難・ニーズに関する統計データを求められてきた経緯がある。このように計量調査法を用いる意義として、ジェンダー・セクシュアリティに関する不平等の構造や傾向を数字の形で表せるという点が挙げられる。性的マイノリティにとって差別的な現状を変えるための手段として、質的データなどとともに統計データを蓄積していくことがいかに重要であるかが分かるだろう。

 しばしば「計量分析や数字で表わされるデータは中立的・客観的である」と思われがちであり、政策決定に採用される理由にもなっているが、本当に中立的なのは統計分析の部分のみである(誰がカイ二乗検定を行っても結果は同じになる)。実際のところ、計量研究を行う意義は、分析手続きの妥当性を第三者が検証できる点にある。「調査対象者やその抽出方法」「調査票における質問文の言い回し」「用いる分析手法の選択」など、研究者の主観的要素が研究過程のどこに入り込んでいるかを比較的明確に示すことが可能だからだ。

 このように考えると、「計量研究は自らを中立的だとみなしており、計量研究によって客観的知識を発見できると捉えている」というフェミニズム・クィア研究者からの批判はそれほど当てはまらないことが分かる。「数字は嘘をつく」ということを一番よく知っているのは、日々、計量分析を行うなかで主観的選択をしている計量研究者なのかもしれない。

 もちろん、計量研究者はフェミニズム・クィア研究者からの「自らの研究過程そのものが男女二元論や異性愛規範などを前提とし、社会の差別構造を反映している可能性を充分に考慮していない」「ジェンダー・セクシュアリティのカテゴリーを本質化し、ただの変数としてしか捉えていない」「カテゴリー内部の差異を不可視化している」などといった計量研究への重要な批判を真摯に受け止める必要があるだろう。しかしながら同時に、フェミニズム・クィア研究者も計量調査法の利用可能性についてさらに議論を重ねるべきである。

 それでは、私たちは近年増えつつある性的マイノリティに関する統計データをどう読み解いていけばよいのだろうか。私見では、性的マイノリティに関するものを含めた計量調査一般に関する統計リテラシーを身につけることが重要だと考えている。新聞やテレビ、インターネットなどで統計データが紹介された際にも、「誰が何の目的で行った調査なのか」「質問の選択肢は適切か」「分析結果の解釈は妥当か」など、調査結果を批判的な観点から考察すべきだろう。これらを踏まえると、今後性的マイノリティに関する統計データを蓄積していく上で、調査の詳細やデータそのもの(個人を特定できる情報を除いたもの)についても可能な限り公開し、誰でも分析の妥当性を検証できるようにすることが望ましいと考えられる。

CGS事務スタッフ:加藤悠二
【CGS Newsletter019掲載記事】

CGSは「ジェンダー・セクシュアリティとキャンパスライフ」というシリーズタイトルを冠し、「Vol.1:できることガイド in ICU」を2016年4 月に、「Vol.2:やれることリスト108 at University」を同年9 月にリリースしました。制作指揮の加藤悠二が、このシリーズ制作の背景を解説します。

 CGSには学外から2015年度通年で85件、2016 年度は春学期のみで38件の問い合わせや講師依頼があった。「性同一性障害の学生への対応」や「LGBT 学生支援」に関するものが多く、他校やメディアからは「先進的な事例」と扱われることも少なくない。
(註:2017年3月17日現在、2016年度の問い合わせ件数は138件にのぼっている)

 これらの取材対応では、熱意ある他大の教職員の存在にエンパワメントされる一方、疲弊することも少なくなかった。過多な件数をほぼひとりで対応する人員的問題もさることながら、「ICUは先進的ではない」「できていないことばかりだ」と否定を重ね続けることが、大きな精神的苦痛となったためだ。実際、ICUの「LGBT 学生支援」は「先進的」とは言い難い。「トランスジェンダー学生の学籍簿上の名前・性別変更が2003年度からシステム化されてきた」「ジェンダー・セクシュアリティの学際的研究カリキュラムが整備されてきた」といった点は、国内の大学を先行する事例ではある。だが、入試願書には今もなお、男・女の性別欄が残る。また、卒業式で学部生が着用するガウンは、「女性は襟つき・男性は襟なし」のジェンダー区分を迫るものだった(度重なる要望から、2016 年3 月卒業式にようやく廃止)。この大学は基本的に、入学から卒業まで、男女二元論・異性愛主義が基準だ。その原則を頑なに維持したまま、マイノリティを特別扱いして対応する体制において、「先進的」「LGBTフレンドリー」といった評価の甘受は決してできない。

 また、「LGBT 学生支援」という枠組みを自明としたうえで話を求められることも、負担感を強めるものだった。「LGBT」「学生」「支援」の各概念の丁寧な検討もなしに、「問題なのは"LGBT"ではなく、" 女性やあらゆるマイノリティ/マジョリティを含めた、キャンパス全体のジェンダー・セクシュアリティをめぐる環境"だ」という視点の共有もままならず、「LGBT 教職員」の存在は不可視化されていく(筆者自身のカミングアウトが無化されることさえあった)。「目の前のLGBT 学生が抱える困難を支援・解決したい」というニーズに対し、実践事例の紹介は有用かつ必要だが、そこに時間を割く結果、根本的な視座の共有もできないままに「LGBT 学生支援」の話を繰り返すことには限界が多い。

 これらの課題に挑戦すべく制作したのが、冊子シリーズ「ジェンダー・セクシュアリティとキャンパスライフ」だ。「Vol.1:できることガイド in ICU」は、現状のICUで可能な各種対応状況をまとめたガイドブックで、「LGBT学生生活ガイド in ICU」を拡充・リニューアルしたものだ。新刊「Vol.2:やれることリスト108 at University」は、国内の大学が法改正なしに、大学独自の判断で実行可能な「やれるはずのこと」を108個リスト化した改善提案集だ。そこでは学生参加の重要性を強調した。そもそもICUの対応は全て、マイノリティとされてきた学生たちのカミングアウトなしには成り立ち得ないものだったからだ。大学が上から「LGBTフレンドリー」な施策を用意するのではなく、学生も含めた全ての大学構成員が大学を根源的に見直し、改善していく。そんな動きの一助に、これらの冊子がなっていくことを願っている。

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